- 2024年、金の島が世界遺産に!「金」を支配した最強の役所へ潜入!
- 佐渡奉行所跡
- 日本で唯一「金」を司る!佐渡奉行所
- 佐渡の金を牛耳れ!佐渡奉行所の歴史
- タイムスリップ!復元された奉行所の建物
- 重要文化財がゴロゴロ!展示と資料
- 鉱石が金になる瞬間!勝場
- 世界遺産・佐渡金山の中心地!金の道を辿る旅は佐渡奉行所跡から始まる
2024年、金の島が世界遺産に!「金」を支配した最強の役所へ潜入!
2024年、ついに世界遺産となった「佐渡島の金山」。江戸幕府による「佐渡奉行所」がなければ、この偉業は成し得なかったでしょう。
金山を隅々まで支配し、島の警察署にして裁判所。さらには製錬所まで兼ね備えた、日本でも類を見ない特別な行政機関でした。そう、佐渡奉行所は、江戸幕府の財政を支えた「金」のすべてを牛耳る存在だったのです。
年間 400kg(現代で 52 億円相当)もの金を産出した世界有数の金山。その運営を一手に担った佐渡奉行所は、いったいどんな場所だったのでしょうか?
佐渡金山の世界遺産登録を記念して、「金」を支配した特別な行政機関の全貌に迫ってみましょう。
佐渡奉行所跡
佐渡奉行所跡(さどぶぎょうしょあと)は新潟県佐渡市にある、江戸時代に佐渡金山を管理した奉行所の跡地です。佐渡島の西側に位置しており、世界遺産である佐渡金山や、北沢浮遊選鉱場跡の近くにあります。佐渡奉行所は、幕府が金山を統治するために設置した行政機関であり、金や銀の採掘・精錬の監督だけでなく、島内全体の治安や行政も管轄していました。
- 営業時間
- 8:30 〜 17:00
- 定休日
- 12 月 29 日〜 1 月 3 日
- 電話番号
- 0259-74-2201
- 公式サイト
- https://www.city.sado.niigata.jp/site/museum/463.html
- 駐車場
- 佐渡奉行所跡前に無料駐車場有り
- アクセス
- 北沢浮遊選鉱場跡から車で約 2 分
- 佐渡金山から車で約 4 分
- 両津港から車で約 45 分
- 小木港から車で約 50 分
- バス: 新潟交通佐渡 七浦海岸線に乗り、バス停「佐渡版画村」下車。徒歩 1 分
- 所在地
- 〒952-1531 新潟県佐渡市相川広間町 1-1
日本で唯一「金」を司る!佐渡奉行所
奉行所(ぶぎょうしょ)とは、江戸時代における幕府や藩の行政機関であり、政治や司法、経済、治安維持など、さまざまな公共業務を行う場所を指します。奉行所の役割は、場所や管轄内容によって異なりますが、基本的には現代の地方行政機関や裁判所に近い機能を持っていました。
奉行所の役割は大きく「市役所」「税務署」「警察署」「裁判所」。
そして、佐渡奉行所の場合はこれに併せて「佐渡鉱山経営」と「貨幣製造」も担っていました。
佐渡の金を牛耳れ!佐渡奉行所の歴史
佐渡奉行所は、江戸時代に佐渡金山を管理し、日本の経済と文化に深い影響を与えた行政機関です。その歴史と沿革を簡単にご紹介します。
1. 佐渡奉行所の設立
佐渡奉行所は、江戸幕府が佐渡金山の管理と運営を強化するために設立しました。金や銀の採掘は幕府の財政を支える重要な柱であり、佐渡島はその一大産地として注目されていました。
- 設立年:1603年(慶長8年)
- 背景:豊臣秀吉の時代から金山の重要性が認識され、江戸時代には幕府直轄地として整備されました。
ちなみに、佐渡金山が開山し、金が採れると話題になったのが 1601 年。
関ヶ原の戦いが起き、江戸幕府が誕生したのが 1603 年。
一説によると、徳川幕府はこの金山の金銀を独占するために、佐渡を直轄地とし統治のために奉行所を設置したといわれています。
2. 全盛期の佐渡金山と奉行所の役割
江戸時代中期、佐渡金山は年間 400kg 以上もの金を産出する世界有数の金鉱山となりました。佐渡奉行所は以下のような役割を果たしました。
- 金山の運営管理:採掘現場の監督、労働者の指揮。
- 税収の確保:採掘された金や銀を幕府に送る。
- 治安維持:島内の労働者や住民の秩序を守る。
3. 江戸幕府の財政基盤を支える存在
佐渡奉行所から幕府に送られる金や銀は、日本全国の財政や商業に大きく貢献しました。特に、金貨や銀貨の鋳造に使用されることで、日本経済を支える根幹となっていました。
4. 奉行所の廃止とその後
明治時代に入ると、日本の社会構造が大きく変化し、佐渡奉行所もその歴史を終えることになります。
- 廃止年:1868年(明治元年)
- 理由:明治政府の新しい行政制度導入と、金山の資源枯渇による産業衰退。
その後、奉行所の建物は解体されましたが、歴史的な価値が再評価され、1993年に現在の姿で復元されました。
5. 佐渡奉行所跡の現代的な価値
今日では、佐渡奉行所跡は国指定の史跡となり、佐渡島の観光スポットの一つとなっています。復元された建物や展示物を通して、佐渡金山の繁栄や江戸時代の幕府運営の一端を垣間見ることができます。
年代 | 出来事 |
---|---|
1601年 | 佐渡から金が出たぞ!!佐渡金銀山が徳川家康の直轄地となる |
1603年 | 佐渡奉行所が相川に設置される 初代佐渡奉行に大久保長安が就任 |
1605年 | 相川の陣屋に本格的な奉行所施設が完成 |
1613年 | 佐渡一国の統治機関として機能拡大 |
1689年 | 新緑御役所(本庁舎)が完成 奉行所の組織体制が確立 |
1700年代前半 | 佐渡金銀山の最盛期 製錬技術の革新と生産量の増大 |
1794年 | 大規模な改修工事を実施 寄勝場(よせかつば)の設置 |
1868年 | 明治維新により佐渡県が設置 佐渡奉行所は佐渡県庁として使用 |
1871年 | 廃藩置県により新潟県に編入 奉行所は相川県庁として機能 |
1877年 | 佐渡県庁舎として使用終了 |
1994年 | 佐渡奉行所跡が国の史跡に指定 |
2004年 | 御役所(本庁舎)が江戸時代の姿に復元 史跡公園として一般公開開始 |
2010年 | 「金を中心とする佐渡鉱山の遺産群」として 世界遺産暫定リストに記載 |
2022年 | 「佐渡島の金山」として世界文化遺産推薦候補に選定 |
2024年 | 「佐渡島の金山」が世界文化遺産に決定 |
タイムスリップ!復元された奉行所の建物
佐渡奉行所跡では、かつての奉行所の建物が忠実に復元されています。江戸時代の建築様式を体感できる空間で、奉行所が果たした役割や当時の行政運営について知ることができます。
大広間
300 坪ある奉行所の中で最も格式の高い部屋、大広間です。
一段上がっている所は謁見の間と呼ばれ、一番偉い奉行様が座る場所でした。
御白州
御白州(おしらす)は、江戸時代の裁判所の法廷です。ここで罪を犯した民に判決を言い渡していました。
ちなみに、地面になぜ大きめの砂利が敷かれているのかというと、原告・被告に対する威嚇効果なんだとか。緊張感で膝が震えると砂利が動き、音が出る。嘘をつくと落ち着きがなくなり、砂利を動かし、音が出る。といった、心理的なプレッシャーを与える効果を狙っていたとのことです。もちろんそれだけでなく、雨が降っても水たまりができにくく、ぬかるむのを防ぐためといった目的もあったようです。
重要文化財がゴロゴロ!展示と資料
館内では、佐渡金山で使用されていた道具や奉行所の記録が展示されています。金や銀の採掘にまつわる技術や、当時の島内の生活について学ぶことができます。
佐渡奉行赴任絵図
佐渡奉行赴任絵図は、1860年に佐渡奉行として赴任した岡松伊予守久徴(おかまつ いよのかみ ひさゆき)が、同行した絵師に江戸から佐渡までの道中を描かせた絵図です。この絵図には、宿場の様子や当時の相川の繁栄ぶりが詳細に描かれており、幕末期の風俗や交通状況を知る貴重な資料となっています。
埋鉛
埋鉛(うずめなまり)は、佐渡金山の金の精錬に使われたもので、奉行所敷地内の発掘調査で地下 1.1m の穴の中から 172 枚発見されました。 1 枚平均の大きさは、長さ 70 cm、幅 26 cm、厚さ約 5 cmで、重さは約 41 kgあります。
この埋鉛は、「灰吹法」(はいふきほう)と呼ばれる、鉛を利用した金銀の抽出技術で、その最後の工程で出たものです。
- 粉状にした鉱物を鉛と一緒に炭火で溶かす
- 鉛が金銀とくっつき、金銀でないもの(銅や鉄などの不純物)と分離する
- 金・銀・鉛の合金を灰と熱すると、鉛だけが灰に染みこみ、金と銀だけが残る
金銀がなくなった灰と鉛だけの塊が、この埋鉛と言われています。国指定重要文化財に指定されています。
鉱石が金になる瞬間!勝場
勝場(せりば)は、小判造りの工程の一部で、採掘した鉱石を細かく砕いて金や銀を選鉱する工場です。
ここでは、佐渡金山などで採掘された金鉱石がどのように加工されていたのかを知ることができます。
勝場は、小判造りの過程における初期段階であり、金鉱石を効率的に選別・加工するための工場でした。
- 鉱石を細かく砕く
- 採掘された鉱石を粉砕して、小さな粒子にする工程。これにより、金や銀を含む部分を選別しやすくします。
- 水流を利用した選鉱
- 水流を使って鉱石の重さの違いを利用し、金や銀を含む重い部分を選び出します。
- 精度の高い選別
- 人の手や道具を使い、さらに純度を高める作業を行いました。
資料も豊富で、当時の状況などが詳しく展示されています。
世界遺産・佐渡金山の中心地!金の道を辿る旅は佐渡奉行所跡から始まる
佐渡奉行所跡を訪れて驚くのは、その圧倒的なスケールです。300坪の大広間、威厳に満ちた御白州、そして鉱石から金を取り出す勝場まで。すべてが「金」という魅力的な資源を守り、育て、世に送り出すために作られました。
2024年、ついに世界文化遺産となった「佐渡島の金山」。佐渡奉行所跡は、その歴史を物語る重要な証人です。江戸時代、幕府の財政を支えた金の道筋が、ここですべてよみがえります。
実際に佐渡奉行所跡を訪れて、最も印象的だったのは「人の営み」でした。金を採掘する技術、精錬する知恵、そして島全体を治める仕組み。これらすべてが、現代に通じる「仕事」の形として、とても分かりやすく展示されています。
佐渡観光では、佐渡金山、北沢浮遊選鉱場跡と併せて是非この佐渡奉行所跡にも足を運んでみてください。金山を掌握しようとした徳川幕府の本気と、その錬金術を垣間見れると思います。
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