週末はじめました。

自然に癒やされたいわたしのキャンプ・アウトドア、そして日常ではない何者かになりたいわたしの旅や遠足の記録

【長崎】平和公園(平和祈念像・平和の泉)をぶらり散歩〜原爆の実相を感じ世界平和を想う

平和祈念像

長崎県は長崎市松山町にある平和公園へ行ってきました😊

平和公園

平和公園は、原爆の実相を訴え、そして世界平和と文化交流のために建設された、誰でも無料で入ることの出来る公園です。

毎年 8 月 9 日の長崎原爆の日(長崎原爆忌)には、原爆犠牲者慰霊平和祈念式典が開催されています。

〒852-8118
長崎県長崎市松山町9

www.city.nagasaki.lg.jp

www.city.nagasaki.lg.jp

アクセス

長崎駅方面から路面電車に乗った場合、平和公園停留場を降りたら、大通り(国道 206 号線)を渡ると平和公園に到着できます😊

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停車場から平和公園入り口までの経路

停車場からは歩いて 2, 3 分(といってもほとんど信号待ち)て感じで結構近かったです😊

平和公園入り口

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平和公園入り口

平和公園の入り口からは階段を上っていくのですが、エスカレーターもついていたので足腰に自信がない人でも安心です✨

平和の泉

エスカレーターを上がると、平和の泉に到着します

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平和の泉

奥に平和祈念像も見えますね

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平和の泉の石碑に刻まれた「あの日のある少女の手記から」

のどが乾いてたまりませんでした

水にはあぶらのようなものが一面に浮いていました

どうしても水が欲しくて

とうとうあぶらの浮いたまま飲みました

原爆で体内まで焼けただれ、皆、水を求めて亡くなっていったのだそうです。

そういった方々へ水を捧げ、めい福を祈る。平和の泉はそんな想いで建設されたのだそうです。

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平和の泉から平和祈念像へ向かう通路

平和の泉の奥に延びるこの通路には、各国から贈られたモニュメントも並んでいました。長崎の平和への訴えに賛同した各国から、平和を願うモニュメントが設置されています

ちなみにこの通路だけでなく、他の通路にもモニュメントがあるので、1つ1つ見ていくのが良いと思います✨

原爆殉難者之碑

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原爆殉難者之碑

長崎の鐘と共にあるこの石碑は、一般戦災死没者の追悼のために建てられたものだそうです。

www.soumu.go.jp

右の柱にこんな言葉が貼られていました。


原爆とも知らずに長崎市民は七万四千人の人が黒焦、白骨となり水、水と云いながら死にました
一輪の花に旅の御方水をかけて下さい


当時の惨状と苦しみを思うと言葉も出ないほどですが、私も平和を望む一人の人間として、水をかけさせていただきました。

(バケツに水が張られていて、柄杓(ひしゃく)もあるので、訪れた人誰もが水をかけることができるようになっています)

平和祈念像

平和祈念像のある式典広場までやってきました。

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式典広場

毎年平和祈念式典が開催されるだけあって、かなりの広さです。

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こんな感じで、めっちゃ広い

そして、平和祈念像。

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平和祈念像

平和祈念像、すごく巨大で驚きました。そして、すごい存在感。

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どっしりと構え、まっすぐを見つめる。

この平和祈念像は神の愛と仏の慈悲を象徴していて、そのポーズにも意味があって、

高く掲げた右手原爆の脅威を、

水平に伸ばした左手平和を意味し、

軽く閉じた目原爆犠牲者の冥福を祈っている

のだそうです。

平和祈念像

平和祈念像の前にも水が張られていて、「」が重要なキーワードの1つなんだと気付かされます。何もかもを焼き尽くす。それくらい原爆は恐ろしい威力なんだということですね。

平和祈念像と、その前に張られた水

折鶴の塔

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折鶴の塔

折鶴の塔は、平和祈念像のそれぞれ左右に設置されていて、たくさんの折り鶴がありました。

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平和を祈るたくさんの折り鶴たち

長崎市原子爆弾被害区域図

式典広場の脇には、長崎市原子爆弾被害区域図も設置されていました。

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長崎市原子爆弾被害区域図

原爆搭載機長崎へ

長崎は深い入江に面した美しい港を中心に繁栄し、三方(東・西・北)を山に囲まれた複雑な地形とたたずまいの中に、ポルトガル船入港から原子爆弾投下に至る370有余年の歴史を刻み込んだ、九州の最西端に位置する港湾都市であった。

太平洋戦争の末期、昭和20年8月9日早朝、西太平洋マリアナ諸島のテニアン墓地を飛び立った原子爆弾搭載機B29「ボックスカー」号は、第1特攻目標の北九州の工業地帯小倉市上空に到達したが、小倉市上空は天候不良のため視界がきかず、第2目標であった長崎へと方向を転じた。

長崎市上空へ侵入した「ボックスカー」号は、雲の切れ間に三菱長崎兵器製作所の巨大な工場群を発見、高度3万フィート(約9,000メートル)から投下した原子爆弾は、午前11時2分、長崎市の北部、松山町の上空約500メートルで天を裂くような熾烈な閃光を伴って爆発した。

原子爆弾による被害状況
  • 死者 73,884 人
  • 負傷者 74,909 人(当時の推定人口24万人)
  • 罹災人員 120,820 人(半径4キロメートル以内の全焼、全壊の世帯員数)
  • 罹災戸数 18,409 戸(半径4キロメートル以内の全戸数、市内総戸数の約36%)
  • 全焼 11,574 戸(半径4キロメートル以内 市内の約1/3にあたる)
  • 全壊 1,326 戸(半径1キロメートル以内を全壊とみなしたもの)
  • 半壊 5,509 戸(半径4キロメートル以内を半壊とみなしたもの)
  • 焼失土地面積 6.7㎢

小倉が第一目標だったんだね。

事あるごとに歴史を知る機会があるものの、知らない事もまだまだ沢山あるんだなと思いました。

長崎刑務所浦上刑務支所跡

原爆炸裂時に吹き飛んでしまった長崎刑務所浦上刑務支所の当時の跡がそのまま残されていました。

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長崎刑務所浦上刑務支所跡

当時のまま残っているのはすごいですね。

同時に、丁度この辺の上空で原爆が炸裂したことを考えると、よくこれだけでも残っていたなって思いました。

そこにあるだけで当時を語る。とても貴重なものだと思います。

印象に残ったモニュメント

平和公園には、色々なモニュメントが設置されているのですが、中でもこのモニュメントが私的には気になりました。

平和公園に設置されているモニュメント

このモニュメント良く見ると、鳩(たぶん鳩だと思う)の形でくり抜かれてるんです。

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鳩の形でくり抜かれてる

どんなテーマのモニュメントかまで記録しなかったので思い出せないのですが、このモニュメントはなんだかパワー感じました。

過去の事実を風化させない。未来の平和を願う。

平和公園を散歩して思った事は、まだまだ知らない歴史があるんだなという事。

事実自体は認知していても、その事についてあまり深くまでは知らない事も多い。

だからこそこうして実際に訪れてこの目で見れた事はとても良い刺激になりました。

現在と未来は平和に。それをどれだけ強く思えるかは、過去の事実を深くまで知る事が大切なんだと改めて感じた平和公園散歩でした。

平和祈念像