広島県広島市にある平和記念公園に行ってきました。
- 広島平和記念公園
- 祈りの泉
- 嵐の中の母子像
- 平和の塔
- 平和の門
- 被爆樹木アオギリ
- 原爆死没者慰霊碑(広島平和都市記念碑)
- 平和祈念像
- 平和の灯
- 原爆の子の像
- 韓国人原爆犠牲者慰霊碑
- 平和の鐘
- 広島平和記念資料館
- 原爆ドーム
- おりづるタワー
- 改めて平和を考える。
広島平和記念公園
〒730-0811
広島県広島市中区中島町1丁目1−10
- 入園料:無料
- 開園時間:常時
平和記念公園は、原爆死没者の慰霊と世界恒久平和を祈念して開設された。
昭和24年(1949年)の広島平和記念都市建設法の制定に伴い、平和記念施設事業として記念公園が整備されることとなり、競技設計の公募に応募した145点の中から1等に入選した丹下健三ほかによる作品に基づき、昭和25年(1950年)に着工、同29年(1954年)に完成した。
公園南端の平和大通りから、広島平和記念資料館のピロティと原爆死没者慰霊碑のアーチを経て原爆ドームへと延びる中軸線上の通視は、原爆死没者の慰霊と世界恒久平和への願いを確実に表現するものであり、視覚と慰霊の行為を関係づけようとする丹下の優れた空間意匠及び構成の意図が読み取れる。
公園とその周辺の環境が持つ風致景観は優秀であり、慰霊と平和希求の象徴的な場として芸術上・観賞上の価値及び公園史上の価値が高いため、平成19年(2007年)2月6日に名勝に指定された。
訪れる際は早めの時間に行くと人も空いていて静かなので良いのと、見どころがとても多いので、ゆっくり見られると思います。
祈りの泉
建設年月日:1964年(昭和39年)11 月
原爆の焦土のなかで水を求めながら亡くなられた犠牲者の慰霊と恒久平和への祈りを込める目的で広島銀行が建設し寄贈したのだそうです。
この日は天気も良くて、噴水の周囲には虹も出来ていました。
写真だけ見るとのどかな噴水散歩ですが、原爆で苦しみながら亡くなられた方々を思うと改めて平和について考えさせられます。
嵐の中の母子像
建立年月日:1960 年(昭和35年)8 月 5 日
核兵器廃絶への限りない努力を呼びかけることを目的に建立されたこの母子像は、右手に乳飲み子を抱え、左手で幼児を背負おうとしながら、前かがみ姿勢で生き抜こうとする母の姿を表しているのだそうです。
力強さと共に、お母さんの決意みたいなものを感じますよね。
平和の塔
建立年月日:1974 年(昭和49年)10 月 30 日
広島市の世界連邦都市宣言 20 周年を記念して建てられたこの塔は、一辺が 4m の五角錐になっていて、5つの面は世界の五大陸を表しているのだそうです。
入り口の脇にふとある記念碑だけど、きちんと意味があっての形なんだなあ。
平和の門
49 の言語で「平和」と書かれているモニュメントで、フランスの芸術家の方が製作したパブリックアート。
写真を拡大して見てみてもらうと、様々な言語で刻まれた「平和」の文字が見えると思います。
このモニュメント、全部で 10 基立っているのですが、ダンテの神曲に出てくる「9 つの地獄」になぞらえ、原子爆弾を 10 番目の地獄としているため 10 基あるんだそうです。
被爆樹木アオギリ
移植年月日:1973 年(昭和48年)5 月
もともとは爆心地から約 1.3 km離れた中区東白島町の広島逓信局の庁舎(現在の日本郵政グループ広島ビル)の中庭にありそこで被爆しましたが、翌年に新芽が生え人々を勇気づけたといわれており、後にここへ移植されたのだそうです。
爆心地側の幹半分が熱線と爆風によって焼けてえぐられたけど、その傷跡を包むようにして成長を続けているっていうとても生命力に溢れたこのアオギリ。
人の手が入った何物かがこの世界や環境を破壊しても何も言わずに再生し、その姿から人々に力まで与えてくれる。自然て本当に偉大だなって思います。
原爆死没者慰霊碑(広島平和都市記念碑)
建立年月日:1952 年(昭和27年)8 月 6 日
世界最初の原子爆弾によって壊滅した広島市を、平和都市として再建することを念願して設立されたこの慰霊碑には、「原爆死没者名簿」といって、国内外を問わず原子爆弾で被爆し亡くなられた方の名前を記帳した名簿が納められているのだそうです。
石室に刻まれているこの言葉
「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」
この世に生きる人間誰もがこの言葉を自覚し、責任を持って生きていってほしいと願うばかりです。
平和祈念像
建立年月日:1977 年(昭和52年)8 月 2 日
原爆犠牲者を追悼し、人類悠久の平和を願うことを目的として建立された平和祈念像は、若い母親に抱かれて平和のラッパを吹く赤子の姿によって表現されていました。
「赤ちゃんとラッパ」って、ヨーロッパで見かける壁画の天使の絵みたいです。
お母さんの表情もどこか柔らかで、 「優しさや思いやりを以て平和を実現していこう」っていうメッセージを感じました。
平和の灯
建立年月日:1964 年(昭和39年)8 月 1 日
水を求めてやまなかった犠牲者を慰め、核兵器廃絶と世界恒久平和を希求するために建立された平和の灯。
この火は昭和 39 年に点火されてからずっと燃え続けていて、「核兵器が地球上から姿を消す日まで燃やし続けよう」という反核悲願の象徴になっているのだそうです。
平和の灯は、平和の池の中央にあるのですが、近くまで行くことができました。
この手前のコンクリートですが、手首を合わせ、手のひらを大空にひろげた形を表現していて、その真中で火が焚かれているような形になっているそうです。
こんな感じで、空に掲げているようなイメージなのかなあ。
平和の祈りがこの空を伝って世界中に広がるといいですよね。
原爆の子の像
建立年月日:1958 年(昭和33年)5 月 5 日
この像は、2 歳の時に被爆した佐々木禎子さんが 10 年後に白血病で亡くなったことをきっかけに造られた像で、同級生たちが「原爆で亡くなったすべての子どもたちのために慰霊碑をつくろう」と呼びかけたことがきっかけだったそうです。
寄付も全国の学校や日本だけでなく海外 9 ヶ国から集まったそうです。平和の声が世界に響いたんだなあ。
像の頂上に折鶴を捧げ持つ少女のブロンズ像が立っていて、平和な未来への夢を託しているのだそうです。
像の下に石碑が置かれていて、
「これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです 世界に平和をきずくための」
と書かれていました。
像の周りには全国から送られた千羽鶴やメッセージが飾ってあって。
平和を願うひとたちの声が、世界中に伝わってほしいなと思うばかりです。
韓国人原爆犠牲者慰霊碑
韓国の料理やドラマが好きな私はここもとても気になりました。
この石碑を訳してみたのですが、どうやら原爆が落ちた当時、広島には約 10 万人くらいの韓国人がいたらしくて、原子爆弾の犠牲者である広島市民 20 万人のうちの 1 割は韓国人だったそうです。
以前 NHK の特集で、原爆が落ちた時広島にいたアメリカ人の捕虜の人も亡くなったりしたのを観たことがあって。
原子爆弾の被害者は日本人だけじゃないんだなって。
こういった事実からも、「no more 核」は全世界が持つべき課題だなって感じます。結局誰も幸せにしないから。
平和の鐘
この梵鐘・鐘堂は、広島の悲願に立って全ての核兵器と戦争のない真の平和共存の世界を達成することを目指し、その精神文化運動のシンボルとして造られたそうです。
この鐘は鳴らせるようになっていました。
私は訪問時刻が早めだったので鳴らさなかったのですが、誰かが平和を願って鳴らした鐘の音が、また誰かの心に響くといいな。なんて思います。
広島平和記念資料館
広島平和記念公園を訪れたなら、是非行って欲しいのがこの平和記念資料館です。
ここには、広島に落とされた原子爆弾や、その当時の広島の様子を知ることのできる資料がとても豊富に展示されています。
是非自身の目で観ていただきたいので資料館内の詳細は割愛しますが、広いスペースを生かしたダイナミックな展示もあれば、プロジェクションマッピングを使ったものがあったり、精巧な模型が展示されていたり。
こっちは動画。原爆投下の before / after を見ることができます。
実際に見た方が何倍もリアルなので是非、平和記念資料館に行って見てみてください。
情報量もそうですが、かなりダイレクトに入ってくるような展示が多いです。
私は資料館に 45 分くらい滞在したので、時間には余裕を持って行くとゆっくり見れてよいと思います。
原爆ドーム
原爆ドームも広島平和記念公園内にあります。
広島県産業奨励館(爆心地から約 160m)
この建物は、チェコの建築家ヤン・レツルの設計監督により1915(大正4)年4月に完成し、特徴ある緑色のドームによって市民に親しまれていました。 原子爆弾はこの建物の南東約 160m の上空約 600m でさく裂したため、建物は大破・全焼して館内にいた全員が即死しました。
その後、原爆の惨禍を全世界に伝えるとともに、世界平和へのシンボルとして1996 年(平成8年)12 月、ユネスコの世界遺産一覧表に登録されました。
学校の教科書にも出てくるしテレビでもよく見るけれど、実物はやっぱり違う。
実際に目の当たりにするからこそ感じる空気がそこにはあって。
この物言わぬ建物が「原子爆弾がもたらすものとは何か」を自らの姿を以て体現し、何十年という月日が経った今もこうして伝えている。
そんな生き証人が、今日も静かな佇まいで訪れる人達に訴えかけます。
私もここに立ってみて、もし当時のあの瞬間にここに立っていたらと想像したら、とても恐ろしくなりました。
平和であることがいかに幸福であるか。
世界では今も争い事が絶えませんが、こういった歴史を以て和平を貫いてきた日本という国に生まれ生きていることを、改めて幸せなことなんだなって思いました。
ちなみに、
「南東約 160m の上空約 600m でさく裂」っていうことは、ほぼ原爆ドームの真上で炸裂したようなものだと思うのですが、あれだけの力が作用して、よく外壁残ったなって思いました。
コンクリートって、すごいんだね。
おりづるタワー
原爆ドームの隣には、おりづるタワーもあります。
訪問時間が早かったのでこの日はまだオープンしておらず寄れなかったのですが、折り鶴を折って、くるくる落とせるやつとか、展望デッキとかあるので、次の機会には行ってみたいな。
改めて平和を考える。
これだけの史実を以て戦争の悲惨さを感じ取れる場所はそう多くはないと思います。
インターネットでどれだけ情報に触れようとも、ここで実際に見たものにはかなわない。
ここへ来て受け取るものはとても重たいです。でも、未来の為にきちんと考えなければならない。
ここに滞在した 2 時間、各所でたくさん手を合わせました。
本当に戦争の無い世の中が実現できるように、ひとりひとりがそのためにできることを小さくても、何かアクションを起こしていくことが大切だとも感じました。
有意義な時間を過ごせて、本当に来てよかったです。
平和を全世界で実感できる、そんな世の中にしていきたいですね。
最後に、私が見た風景や空気を少しでも共有できればと動画も撮ったのでよかったら。