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城と自然が織りなす幻想的な光景「飫肥城」の見どころ・オススメを徹底解説

城と自然が織りなす幻想的な光景「飫肥城」の見どころ・オススメを徹底解説

城と自然が織りなす幻想的な光景「飫肥城」の見どころ・オススメを徹底解説します。

飫肥城

飫肥城

飫肥城は、宮崎県日南市飫肥にある城です。江戸時代は伊東氏飫肥藩の藩庁として繁栄しました。

歴史

飫肥城は、南北朝時代に土持氏が築城したのが始まりと伝えられています。戦国時代には島津氏と伊東氏の間で 84 年に渡る攻防が演じられました。1587年(天正15年)、伊東祐兵が飫肥城主となり、その後 5 万 1 千石の居城として明治に至りました。

特徴

飫肥城は、酒谷川北岸、シラス台地の地形を利用して曲輪を幾つも並べた群郭式の平山城です。

天守閣は明治維新後に取り壊され、現在は石垣や櫓、城門などが残っています。

指定
  • 日本100名城(96番)
  • 日南市指定史跡
  • 重要伝統的建造物群保存地区
種別
平山城
開門・営業時間
  • 飫肥城 24 時間開門
  • 松尾の丸 9:00 〜 17:00
  • 飫肥城歴史資料館 9:30 〜 17:00
入城・入館料
飫肥城:無料
松尾の丸:大人 300 円, 大学生・高校生 200 円, 中学生・小学生 100 円
飫肥城歴史資料館:大人 300 円, 大学生・高校生 200 円, 中学生・小学生 100 円
定休日
飫肥城は年中無休。歴史資料館・松尾の丸は年末休館(12/29, 30, 31)
喫煙所
無し
アクセス
最寄り駐車場:飫肥観光駐車場
最寄りバス停:飫肥城(飫肥観光駐車場内)
最寄り駅:JR 日南線 飫肥駅(飫肥駅から飫肥城までは徒歩 20 分程度。道中は城下町のため散歩気分で向かうことができます)
所在地
〒889-2535 宮崎県日南市飫肥10丁目1

obijyo.com

飫肥城の見どころ

飫肥城の主な見どころは、以下のとおりです。

  • 大手門
  • しあわせ杉
  • 松尾の丸
  • 旧本丸跡
  • 藩校振徳堂
  • 飫肥城歴史資料館

最寄りの無料駐車場は飫肥観光駐車場

飫肥城への最も近い駐車場は飫肥観光駐車場です。

〒889-2535 宮崎県日南市飫肥9丁目1

飫肥観光駐車場

料金
無料
収容台数
140 台
駐車可能時間
24 時間(入り口が閉まり出庫できないいったことは今のところ無い)
定休日
なし

飫肥城へバスで行く場合はバス停「飫肥城」で下車しますが、飫肥城バス停があるのもこの飫肥観光駐車場になります。

バス停「飫肥城」も飫肥観光駐車場内にある

飫肥観光駐車場にはトイレや「飫肥城下町 案内処」があるので、飫肥城、および飫肥城城下町を楽しみたい場合はこの駐車場一択になると思います。

飫肥城下町 案内処

飫肥城下町 案内処

案内処では、飫肥城のリーフレットや、あゆみちゃんマップをゲットできます。特に飫肥城のリーフレットに見どころがまとめられているので、飫肥城に行く前に必ずゲットしておきましょう。

飫肥城のリーフレットとあゆみちゃんマップ

駐車場から飫肥城まではすぐ

駐車場を出れば、道の先はすぐ飫肥城です。一本道かつ近いので迷わずに行けます。

道の先にすぐ飫肥城

飫肥城の玄関口である大手門が道の先に見えます。

道の途中には、小村寿太郎記念館もあります。

小村寿太郎記念館

大手門

大手門

飫肥城の玄関口である大手門。二重櫓門に分類されます。

昭和 53 年(1978年)に復元されました。

苔の生えた石垣や周囲の緑に完全に溶け込んでいる風景がとても素敵です。

二重櫓門は玄関として城の顔としての優美さを持ちつつも、正面口であることの防御性能も必要なため堅牢な門が要求されます。飫肥城の大手門も例に漏れず、堅い門構えです。

大手門

お手本のような桝形虎口

大手門を抜けると、桝形虎口が現れます。

桝形虎口

飫肥城の桝形虎口はお手本のような構造なのでわかりやすく楽しめます。

桝形虎口

石段を上がると石垣にぶつかり、道は二手に分かれます。

二手に分かれる

左手に進むと、飫肥杉の風景を楽しみながら歩けます。苔の絨毯も美しいです。

左手順路の風景

右手には歴史資料館と石垣が見られます。道は緩い登り坂ですが、石段は低く作られているので歩きやすいです。

歴史資料館と石垣

しあわせ杉

しあわせ杉

飫肥城にあるしあわせ杉は、4 本の杉の木です。

しあわせ杉

4 本の杉の木が四隅に立ち、その対角線の交わる場所に立つと、幸せになれるという言い伝えから、しあわせ杉と呼ばれています。

しあわせ杉

4 本の杉の木の樹齢は、100 年から200 年ほどで、いずれも飫肥杉です。飫肥杉は、宮崎県日南市で産出される杉の木で、耐久性に優れ、美しい木目が特徴です。

しあわせ杉は、平成 16 年(2004年)に NHK 連続テレビ小説「わかば」のロケ地となり、全国的に知られるようになりました。ドラマでは、主人公の若葉が、しあわせ杉の下で、幸せを願うシーンが描かれました。

広場

しあわせ杉の脇、歴史資料館の裏には広場があり、休憩できるベンチやトイレがあります。

広場

この広場から、左手に進むと松尾の丸、正面に進むと旧本丸跡、後ろに歴史資料館があります。

松尾の丸

広場から西に進むと、松尾の丸があります。

階段を上った先に松尾の丸がある

松尾の丸は、江戸時代初期の書院造りの御殿として、昭和54年(1979年)に復元された建物です。江戸時代にあった上級武士の屋敷を再現したもので、江戸時代初期の豊後竹田城や二条城の御殿を参考に作られました。

松尾の丸

御殿の造りも楽しめますが、資料の展示や解説もたくさんあるので、当時の生活の様子なども知ることができます。

都甲家(とこうけ)と荒武家(あらたけけ)の鎧

都甲家(とこうけ)と荒武家(あらたけけ)の鎧

都甲家は家に紙の下級糖上ながら、上や管料の生産(村長のような職)を務めていました。

荒武家は飫肥藩の下級藩士ながら北郷地方で「番所の頭」や地区に住む下級藩士(足軽)の頭である「主取(ぬしどり)」、落主の狩場を守る「狩倉守(かりくらまもり)」、山の管理をする「山方(やまかた)」、参勤交代で「江戸旅」などを務めた家であった。

御座船

御座船

藩主が使用した御座船が展示されています。

西日本の大名は大阪にこの船を置いておき、参勤交代のときに使ったとのことで、大阪と伏見の間を、淀川の水運を利用して移動したんだそうです。

湯殿(蒸し風呂)

蒸し風呂

京都西本願寺にある非公開の重要文化財「飛雲閣の蒸し風呂」を完全に再現したものだそうです。

蒸し風呂、つまりサウナっていうことですね。

蒸し風呂の内部

サウナっていつからあるんだろう。江戸時代には既にあったんですね。

当時の蒸し風呂は、かまどで水を煮て沸騰させ、その上にすのこを張ってそこに座ることで実現していたみたいです。

当時の蒸し風呂

湯殿の裏側にあるかまど

部屋は 20 室以上

松尾の丸には、御座の間、茶室、御寝所、湯殿、台所、御蔵など 20 室以上あり、見ごたえは抜群です。

御座の間

茶室

全部見て回ると 20 〜 30 分程度の所要時間です。かなり充実した内容なので立ち寄ることをオススメします。

旧本丸跡へ

広場から直進すると、旧本丸跡に向かえます。

旧本丸跡へ

右手には飫肥小学校があり、ここの校庭も本丸跡です。

飫肥小学校 校庭

道の先にある石段を上がると旧本丸跡です。

旧本丸跡へ通ずる石段

ちなみにこの石段と共に現存する石垣は、江戸時代初期、箇所によっては安土桃山時代後期の石垣が残っているということです。

最大の観光ポイント「旧本丸跡」

旧本丸跡

旧本丸跡です。沢山の飫肥杉と苔の絨毯が幻想的が場所になっています。飫肥城では最大の観光ポイントです。

沢山の飫肥杉と苔の絨毯

旧本丸跡は、元々本丸御殿があった場所ですが、1600 年代後半に相次いだ地震(3 回)で御殿が壊れてしまったため、現在の飫肥小学校の校庭のところに新しく御殿を作り直したのだそうです。

登竜門

旧本丸跡には「登竜門」という薬医門があります。

登竜門

薬医門とは、城の正門である大手門の前に建てられた門で、主に門番や警護の役割を担っていました。薬医門は、門の左右に薬医と呼ばれる小屋が付属していることから、この名で呼ばれています。

登竜門

飫肥城の登竜門は、入母屋造りで、本瓦葺です。高さは約 10 m、幅は約 6 mです。門扉は木製の引き戸で、高さは約2.5m、幅は約3mあります。門扉には、伊東家の家紋である「竹に雀」が描かれています。

登竜門

登竜門からは、飫肥小学校の校庭が見渡せます。

登竜門から飫肥小学校の校庭を見渡す

歴史と時間の経過が織りなす幻想的な光景

旧本丸跡では、無数の飫肥杉と苔の絨毯が織りなす幻想的な光景に出会えます。

旧本丸跡

これこそ飫肥城最大のポイントであり、是非ここには来てほしいなって思います。本当にすごいですよ。人口のオブジェクトは登竜門を除いたらありませんが、自然が作り出した幻想的な光景が、歴史と時間の経過を感じずにはいられません。

旧本丸跡

歴史資料館

飫肥城 歴史資料館

歴史資料館には、飫肥藩伊東家や家臣達に伝えられてきた、甲胃・刀剣・武具・古文書・衣服等飫肥藩ゆかりの歴史資料、約 220点が展示・保管されています。

歴史資料館は、その歴史的価値のある資料を守るため、室内温度などが常に一定に保たれている関係で、入り口が 2 重になっています。

歴史資料館 入り口を入ったところ

資料館内では甲冑や着物、刀など、貴重な資料と解説が展示されています。

伊東祐兵(いとうすけたけ)着用甲冑

伊東祐兵着用甲冑

伊東祐兵は、初代の飫肥藩の藩主で、豊臣秀吉に使えて功績を挙げ、1587 年に飫肥城を与えられた人です。

着物の展示

刀の展示

展示も沢山ある上、解説も細かくされているので楽しいです。

プロジェクションマッピングと映像のコンテンツもありました。

プロジェクションマッピングと映像コンテンツ

中でも結構楽しかったのは、「実際に持ってみよう」シリーズです。

火縄銃を持ってみよう

刀を持ってみよう

火縄銃と刀を実際に持ってみることができます。

火縄銃は 1800g, 刀は 820g ですが、細長い形状ということもあり、見た目や数字よりも重たく感じました。

これは子供も大人もテンションが上がるコンテンツです。

こんな感じで、ただ展示だけじゃなくてコンテンツも充実しているので、歴史資料館は行く価値アリの施設です。

充実した展示とコンテンツ

歴史と自然とコンテンツ

歴史資料館と石段

飫肥城でとても良いなって思ったのが、苔生した石垣です。

石垣と飫肥城鐘楼(左)

これらの石垣や苔は、歴史の深さを実際の時間の経過で実現し、今もそこに在るという、大変貴重なものであるのと同時に、景観が美しいです。

石垣の苔

日本は明治に近代化し西洋の建物が一般化しました。廃城令が出た時点で新たに築城される城はなくなりましたので、どんなに新しくても江戸時代が歴史の終着点です。

飫肥の土地や地名(飫肥郷)に関する歴史は平安時代に遡ります。飫肥城が築城された年号ははっきりしていないということですが、南北朝時代(1336 〜 1392年)には存在していたのではと推定されています。

つまり 600 年以上の歴史を積み上げた姿がそこにあり、時間の経過と共に変化してきた人工物と自然との調和に趣を感じられ、見て回っていてとても素敵でした。

時間の経過と趣

石垣

また、飫肥城には天守がありませんが、歴史資料館や松尾の丸の中にはたくさんの資料の展示や解説があり、飫肥城や飫肥藩を知る上で十分なコンテンツが用意されています。

併せて、飫肥城には飲食店はありませんので、見て回ってお腹が空いたら、飫肥城下町へ繰り出して美味しいものをいただくという流れがあるのも素晴らしいです。

歴史に思いを馳せながら、城と自然が織りなす幻想的な光景を、あなたもぜひ飫肥城で体験してみてください。

飫肥城