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大手門〜訪問者を迎える正門。しかしその正体は、敵を追いつめる追手門〜

大手門〜訪問者を迎える正門。その正体は、敵を追いつめる追手門〜

大手門(おおてもん)は、日本の城郭や寺院などに見られる重要な建築物の一つです。

大手門の役割や建築様式について詳しく解説します。

役割

大手門の第一の役割として、建築物や境内への正式な入口として機能します。これは正門としての役割を果たし、訪問者や参拝者を迎える場所として重要な「城の顔」でもあります。

そんな大手門はしばしば堂々とした外観を持ち、その建築様式やデザインには美的な要素も含まれます。また、歴史的な背景や宗教的な意味合いを持つこともあります。

一方で大手門は、本来は追手門(おうてもん)といいます。追手とは、敵を追いつめる方向にあるという意味で、籠城のとき敵を正面に追いつめて戦闘を一箇所へ集中させる目的があります。

この役割から、大手門の先は枡形が構築されているところが多く見られます。これも大手門とセットで、敵の攻めを鈍らせる目的があります。

このように大手門は、城の正面に位置する門でありながらも、同時に防御上における重要な攻撃戦略でもありました。

姫路城 大手門

建築様式

大手門の建築様式は、場所や時代によって異なります。

日本の歴史を通じて、さまざまな時代の建築様式が採用されてきました。

例えば、平安時代には平安京の門に見られるような平安時代の建築様式が用いられ、戦国時代には合戦に備えて要塞化された門も存在します。

大手門は通常、重厚な木造構造で作られ、屋根には瓦が使用されることが多いです。また、装飾的な彫刻や彩色も見られ、美しいデザインが特徴です。

歴史的な例

有名な大手門の例として、京都の平安神宮の大鳥居、日光東照宮の二荒山神社の大楼門、大阪城の大手門などがあります。これらの門は歴史的に重要で、観光名所としても知られています。

大阪城の大手門 大阪城の大手門

宗教的な意味

寺院の場合、大手門は仏教寺院において重要な象徴的な位置にあり、仏教の教義や信仰に関連した象徴的な要素を含むことがあります。また、仏教の教えや歴史的な出来事に関連する彫刻や絵画が描かれることもあります。

大手門は日本の建築文化や歴史において重要な役割を果たす建築物であり、そのデザインや機能は時代や地域によって異なります。訪れる際には、その建築物自体だけでなく、その歴史や文化的背景にも関心を寄せることができます。

大手門の構造

大手門の構造は、大きく分けて以下の3つに分けられます。

  • 櫓門
    • 城門の上に櫓を建てた門。櫓には武士や弓兵が配置され、城郭の防御に当たった。
  • 枡形
    • 門の前後に石垣や塀を築き、敵がまっすぐに城内に侵入するのを防ぐための構造物。
    • 城郭の外側と内側をつなぐ通路。土橋や石橋などがある。

櫓門(やぐらもん)

櫓門(やぐらもん)は、城門の上に櫓を建てた門です。櫓には武士や弓兵が配置され、城郭の防御に当たりました。また、櫓門は城郭の正門であり、城主の威厳を示す象徴でもありました。

櫓門の構造は、大きく分けて以下の3つに分けられます。

  • 高麗門
    • 門の上に櫓を建てた門。
  • 渡櫓門
    • 門の左右に櫓を建てた門。
  • 連立門
    • 複数の櫓門を連結させた門。

枡形(ますがた)

枡形(ますがた)は、門の前後に石垣や塀を築き、敵がまっすぐに城内に侵入するのを防ぐための構造物です。枡形は、敵が城門に到達するまでに、複数の障害を乗り越えなければならないため、敵の侵入を防ぐ効果がありました。

枡形の構造は、大きく分けて以下の2つに分けられます。

  • 単枡形
    • 門の前後に1つずつ石垣や塀を築いた枡形。
  • 複枡形
    • 門の前後に複数の石垣や塀を築いた枡形。

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大手門の手前に橋がかかっている城も多いです。城の周囲に掘を造り水を引き込み、橋を大手門を掛けることで敵が本丸へ攻め込む進路を限定する役割があります。

そのため、大手門へ向かうための橋は城郭の外側と内側をつなぐ通路となるわけですが、その橋に関しても土橋や石橋など種類があります。

土橋は「土で築いた橋」ですが、石橋よりも建設コストが安く、施工も容易であるため、多くの城郭で採用されました。

石橋は「石で築いた橋」です。土橋よりも耐久性があり、敵の攻撃に強いという利点があります。

大阪城に現在も残る追手門としての機能

ここまで説明した、大手門・追手門を中心とする城の防御戦略「櫓門」「桝形」「橋」を大阪城で見ることができます。

大手門に架かる橋

大手門に架かる橋

大手門を抜けるとすぐに枡形

枡形

そして枡形の先には櫓門です。

櫓門

大手門の歴史

大手門の歴史は、日本の城郭の歴史と密接に関係しています。

日本に城郭が登場したのは、平安時代に遡ります。この頃の城郭は、簡易な土塁や堀で囲まれたものであり、大手門は特に重要な構造物ではありませんでした。

大手門が重要視されるようになったのは、戦国時代に突入してからです。戦国時代は、合戦が頻繁に行われ、城郭の防御力が重視されるようになりました。そのため、大手門も、敵の侵入を防ぐための重要な構造物として発展していきました。

江戸時代には、徳川幕府による全国統一が進み、城郭の建設が盛んに行なわれました。この頃の城郭は、大手門も含めて、より豪華で壮麗なものとなりました。

明治維新以降、廃城令が下り城郭も取り壊されていく中で大手門も多くが失われました。しかし、近年では、城郭の保存・復元の動きが活発化しており、大手門の姿を見ることができる城郭も増えてきています。

真逆の役割を 1 つの門が担う究極の機能美。

大手門は、城主の威厳を示す象徴でもあり、城郭の外観を左右する重要な要素でもありました。また一方で、城郭の防御にも重要な役割を果たしました。

また、大手門のデザインは、その時代時代の建築様式や美意識を反映したものであり、貴重な文化的遺産となっています。

日本には現存する大手門が数多くあります。これらの大手門は、いずれも歴史的・文化的価値の高い建造物であり、城郭の魅力を今に伝えています。

高知城 大手門


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