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高橋公園~熊本城のすぐ隣り、知られざる小さな歴史の宝箱~

高橋公園~熊本城のすぐ隣り、知られざる小さな歴史の宝箱~

熊本城のすぐ東側にある知られざる歴史の宝箱「高橋公園」を紹介します。

高橋公園

高橋公園

高橋公園は、熊本城の東側にある小さな公園です。熊本市の第 7 代市長を務めた高橋守雄を記念して造られた芝生の公園です。戦前の第六師団長官舎跡地に位置しています。

〒860-0001 熊本県熊本市中央区千葉城町1

小さな歴史の宝箱

隣に熊本城があるため目立ちませんが、近代の熊本の歴史がギュッと詰まっている公園で、歴史好きにはうれしいスポットです。

ある時代をピックアップしたり、人物がピックアップされている場所は数多ありますが、近代熊本の遺構・偉人をまるっともってきているあたりが他にはないコンセプトです。

横井小楠と維新群像の碑

横井小楠と維新群像の碑

横井小楠と維新群像は、熊本出身の思想家・横井小楠を中心に、坂本龍馬、勝海舟、松平春嶽、細川護久の4人の銅像が並ぶ群像です。

横井小楠と維新群像の碑

横井小楠は、幕末の思想家として、尊王攘夷や開国論を唱え、明治維新の思想的指導者として大きな役割を果たしました。

横井小楠と維新群像の関係性は、横井小楠が明治維新の思想的指導者として、坂本龍馬、勝海舟、松平春嶽、細川護久ら志士たちに大きな影響を与えたことにあります。

横井小楠は、熊本藩の下級武士として生まれ、尊王攘夷や開国論を唱え、幕末の激動の時代を生き抜きました。彼の思想は、坂本龍馬や勝海舟ら志士たちに大きな影響を与え、明治維新を成し遂げる原動力となりました。

横井小楠と維新群像が共にいるのは、横井小楠が明治維新の思想的指導者として、彼らと密接な関係にあったことを象徴しています。

具体的には、横井小楠は、坂本龍馬と出会って尊王攘夷から開国論に転向し、勝海舟には「水戸学」を伝授し、松平春嶽には「文明開化」の思想を説きました。また、細川護久は横井小楠の門下生であり、横井小楠の思想を熊本藩に広める役割を果たしました。

このように、横井小楠と維新群像は、明治維新の原動力となった思想的交流によって結びついたと言えるでしょう。

なお、横井小楠と維新群像は、1923年に建立されました。当時は、明治維新から50年が経過し、明治維新の功績を振り返る機運が高まっていました。横井小楠と維新群像の建立は、明治維新の思想的指導者である横井小楠を顕彰し、明治維新を再評価する意図があったと考えられます。

熊本鎮台司令長官 谷干城像

熊本鎮台司令長官 谷干城像

谷干城像は、熊本出身の陸軍軍人・政治家である谷干城の銅像です。谷干城は、西南戦争では西郷隆盛の側近として戦い、その後は憲政運動に尽力しました。その功績は、大きく分けて3つに分けられます。

1つ目は、西南戦争における熊本城籠城戦の指揮です。西南戦争は、明治政府と西郷隆盛率いる薩摩藩・長州藩の旧幕府軍との戦争です。谷干城は、西郷隆盛の側近として熊本鎮台司令長官を務め、薩軍の猛攻を52日間もの間、死守しました。この功績により、谷干城は「熊本城の英雄」として国民から称えられました。

2つ目は、軍人としての功績です。谷干城は、戊辰戦争では新政府軍の大軍監として活躍し、北関東・会津戦線で勝利に貢献しました。また、陸軍士官学校長や陸軍中将を歴任し、日本の近代軍隊の創設に尽力しました。

3つ目は、政治家としての功績です。谷干城は、明治 18 年に第 1 次伊藤内閣の初代農商務大臣に就任し、政治家としての道を歩み始めました。その後も、貴族院議員として憲政運動に尽力し、立憲政友会を結成して政界に大きな影響力を及ぼしました。

このように、谷干城は、軍人としても政治家としても大きな功績を残した人物です。その功績を称え、像が建立されています。

旧熊本市役所玄関遺構

旧熊本市役所玄関遺構

旧熊本市役所玄関遺構は、1922年から1926年にかけて建設された旧熊本市役所の玄関部分を移築したものです。

旧熊本市役所は、1960年に現在の場所に新市庁舎が完成したことで、取り壊されました。しかし、玄関部分は歴史的価値が高いとして保存されることとなり、高橋公園に移築されました。

玄関部分は、ギリシャの神殿を模したイオニア式の柱廊です。

ギリシャの神殿を模したイオニア式の柱廊 ギリシャの神殿を模したイオニア式の柱廊

第七代熊本市長 高橋守雄先生像

第七代熊本市長 高橋守雄先生像

高橋守雄は、第七代熊本市長として熊本市の近代化、熊本城の復興、市政改革と功績を残した人物です。

高橋守雄は、1883年1月1日に熊本県上益城郡浜町(現・山都町)に生まれました。済々黌、旧制七高造士館を経て、1908年に東京帝国大学法科大学を卒業し、高等文官試験に合格しました。

内務省に入省後、石川県事務官・警察部長、岐阜県警察部長、新潟県警察部長、新潟県内務部長、京都府内務部長、内務監察官等を歴任し、1922年に第7代熊本市長に就任しました。

熊本市長時代には、上水道や市電の整備、旧十三連隊跡の市街地編入の三大事業を完成させ、熊本市の近代化に大きく貢献しました。

また、高橋守雄は、熊本城の復興にも尽力し、1926年に熊本城の天守閣が再建されました。

高橋守雄は、熊本市の近代化と熊本城の復興に大きく貢献した人物として、熊本市民から尊敬されています。その功績を称え、高橋公園に胸像が建立されています。

第七代熊本市長 高橋守雄先生像

近代熊本が詰まった小さな公園

高橋公園

高橋公園は熊本市の歴史と文化を今に伝える重要な場所です。幕末から明治、そして大正時代まで。ここにある遺構や偉人が歴史を紡ぎ、現代の熊本があります。

小さな公園ですが、近代熊本の歴史がぎゅっと詰まっています。

熊本城からも近いです。熊本を訪れる際には、ぜひ高橋公園に足を運んで、熊本市の歴史と文化に触れてみてください。

高橋公園