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スリル満点海抜 325m!最強の石垣を持つ難攻不落の天空城「岡城」

スリル満点海抜 325m!最強の石垣を持つ難攻不落の天空城「岡城」

絶景とスリルの連続!「最強の石垣」と謳われる岡城(豊後竹田城)の見どころや役立つ情報を紹介します。

岡城

岡城

大分県竹田市にある岡城は、日本の代表的な山城のひとつです。阿蘇山の火砕流でできた海抜 325 mの岩山の上に築かれており、断崖絶壁に囲まれた難攻不落の要塞として知られています。

また、滝廉太郎が幼少期を過ごした地としても知られており、有名な曲「荒城の月」は岡城がモチーフとなっています。

別名
  • 豊後竹田城
  • 臥牛城
指定
  • 国指定史跡
  • 日本100名城
  • 日本さくら名所100選
入城受付時間
9:00〜17:00
休城日
12 月 31 日 〜 1 月 3 日
入城料金
高校生以上:300 円
小・中学生:150 円
所要時間
1 時間半から 2 時間
禁煙・喫煙
駐車場にある「お客様休憩所」脇に喫煙所あり
所在地
〒878-0013 大分県竹田市竹田2889

okajou.jp

岡城跡へのアクセスについて

岡城跡へ行くなら、車で行くのが最も良い手段です。

ただし、車が無い場合でも、豊肥本線「豊後竹田駅」からタクシーで約 10 分なのでこちらもオススメです。

竹田市は城下町で観光地のため、豊後竹田駅に行けばタクシーには確実に乗れます。豊後竹田駅には観光案内所もあるので、駅まで行ってしまえば観光案内所が力になってくれるので、岡城には確実に行けます。

バスでのアクセスは候補から外すのが無難です。岡城跡には「岡城」というバス停がありますが、路線バスが平日のみで 1 日に 2 便程度のためバスを利用するのは現実的ではありません。

徒歩もやめておいたほうが良いです。豊後竹田駅から徒歩でも行けないことはないですが、、公式サイトには徒歩 30 分とありますが、登り坂がきついのオススメできません

岡城跡の散策は結構歩くので、それまで体力は温存しておくことをオススメします。

岡城の歴史

以下に、岡城の歴史を簡単にまとめます。

  • 文治元年(1185年):緒方三郎惟栄によって築城
  • 南北朝時代(1369年):志賀氏が城主
  • 戦国時代:中川氏が城主
  • 豊薩合戦(1586年):島津軍の侵攻を阻む
  • 江戸時代(1594年):中川氏が城主
  • 明治時代(1874年):廃城令により廃城

岡城は、稲葉川と白滝川に挟まれ断崖絶壁の地に築かれた山城です。その歴史は古く、緒方三郎惟栄(おがたさぶろうこれよし)が源義経を匿うために築城したという伝説にはじまります。

その後、時は流れ、岡城は志賀氏の居城となりました。天正 14 年(1586年)の豊薩戦争では、周辺の城が次々と島津軍の攻撃で落城していく中、志賀親次(しがちかよし)が守る岡城だけは攻め落とされることはありませんでした。以降、「難攻不落の城」として、その堅固さが世に広く知れ渡るようになりました。

戦国時代末期の文禄 3 年(1594年)、播磨国(兵庫県)三木より入部してきた中川秀成により、岡城は、それまでの山城から総石垣の広大な近世城郭へと変貌を遂げました。

大手門・近戸門・下原門が設けられ、御殿など多くの建物が建ち並びました。また、度重なる災害による建替えや破損の修繕が繰り返されてきました。

明治時代になり、廃城令により役目を終えた岡城の建物は競売にかけられ、石垣のみが残る城跡になりました。瀧廉太郎の名曲「荒城の月」は、少年時代を竹田で過ごした彼が、よく遊んだ岡城跡を思って作曲したといわれています。

昭和 11 年(1936年)、岡城は国の史跡に指定され、現在に至るまで保存整備が行われてきました。

スリル満点!海抜 325m 断崖絶壁から臨む絶景

岡城のメインコンテンツといえば、海抜 325m から臨む絶景です。

岡城から臨む絶景

手すりなどをつけていないので、気をつけないと、石垣から滑落してそのまま崖の下へ落ちてしまいます。絶景に気を取られて足を滑らせないよう気をつけてください。

できれば運動靴で!かなり広くてそこそこ歩くし階段もなかなか

岡城の全体感です

天空の城 岡城址マップ [PDF] より

天守閣や資料館的なものは無く、あくまでも公園として散歩がてら岡城を巡るような形になります。

ただ、意外と広いので、そこそこ歩きます。

所要時間

ゆっくり見てまわるとして、1 時間半から 2 時間はとっておくと余裕をもったスケジュールにできます。

ちなみに、マップ No. 2 の大手門から、もっとも離れている No. 17 の下原門までは、歩いて 15 〜 20 分程度かかります。

所要時間

駐車場は無料で十分な広さ!RV パークも

岡城跡の駐車場は無料です。車は 140 台、バスは 9 台止められます。

岡城跡駐車場マップ

岡城跡駐車場

RV パークもありました。キャンピングカーでも安心です。

RV パーク

観覧券を購入して城内へ

岡城跡に入るには、観覧券発売所(総役所跡)で観覧券を購入します。

観覧券発売所(総役所跡)

大人は 1 人 300 円。観覧券とパンフレットをもらいます。

料金は大人 300 円

岡城までの道のり

それでは出発です。岡城の入り口へ向かいましょう。

駐車場から岡城までの道のり

距離にして約 180m、 2, 3 分の道のりです。

大手門跡

鏡石(きょうせき)

石垣の中に、巨大な岩が使われているところがあります。鏡石と言います。

鏡石

鏡石とは、石垣の内部に埋め込まれた、磨き上げられた大きな石のことで、岡城では、大手門・太鼓櫓門・三の丸の三箇所に計10個の鏡石が確認されています。

鏡石は、石垣の強度を高める役割を担うといわれています。石垣の内部に大きな石を埋め込むことで、石垣全体に均等に力が分散され、崩れにくくなると考えられています。また、鏡石は、石垣の装飾としても用いられました。鏡石が磨き上げられていることから、城主の権威や繁栄を誇示する目的もあったと考えられています。

出発地点でこういった珍しいものが見られるのでなかなか楽しいです。まだ岡城に入れていないのに。先を急ぎましょう

阿蘇溶結凝灰岩の岩壁

岡城は天然の岩山の上に築城されていて、その様子を伺うことができます。

こうした岩山の上に岡城が建っている

岡城を形成する断崖絶壁は、阿蘇山の噴火により流れ出した火砕流でできた阿蘇溶結凝灰岩の岩盤です。阿蘇溶結凝灰岩で形成された大地を、長い年月をかけて河川が削り、深い谷と断崖絶壁による要害堅固な岡城の地形が生み出されました。

自然が作り出す岩山は、間近で見ると迫力があります。

道中にはおみやげ屋さんも

道は舗装されているので歩きやすいです。

岡城への道

岡城への道には、ちょっとしたおみやげ屋さんもあります。

おみやげ屋さん

このおみやげ屋さんは、元は鉄砲方詰所跡だったようです。

鉄砲方詰所跡

こちらは「大手門」というおみやげ屋さん。竹細工、木工細工など民芸品が多く販売されていました。

おみやげ屋さん「大手門」

そんなこんなで楽しみながら歩いていると、岡城の入り口が見えてきました。

岡城の入り口

難攻不落の城あるある「きつくて長い階段」

岡城

ここが岡城の入場口です。ここから岡城へ入っていきます。

岡城入場口

階段ですが、段差は低いのでゆっくり上っていけます。

半分くらい上ってきた

岡城への階段

サイドの石垣も、苔むしていて趣があります。時代を感じますね。

石垣

石垣

そして、この時点で結構眺めが良いです

眺めが良い

階段折返しです。なかなか足腰にきますね。

まだまだ続く階段

元々ある石段よりも、新設された階段のほうが段の高さが低いので上り易くてオススメです。

階段は 2 種類ある

なんとか上ってきました。

二回戦目もどうにか上った

この時点で結構高いところまできています

階段2回戦で結構高いところまで上ってきた

ここまでくればあと少し。大手門がすぐそこです。

あと少しで大手門

大手門跡

大手門跡

櫓は取り壊されてしまったので現在は石垣のみ。でもめちゃめちゃ大きくて迫力があります。

大手門跡

そして大手門をくぐると、雄大な景色が目に飛び込んできます。

雄大な景色

大手門の先は広場のようになっていますが、枡形が形成されていたのがよくわかります。

大手門の先の広場

大手門の先の広場

古大手門跡

古大手門跡

古大手門跡は、現在は石垣のみが残る、岡城の旧大手門の跡です。

古大手門は、南東方向に開き、本丸と外部をつなぐ重要な門でした。築城当初は、この門が岡城の唯一の門であったと考えられています。

古大手門の石垣は、高さ約 7 メートル、幅約 10 メートル、奥行き約 5 メートルの巨大なもので、石垣の表面には、当時の技術の高さがうかがえる、精巧な石積みが施されています。

古大手門は、江戸時代初期に現在の大手門に改修されたため、現在は石垣のみが残っています。

中川但見屋敷跡

中川但見屋敷跡は、西の丸周辺に存在する三つの家老屋敷の一つです。この屋敷跡は、大手門から本丸へ向かう桜馬場跡の左側に位置します。桜馬場跡 沿いに正面入り口があり、その入り口は石段を伴う門となっていました。

また屋敷跡は、中川秀成が入部した際に、岡城築城着手から本丸完成までの間、仮屋敷として過ごしたところです。

中川但見は元亀年間より太祖中川清秀の老職として仕えた戸伏氏の家系 2代藩主久盛の代に中川姓を名乗り歴代藩主の老職として仕えています。

中川但見屋敷跡

めちゃめちゃ広い。どれだけ大きなお屋敷だったのでしょうね。

また、中川但見屋敷跡からの景色も良いのでオススメです。

中川但見屋敷跡からの景色

さまざまな遺構たち

岡城には、現在も様々な遺構を見ることができます。

西中仕切跡(貫木門跡)

西中仕切跡(貫木門跡)

城内で最も狭い空間で、石垣により通路を折り曲げ、敵が直進できないようにしていました。また、その先を門により遮断するととで、大手門方面から岡城中心部へ向から敵の侵入を防ぐ機能も有していました。

本丸の東側には東中仕切があり、西中仕切と同様に重要な防御施設の役割を果たしていました。

鐘櫓(かねやぐら)跡

鐘櫓跡

太鼓櫓(たいこやぐら)跡

太鼓櫓

太鼓格は岡城の中心部への入口で、城内で最も重要な門です。

2m ほどの巨石を「切込接」という石積の技法を用い隙間なく積まれた石垣は、落主の権威の象徴であり、岡落の石積技術の高さが窺えるものとなっています。太鼓格に隣接して錨があり、火災や緊急時には、銅館が打ち鳴らされていました。

下原門(しもばるもん)跡

下原門

下原門は、岡城の撮手(裏口)の間として使用されていました。中川氏入部以前は、ここが大手間として使用されていたと伝われています。下原門東側の石垣には、石垣のズレを防ぐために、石材にホゾを切り、石をはめ込んだ「千切」と呼ばれる珍しい技法が用いられています。

下原門

三の丸跡

三の丸跡

三の丸は、他落からの使者や家臣が、落と対面する場であったとされています。現在は、3代落主に落政に関する指南を行った熊沢蕃山や幕末の勤王の志士である小河一敏など、岡落に緑のある人物の頭確が建立されています。

三の丸は西側に「太鼓門」、東側に「御門」(理御門)の2箇所に入口がありました。「太鼓門」を入ると石垣に囲まれた枡形の虎口が形成され、三の丸への通用口(幅5m) と藩主専用の「御成門」(幅 2m) の石段が2箇所あります。三の丸の周囲には、各種のが建てられ、中央に殿舎が位置していました。殿舎は、四十畳の「寄附」や三十畳の「御広間」があり、御広間には床、棚、書院等の座敷飾りがみられ、上ノ間として使用されていました。

三の丸は他藩の使者や家臣が落主と対面する場として使われていたと考えられます。殿舎のあった位置には、以後士蔵が建てられ上壁の跡が今でも残っています。

二の丸跡

二の丸跡

二の丸は、北の方角に張り出したし 字状の地形をなしています。中央に御殿を配し、御玄関を入ると台所まで大広間が続き、地形に沿うように老松ノ間から山吹ノ間まで書院が形成されていました。また、北端の突出したところには数寄屋風の覚橋、東端に風呂屋が造られていました。

月見格は、外側に縁が巡らされた量後が設けられていました。防御を目的としたものではなく、詩歌や茶の湯、酒、書画、音楽などが楽しまれていました。政務の場と遊興の場を併せ持つ月見橋は各部に意匠が凝らされていたことが絵図などから窺えます。

風呂屋は、石垣から張り出した足場を組んだ二階建ての建物で、一階に風呂、二階に畳の座敷や涼をとるための習子線が設けられていました。また、二階からは箱階段で本丸月見櫓へ通じていました。

二の丸は、軍事的要素の強い各郭とは対照的に和やかで優雅な趣のある建物を有するという間城の中で特徴的な施設で、遊興の場として使用されていたと考えられます。

二の丸跡

二の丸には、月見や御風呂屋など、特徴的な機能を持つ建物が並んでおり、来客の歓迎や落主の愉しみの空間としで利用されていました。現在は、来城者のための休憩所が設けられています。

二の丸休憩所

また、二の丸からの眺めも開けていて良いです。

二の丸からの眺望

滝廉太郎像

滝廉太郎は幼少期を竹田で過ごし、岡城にも良く遊びに来ていました。代表曲「荒城の月」は、この岡城をモチーフにして作曲されています。

滝廉太郎像

滝廉太郎は、明治時代に活躍した日本の作曲家です。1879 年(明治12年)に東京で生まれ、わずか 23 年 10 か月という短い生涯の中で、日本における西洋音楽の普及や音楽教育に大きな役割を果たしました。

廉太郎は、幼い頃から音楽に親しみ、12 歳のときに東京音楽学校(現・東京藝術大学)に入学しました。作曲家として頭角を現したのは、19 歳のとき、歌曲「花」を発表してからです。この曲は、日本を代表する歌曲のひとつとして、今でも多くの人に愛されています。

廉太郎は、歌曲だけでなく、唱歌や管弦楽曲など、さまざまなジャンルの音楽を作曲しました。代表作には、歌曲「荒城の月」「箱根八里」や、唱歌「お正月」などのほか、管弦楽曲「交響曲第1番」などがあります。

廉太郎は、23歳の若さで亡くなりましたが、その短い生涯の中で、日本音楽界に大きな足跡を残しました。

滝廉太郎像

本丸跡

本丸跡

本丸は、岡城中心部の最も重要な曲輪であり、中央部には藩主の住まいとなる本丸御殿が建てられていました。本丸御殿を取り囲むように、天守に相当する御三階櫓や角、多門格、金倉などが配置されていました。

現在は広場になっていて、絶景ポイントです。岡城天満神社もあります。

本丸跡

ここも手すりなどはないので、絶景に夢中で落ちないように注意しましょう。

絶景ポイント

絶景と歴史と彩り

岡城は歴史と自然が融合した観光スポットでもあり、四季折々の植物を見ることもできます。例えば春には桜の名所としても知られています。

岡城を彩る植物たち

紅葉もめちゃめちゃきれいです。

岡城の紅葉

素敵な景色に、鮮やかな花々。歩いているだけで心が洗われます。

結構広いので歩くのが少し大変なのと、大手門までの階段もそこそこ頑張る必要がありますが、それ以上に感動の風景に出会えます。

是非、この素晴らしい場所で日本の過去と現在を感じながら、旅を楽しんでください。