黒田官兵衛・長政が築き、毎年桜が咲く時期には「福岡城桜まつり」が開催され、非常に大勢の人々で賑わいを見せる福岡城を紹介します。
福岡城の歴史やみどころを知ることで、桜まつりがもっと楽しくなること間違いなしです。
福岡城
福岡城は、1607年(慶長12年)に黒田官兵衛によって築城されました。
黒田官兵衛の息子である黒田長政は、関ヶ原の戦いで徳川家康側に付き活躍。功績を称えられ筑前国(ちくぜんのくに, 現在の福岡県)を与えられました。それまで住んでいた豊前国中津(現在の大分県中津市)から筑前国へ移った際、築城したのがこの福岡城です。
- 築城
- 1607年(慶長12年)
- 初代城主
- 黒田官兵衛
- 別名
- 舞鶴城
- 石城
- 文化財等指定
- 日本100名城
- 国指定史跡
- 天守台・多聞櫓(国指定重要文化財)
- 潮見櫓(県指定有形文化財)
- 下之橋御門(県指定有形文化財)
- 旧母里太兵衛邸長屋門(県指定有形文化財)
- 名島門(市指定有形文化財)
- 天守
- 天守は存在しませんが、天守台があります。
- 料金
- 無料
- 営業時間・定休日
- 公園として開放されているためいつでも入れる
- 最寄り駅
- 地下鉄空港線 赤坂駅 2 番出口
- 駐車場
- 第 1 ~ 第 4 駐車場(有料)
- 約 450 台駐車可能
- 所在地
- 〒810-0043 福岡県福岡市中央区城内 1
黒田官兵衛と黒田長政について
黒田官兵衛は豊臣秀吉に仕える優秀な軍師でした。息子である長政は幼少期、人質として織田信長に渡され、そこから豊臣秀吉が預かっていたという経緯があります。
豊臣秀吉の没後、関ヶ原の戦いが起きますが、そこに至る過程で黒田長政が西軍の石田三成らと方針を巡って対立、最終的に東軍の徳川家康側に付いたという説があります。黒田長政は関ヶ原の戦いでは最前線にて、中心人物として活躍しました。
オススメコース
電車で行く場合は、最寄り駅である地下鉄空港線 赤坂駅 2 番出口から出て向かいます。
上之橋を渡って天守台へ行く以下のルートが主要なスポットを見て回れてオススメです。
- 上之橋
- 東御門跡
- 扇坂御門
- 梅園
- 天守台
上之橋
上之橋(かみのはし)は、城内に入るための最初の門があった所です。
福岡城の正門として江戸時代に使用されていた橋で現在は石垣のみが残っていますが、かつては2層の櫓門が築かれていました。
上之橋は福岡城の表玄関として、黒田藩主や客人などの公式の出入り口として使用されていました。藩主が参勤交替の時に渡るなど、下之橋よりも格式が上でした。上之橋から東御門、本丸表御門を経て本丸御殿へ至るのが正式な登城ルートとされていました。
東御門跡
東御門は、三の丸から東二の丸へと続く櫓門です。
門を入ると右手に直角に曲がる階段があり、攻め手が簡単に攻められない構造になっています。
東御門を抜けると、広場に出ます。
ここには烽火番所跡や東二の丸跡があります。
烽火番所跡
東二の丸跡
見晴らしも良く、広場からはテニスコートや競技場が見渡せます。
広場の先には、扇坂御門があります。
扇坂御門
扇坂御門(おうぎざかごもん)は、二の丸への入口として、主に城内で働く人々や庶民が使用していた門です。
現在は石垣のみが残っていますが、かつては2層の櫓門が築かれていました。櫓門の下層には、城門の守備に当たる武士たちが詰め、上層には、城内を見渡せる見張り台が設けられていました。
扇坂御門には、ある怪談が伝わっています。それは、扇坂御門に手を触れると熱病に冒されたり、夜中にうなされたりするというものです。この怪談は、二代目黒田忠之の側用人・浅野四郎左衛門の妻・お綱の怨念が原因だという伝説があります。
お綱は、夫に裏切られ、別宅に追いやられていました。ある日、夫の愛人・采女を殺そうとしたお綱は、失敗して捕らえられてしまいます。そして、扇坂御門の石垣に縛り付けられ、打ち首に処されたのです。
お綱の怨念が今も扇坂御門に残っていると言われ、人々は扇坂御門を「お綱門」とも呼んでいました。
この怪談は、江戸時代には広く知られており、福岡城を訪れる人々を恐れさせていました。
扇坂御門を訪れた際には、お綱の怨念がまだ残っていないことを確かめるために、後ろを振り返ることを忘れずに。
梅園
扇坂御門を抜けた先には、梅園があります。
園内には約 270 本の梅の木が植えられており、毎年 2 月から 3 月にかけて、白やピンクの梅の花が咲き誇ります。
梅園の梅の種類は、白梅、紅梅、しだれ梅など、さまざまな種類があります。梅の花の見頃は、2月下旬から3月中旬頃です。梅の花が咲く時期には、福岡城梅まつりが開催されます。
福岡城梅園は、福岡を代表する梅の名所です。
梅園を抜けると、天守台です。
天守台
福岡城には天守は残っていませんが、天守閣を置くための台座である天守台が残っています。
東西約 25 m、南北約 22 mの敷地内に約 40 個におよぶ天守の礎石が残っています。
天守台入口
天守への入口だけあって、通路が枡形になっている構造も見て取れます。
通りが狭くなっているところもあります。大勢で一気に攻められないようにしている工夫です。
展望デッキ
天守台には展望デッキがあり、福岡市内を眺めることができます。
展望デッキは現存している石垣の上に作られています。
展望デッキに上ってみましょう。
まだ頂上ではありませんが、階段を上がってすぐのところにも景色を眺められるデッキがあります。
さらに進みます。
大天守台跡
大天守台跡には、天守の柱を支えていたであろう石が埋め込まれた遺跡を見ることができます。
最上層の展望デッキへ行ってみましょう。
大天守台 展望デッキ
大天守台の展望デッキは高さ 36 メートル。開放感抜群で福岡市内を見渡すことができます。
天守はなくとも。満開の桜に囲まれて。
福岡城にはすでに天守や御殿、櫓や門などの建築物はほとんど残っていません。そこには石垣とそこにあったであろう建物の印のみが残っています。
しかし、福岡城のある舞鶴公園にはたくさんの桜が植えられており、毎年桜が咲く時期には「福岡城桜まつり」が開催され大勢の人々で賑わいます。
福岡城は、当時の九州の中心となる城として栄え、黒田藩の居城として約 270 年間にわたって使用されました。廃城令によってそのほとんどが解体されましたが、今でもこうして福岡市民の憩いの場となっています。
あなたもぜひ、福岡城跡へ足を運んでみてください。