週末はじめました。

日常ではない何者かになりたいわたしの旅や遠足、自然に癒やされたいわたしのキャンプ・アウトドアの記録

美しすぎるスーパーウーマン。難攻不落の日本三名城「姫路城」

姫路城

姫路城に行ってきました🥳🏯✨

姫路城

姫路城

姫路城

姫路城は 1346年に築城された、別名「白鷺城(はくろじょう・しらさぎじょう)」とも呼ばれる、外観の美しさが特徴的な城です。

〒670-0012
兵庫県姫路市本町68

  • 開城時間:9:00 〜 16:00(閉門 17:00)
  • 休城日:12月29日, 30日
  • 入城料金
    • 大人(18才以上)1000円
    • 小人(小学生・中学生・高校生)300円

www.city.himeji.lg.jp

姫路城は歴史的価値のあるお城なので、以下に登録されています。

  • 世界遺産
  • 国宝
  • 重要文化財
  • 特別史跡
  • 日本 100 名城

タイトル総なめですごい!!

でもこれは、実際に訪問すると納得のお城でした✨

映画「007 は 2 度死ぬ」のロケ地にもなった

姫路城って実は 1967 年に公開された映画 007 シリーズ「007 は 2 度死ぬ」のロケ地にもなったんですよね

この作品の舞台は日本なんだけど、この姫路城が作戦本部みたいになって後半あたりで出てきます

ジェームズ・ボンドがヘリコプターから姫路城にログイン

共演しているのが丹波哲郎さんなんだけど、英語もペラペラでイケメン!

三の丸広場に降り立つジェームズ・ボンドと迎える丹波哲郎

ということで、巡ってきましょう🥳

桜門橋

桜門橋

姫路城を訪問するとまず渡ることになるこの「桜門橋(さくらもんばし)」

姫路城の玄関口である桜門橋は木の風合いが美しい橋で、遠くに見える天守や次にくぐる大手門との風景が最高にこれからの姫路城めぐりへの気持ちを高まらせてくれます✨

桜門橋から臨む天守と大手門。のっけからこの景色を目にしたらわくわくが止まらない!

大手門

大手門

まさに姫路城の玄関。すごく大きくて迫力があります。

大手門

姫路城三の丸広場

大手門を抜けると、すぐにとても広い広場があります。

姫路城三の丸広場

この開放感✨

姫路城はすごく広く、お城自体も大きいんだなって見ただけでわかります。

天守も存在感ありますね

広場から臨む天守

さて、整備されていてとても綺麗な通路を歩いてお城へ向かいます。

お城に向かって時計回りの道を歩いてお城へ

途中、お土産屋さん「西の丸茶店店(にしのまるちゃみせてん)」がありました

西の丸茶店店(にしのまるちゃみせてん)

入場受付のあたりまで来て、いよいよ天守も近くなってきました✨

入城口付近の様子

いざ、入城!

入城口の様子

平日だったこともあって、待ち時間なしで入れるみたい✨

この日もそこそこ人はいたけれど、休日はやっぱり混むのかな?

受付で入城券を購入します。

入り口

こんな感じで入城券はタッチパネル式の券売機で購入できるようになってました 🎫

タッチパネル式の券売機

クレカとか交通系 IC、電子マネーが支払いに使えるのがうれしいね😊✨

( paypay は使えなかったので私は現金で支払いました😇)

ということで、入場券をゲット!

姫路城入城券

入り口ゲートをくぐると一気にお城感出てきます

入り口ゲートくぐってすぐはこんな感じの様子

この石垣の感じもテンション上がります✨

このぎゅっとした感じの石垣が良いのよね

菱の門(ひしのもん)

そんなこんなで、天守に向かってこれから進行して参りましょう🥳

菱の門と天守

天守までは長い道のり。だがしかし

たくさんのお城に来たことがあるわけじゃないけれど、入城口から天守までもそこそこ距離があって姫路城は全体的に広いなって思いました。

でも道中に見どころが結構あって、ツアーしているみたいで結構楽しかったです✨

天守と周辺の画の美しさ

ここは将軍坂。結構迷路みたいに細い道もあって、景観にわくわく。

こういうところの雰囲気、時が止まったみたいでいいですよね。

将軍坂

壁に開いている四角や三角の穴は「狭間(さま)」と言って、円形や三角の狭間からは鉄砲を打ち、長方形の狭間からは矢を射ることができるように作られているのだそうです。

防御用の壁の穴

先に見えるのは「はの門」上の写真で天守が一緒に写っていますが、敵に天守閣がすぐそこだと錯覚するように造られているのだそうです。

(それが現代では格好のフォトスポット)

はの門

こんな感じで狭い道もありますが、櫓の白壁が空に映え、所々で姿を現す天守の壁と屋根瓦のコントラストにも心が踊ります。

天守

こちらは「にの門」

敢えてめっちゃ狭く造ってあって、敵が一気に攻め込めないようになっています

にの門

しかもただ狭いだけじゃなくて曲がってるんです。これでは馬で突撃は絶対に無理ですよね。

にの門の内部は、狭い上に右折している。

これまでそこそこ細い道を進んできたのですが、にの門を出たら、一気に視界が開けました。

姫路城の天守

いよいよ天守の足元までやって来ました。

三の丸広場では小さく見えていた姫路城大天守も、この辺までくると大きいです。

天守まであと少し

ほの門をくぐって先を急ぎます。

ほの門

ダイナミックな天守の足元

このあたりまで進んでくると、もう天守の足元なので所狭しと見どころが現れます。

イの渡櫓

ロの渡櫓(腰曲輪)

姫路城の天守は「連立式天守閣」といって、「大天守」「小天守」とそれらをつなぐ「渡り櫓」で構成されているのですが、下から見上げてもこれらのラインの交差と重なりが美しかったです。

連立式天守郡

水の五門

さて、ここからついに天守へと入っていきます。

姫路城 大天守

地階

大天守 地階 案内板

扱い的には地下 1 階にはなるようですが、地中に埋まっているわけではなく石垣の中にあるので外から光は入ってくるし閉塞感は全然ない感じでした。

地階の様子

写真右に見えている西大柱はお城を支えている大黒柱の一つで、この柱が上の階まで伸びてるんですね。

一階・二階

最初に言っておくと、写真が混ざっちゃって一階のものか二階のものか、どっちのかよくわからなくなってしまいました😇笑

なのでここはまとめますね

大天守 一階 案内板

大天守 二階 案内板

通路が多かったですが、鉄砲や槍、弓などを置いておく「武具掛け」や、火縄や鉄砲の弾を入れた袋などをぶら下げておく「用具掛け」、大きな梁や側面の木材の風合いなど、楽しめるポイントとても多かったです

武具掛け

鉄砲や槍、弓などを置いておく「武具掛け」

ちなみにこっちは天守ではなくて「ハの渡櫓」になりますが、こっちにも武具掛けありました。

割りと至るところに武具掛けがあった(写真右)

用具掛け

火縄や鉄砲の弾を入れた袋などをぶら下げておく「用具掛け」

用具掛けは最初、鳩とかカラスが留まるのを防ぐやつかと思った。というか、位置が高すぎてあんなところに袋をぶら下げることなんてできたの??という気持ちには正直なりました😇

だって高さこんなんよ😇

用具掛けの位置、高くない?

武者走り

さて、こちらの通路は「武者走り」と呼ばれていて

「武者走り」

戦闘中はここを武士が走り回って、右側にある格子窓から鉄砲を撃ったりするので「武者走り」と呼ばれているのだそうです。

たしかに廊下長いですよね。

個人的には、天井の風合いや梁が趣あって素敵ポイントでした。

天井の風合いや梁が趣あって素敵

三階

大天守 三階 案内板

三階の様子

四階

大天守 四階 案内板

四階の様子

五階

大天守 五階 案内板

この辺までくるとだいぶ位置も高くなってきて、窓からの形式もなかなかの高さになります。

五階からの景色

地階にもあった西大柱、ここまでしっかり伸びてますね。すごい。

左側上り階段に脇に西大柱

階段はそこそこ急で、さすがお城といった感じです。

六階

ついに来た、最上階。

大天守 六階 案内板

最上階なので広いわけではないですが、細々した部屋もないので開けてて開放感あります。

ワンルームなので開放感はある

長壁(刑部, おさかべ)神社

御祭神が祀られていました。火災や災いから救ってくれる神様なんだとか。

御祭神

江戸時代には地上にあったものを近代でこちらに持ってきたんだそうです。

(ひとまずお賽銭してご挨拶。。。)

幻の窓

6 階は壁面すべて窓が開けられる予定だったけど途中で設計が変更になったので四隅の窓は塞がれたんだそう

写真右上の壁みたいになっているところが塞がれたところ

最上階からの眺望

他のお城のように、ベランダ的なところはありませんでしたが、6 階まで上がってきたこともあり眺めはとても良かったです。

最上階からの眺望

下の写真の中央左に見えている赤壁の建物は姫路市立美術館

姫路市立美術館(中央左の赤壁の建物)

ここ、元々は旧第十師団兵器庫だったっていう話でちょっと驚きでした。

事前に知ってたら行ったんだけどな。。多分赤レンガなんですよね?外観とか見たかったー!!

こうして後から振り返って知ることも多いので、また訪問する理由ができました。これだから旅はやめられないですね。

「備前丸」最も近くで堪能する姫路城の美しさ

姫路城の優美さを最も堪能できるスポットは「備前丸」という、昔御殿があった場所で、今は広場になっているところです。

天守見学の順路が終わって出口を出ると、

天守見学の出口を出たところ

とても開けた場所に出ます。

備前丸(現在は広場になっている)

「さっそく広場に下りてみよう!」

という気持ちが足を早めるのですが、ここで一旦落ち着いて。

出口で後ろを振り返ると、、

姫路城天守閣

なんと雄大な✨

これまでずっと天守の中にいたので、姫路城と大きな空のコントラストに感動できます。

白壁と瓦のコントラストも相変わらず素敵

どこから眺めても画になる姫路城天守閣

備前丸(広場)の全体感はこんな感じになっていて、一休みもできそうでした。(トイレもありました)

備前丸(広場)

そして、備前丸から眺める姫路城天守閣がこちら

姫路城天守閣

なんとも優美な✨

ここまでそこそこ歩いて、天守にも上ったので、一息入れつつ眺めるこの光景は最高以外のなにものでもなかったです💕

西小天守(左)と天守(右)

姫路城

備前丸は小高い丘になっているので、街の眺望も良かったです✨

ちょっと石垣がかぶっちゃってますが眺めは良かったです

お菊井戸

姫路城といえば「お菊井戸」ですね。怪談話で有名なので聞いたことある人も多いと思います。

備前丸を出て進んだところにあります。

お菊井戸のあるところ

お菊井戸

お菊井戸の案内板

この井戸は、播州皿屋敷の怪談で知られる「お菊井戸」といわれています。

永正年間(1500年頃)、姫路城主小寺則職の執権青山鉄山は町坪弾四郎と語らい、城を奪おうと企てていました。則職の忠臣衣笠元信は、お菊を青山家に女中として住み込ませ、その企てを探らせました。

則職暗殺を探知したお菊が元信に知らせたため、則職は家島(姫路市)に逃げて殺されずにすみましたが、城は鉄山に乗っ取られました。

お菊の動きを知った弾四郎は、お菊を助ける代わりに結婚を強要しました。元信を慕うお菊はそれを拒みました。

弾四郎はそんなお菊を憎み、青山家の家宝の10枚揃いの皿の1枚を隠し、その罪をお菊にかぶせて責めあげました。

それでも弾四郎を拒むお菊は、ついに切り殺されて井戸に投げ込まれました。

その後、毎夜この井戸から「1枚2枚3枚・・・9枚」と9枚目まで何度も数えるお菊の声が聞こえたといいます。

やがて元信らが鉄山一味を滅し、お菊は「於菊大明神」として、十二所神社内に祀られました。

怖い話で有名ですが、実は結構悲しいお話なんですよね。

ほっと一息、お菊さんに思いを馳せてクールダウンな一時でした。

ここから見える姫路城もいい感じ

入城口に戻って

順路を進むともう出口で、入城口(入城券を購入したところ)に戻ってきました。

姫路城

めちゃめちゃ楽しかった✨

美しすぎる難攻不落の「姫路城」はまさに「スーパーウーマン」

だけどもこの包容力、、いつまでも眺めていたくなる悪魔的美女城でした💕

三の丸広場にある石碑

姫路城 訪問目安

姫路城

滞在時間の目安

今回姫路城を巡ったルールはこんな感じ✨

姫路城散策ルート

王道コースであまり周囲の施設とかには寄らなかったのですが、それでも大手門からの計測で 1 時間 40 分ほど滞在しました。

敷地が結構広いので、時間には余裕を持って行くと良いと思います😊✨

姫路駅からバスで行く

姫路駅から姫路城まではバスが出ていて、大体 5 分くらいです。

大通りを真っ直ぐ行くだけなので体力と時間に余裕のある人は徒歩でも迷わずに行けると思います。

姫路駅から見える姫路城

徒歩だと 15 分。地味に距離ありますね

個人的にはバスかタクシーがオススメです。一瞬で到着しますし🚌✨

意外と迷う帰りのバス

姫路駅へ帰る時のバス停は予め調べておくと迷わなくて良いです 🚌

私は「姫路城大手門前」というバス停から姫路駅行きに乗れました✨

ということで、評判とおり美しい要塞でした。

姫路城、ありがとうございました!✨✨

姫路城

動画はこれっ🥳

広島城〜焼杉と漆喰のコントラストが織りなすシックでクールなダンディキャッスル

広島城

広島城に行ってきました🥳

広島城

広島城

〒730-0011
広島県広島市中区基町21−1

  • 開館時間
    • 3月~11月:9:00~18:00
    • 12月~2月:9:00~17:00
  • 天守閣観覧料
    • 大人:370円
    • 高校生:180円
    • 中学生以下:無料

www.rijo-castle.jp

広島城の歴史

広島城は、16世紀後半の安土桃山時代に、中国地方一帯を統治していた毛利輝元(もうりてるもと)が瀬戸内海へと流れ込む太田川河口の三角州に築いた平城(ひらじろ)です。

元来毛利氏は、郡山城(こおりやまじょう,安芸高田市)を居城としていましたが、天正16年(1588年)に、輝元が豊臣秀吉に謁見した際、大坂城や聚楽第(じゅらくてい)といった当時の最先端の城を見て、郡山城に代わる新たな城の必要性を実感し、太田川河口の三角州に城を築いたとされています。

関ヶ原の合戦の後、輝元が長門・周防へ転封となると、代わって福島正則(ふくしままさのり)が城主となり、城の大規模な改修を行いました。元和5年(1619年)に正則が石垣の無断修復をきっかけに転封となった後は、浅野長晟(あさのながあきら)が城主となり、その後浅野氏が12代に亘(わた)り、廃藩置県まで城主を務めました。

広島城自体は太平洋戦争の時の原爆によって倒壊してしまったため、1958年以降に再建されたものだそうです。

広島城マップ

表御門(おもてごもん)

表御門

広島城の入り口にあたる門で、二の丸の入り口になっています

  • 規模
    • 桁行:7.64m
    • 梁間:4.85m
    • 軒の出:1.27m
    • 軒高:7.03m
    • 棟高:10.61m
  • 構造
    • 木造脇戸付櫓門
    • 入母屋造
    • 本瓦葺
    • 軸部真壁
    • 軒塗籠
    • 両側面一間庇付

表御門は天正期末(16世紀末)頃の建造と推定され、昭和20年の原爆被爆による焼失までの約350年間存続していました。

現在の表御門は、平成元年の広島城築城四百年を記念して復元に着手し、平成3年に完成したものです。

この平成の復元では、昭和9年に当時の陸軍第五師団経理部が作成した実測図をもとに、発掘調査の成果や明治期から昭和期にかけての写真を総合的に検討して、焼失後も残存した表御門の礎石(柱下の石)上に、昔どおりの工法によって往時の姿をよみがえらせています。

表御門と表御橋

立派✨さすが入り口って感じの、格式高い感じが伝わります✨

表御門

表御門の中に入れたので入ってみます

表御門に入ってみます

天井の造りとかかなり秀逸です

表御門の天井

窓の枠内の柱に角度がついていてなんかおしゃれ(知識浅)

表御門の窓枠

表御門から表御橋を臨む

天守閣もいいんですけど、櫓って隠れて趣があるから結構好きです。

こういう櫓の雰囲気、好き。

二の丸

門をくぐると二の丸に入りますが、結構広い広場みたいになっています。

表御門をくぐると広がる広場

右手には「平櫓(ひらやぐら)」「多聞櫓(たもんやぐら)」「太鼓櫓(たいこやぐら)」があります。

平櫓(門の脇、角のところ)

多聞櫓(長屋みたいな部分)と太鼓櫓(奥の角にあるたてもの)

構造

  • 平櫓:木造一重隅櫓・入母屋造・本瓦葺
  • 多聞櫓:木造一重渡櫓・切妻造・本瓦葺
  • 太鼓櫓:木造二重二階隅櫓・入母屋造・本瓦葺

規模

  • 平櫓:桁行12.43m・梁間8.64m・棟高7.76m
  • 多聞櫓:桁行67.86m・梁間4.93m・棟高5.13m桁行
  • 太鼓櫓:桁行8.49m・梁間7.76m・棟高10.60m

平櫓、多聞櫓及び太鼓櫓の創建時期は、天正期末(16世紀末)頃と推定されています。このうち太鼓櫓は17世紀初期に改修されたものの、3棟とも江戸時代を通して、二の丸の馬出機能を確保する建物として存在していました。その後、平櫓及び多聞櫓西半分(平櫓側)は明治初期に取り壊され、残った太鼓櫓や多聞櫓東半分についても昭和20年8月6日の原爆被爆によって倒壊炎上しました。この建物は、平成元年の広島城築城四百年を記念して、発掘調査や昭和初期に当時の陸軍築城本部が作成した実測数値、明治から昭和にかけての写真等をもとに、復元に着手し、平成6年8月に完成したものです。

櫓の中は一本の長い廊下みたいになっていて、展示とかが行われていました✨

多聞櫓での展示

櫓に長居してたらサムライショーのリハーサルが始まって、段取り確認したりとちょっと貴重な場面に出くわせました😊✨

サムライ役者さまたち、ごくろうさまです。

櫓ですが、再建されたものとはいえ質感がけっこう良くて、天守閣もですが、全体的にシックな感じでまとまっているのが素敵だなと思います。

落ち着いた風合いの木材処理

この木材の感じってたしか、防腐処理で焼いてるんですよね。

廣島護国神社

先を進んでいくと、廣島護国神社がありました。

廣島護国神社

城の敷地の中にこんな大きく神社があるパターンは初めてだったので驚きました😲

広島大本営跡

広島大本営跡

明治 27 年(1894)8月に日清両国に戦端が開かれたのち、それまでに山陽鉄道が開通していたことや宇品港を擁するといった諸条件により、同年9月広島市に大本営が移されることとなり、広島城内にあった第五師団司令部の建物が明治天皇の行在所(あんざいしょ)とされ、ここに大本営が設けられた。

明治天皇の広島滞在は、同年9月15日から翌年の4月27日までのか月あまりに及んだ。その後、建物は広島大本営跡として保存されたが、原爆により倒壊し、今は基礎石のみ残されている。

ふむふむ、日清戦争の戦争指揮のためにここに大本営が作られたんだね。

太平洋戦争の時には特に使われてはなかったんだ。

広島大本営跡

天守閣

天守閣に向かう階段

いざ、天守閣へ!

どーん✨ 広島城 天守閣

焼杉と漆喰のコントラストが美しい✨✨

なんていうか、めっちゃシックですよね💕

焼杉と漆喰のコントラストが美しい

受付でチケットを購入して、、

入り口にある受付でチケットを購入

いざ、天守閣の中へ!

天守閣ツアーのはじまりはじまり

と、言いたいところだったのですが、天守閣の中はほとんどが撮影禁止だったため、ぜひ訪問してその目でお楽しみください😇

歴史についてや、当時の生活を再現したもの、それに文化財の展示なんかが行われていました😊✨

撮影 OK だったところをいくつか 📷

天守閣の中の展示エリアの様子

天守閣最上階からの眺め

展示エリアがほとんど撮影できなかったおかげでかなり端折りましたが、、

お殿様が毎日眺めていたであろう天守閣の最上階からの眺め現代版をどうぞ!

天守閣最上階からの眺め

もうちょっとだけ天気よかったなあ

なんて、こういうところにくるとちょっとだけわがままになりますよね✨

次来る時は快晴だといいな✨

中御門跡のところの土塁に上がれる

私、お城マニアでもなんでもないので何も知識はないんだけれど、土塁に上ると景色が良いことくらいは知っているので、お城に行ったら「上れるところあるかな〜」なんて探すんですけど、広島城にもありました✨

ここの、中御門跡のところにある土塁です

中御門跡のところの土塁

中御門跡のところの土塁

気づかれてないだけなのか誰も興味がないのか、、がらーんとしてる

上ってみましょ

階段を上がるとこんな感じ

土塁の上の様子

そして、土塁の上からの景色がこちら

土塁の上から眺めた景色

結構開けてていい感じ✨

被爆時の火災で変色した石

被爆時の火災で変色した石の場所(史跡広島城マップより)

広島城を囲む石垣は結構立派だったんだけど、戦争時の火災で変色した石があって、結構痛々しかった。

被爆時の火災で変色した石

「被爆時」ってことは原爆のときの火災なのかな?

お城っていうと結構江戸時代より前くらいのイメージ感持って見るけど、そこに昭和の大きな歴史的な爪痕を遺すものってなかなか少ないですよね。

きちんと保存し、後世に伝えていくって大切なことだなあって思いました。

この石垣、実際に意味わかってて見るとなかなか衝撃ありました。

歴史を伝えるシックなお城

広島城は焼杉と漆喰のコントラストが素敵な、シックなお城でした。

敷地がコンパクトなのが巡りやすくってよかったなっていうのもありますね。 (私はだいたい 1 時間くらいで回れました)

同時に太平洋戦争の歴史の爪痕も残す、感慨深い場所だなって思いました。

そういえば、

広島城って、「鯉城(りじょう)」とも呼ばれているみたいなんですけど、

別称は「鯉城(りじょう)」。広島城があった一帯は昔「己斐浦(こいのうら)」と呼ばれ、広島市西区己斐の地名は延喜式で嘉字地名とされる前は「鯉」であったと言われていることから、この名がついた。一説には堀にたくさんの鯉がいたからとも、天守が黒いからとも言われる。その他、「在間城(ざいまじょう)」、「当麻城(たいまじょう)」の別称がある。

引用元:広島城 - Wikipedia

たしかに、お堀に鯉結構いたなあなんて

近づくと鯉さんたちが集まってきた

こんな感じで細かな見どころポイントも結構あるんですよね😊✨

広島観光する時には是非オススメのスポットなので立ち寄ってみてください✨

広島城

金シャチ横丁で絶品グルメランチ!〜名古屋の老舗名物がぎゅっと詰まった義直ゾーンへ

金シャチ横丁入り口

名古屋城のすぐ脇にある金シャチ横丁へランチに行ってきました🥳🍽

金シャチ横丁

金シャチ横丁入り口

金シャチ横丁は、「食」をテーマとした商業エリアです。名古屋の名物を扱う有名・老舗の飲食店やおみやげ屋さんで構成されています。

正門エリア 義直ゾーン」と「東門エリア 宗春ゾーン」に分かれていて、それぞれで入っているお店の傾向が違います。

義直ゾーン」は「伝統・正統」がテーマになっていて、味噌煮込みうどんとか、名古屋コーチンとか、ひつまぶしとかっていう、いわゆる「名古屋といえばの名古屋めし」のお店がメインです。

一方で「宗春ゾーン」は「新風・変化」がテーマになっていて、カレーやつけ麺・ラーメン、ハンバーグやあんかけスパ、有機野菜を扱うカフェなど、今どきなお店がメインです。

徳川家康の名古屋城築城、そして、清洲越しにはじまる、繁栄の歴史。「尾張名古屋は城で持つ。」この言葉を、改めて、地元の皆様へ。そして、日本中へ、世界へ。名古屋城を大きく活性化させる、食のエンターテイメントゾーン、金シャチ横丁。尾張名古屋の美味、歴史、文化を、未来に向けて、世界に向けて、発信し続けていきます。

引用元:金シャチ横丁について|金シャチ横丁-Kinshachi Yokocho-

この金シャチ横丁は名古屋城のホントすぐ近く(正門や東門出てすぐのところ)にあるのですが、「歴史」や「文化」に触れることの出来る名古屋城のすぐ近くにこの金シャチ横丁という「食」の部分も抱き合わせる事で、名古屋観光ポイントとしてのボリュームや密度アップを図っているんでしょうね🧐

観光戦略として素晴らしい✨

実際、体験もとても良かったです😊

ということで、まずは基本情報から

kinshachi-y.jp

正門エリア 義直ゾーン

愛知県名古屋市中区三の丸1丁目2−番 3~5号

  • 地下鉄名城線 「市役所」 下車 7 番出口から徒歩 10 分
  • 地下鉄鶴舞線 「浅間町」 下車 1 番出口から徒歩 10 分

義直ゾーン|金シャチ横丁-Kinshachi Yokocho-

営業時間

10:30 ~ 名古屋城閉門の 30 分後まで

時期によって閉店時間が変わるみたいですが、大体 17:30 とか 18:30 とかみたいですね。

義直ゾーンの営業時間 - 金シャチ横丁-Kinshachi Yokocho-

義直ゾーンのキーワード

この辺のキーワードにビビビッときたら義直ゾーンに行くのが良いですね😊

  • 味噌煮込みうどん
  • きしめん
  • 名古屋コーチン
  • 手羽先
  • ひつまぶし
  • みそかつ
  • 海老天丼
  • 名古屋とうふ
  • 守口漬
  • 魚の粕漬け
  • だんご・あんみつ・わらび餅
  • 煎餅
  • 愛知県・名古屋城関連の地酒販売
  • お土産(金シャチグッズ・伝統工芸品・お菓子etc)
  • BBQ・アウトドアめし

東門エリア 宗春ゾーン

愛知県名古屋市中区二の丸1−番3号

地下鉄名城線 「市役所」 下車 7 番出口すぐ

宗春ゾーン|金シャチ横丁-Kinshachi Yokocho-

営業時間

  • 平日 11:00 〜 22:00
  • 土日祝 10:30 〜 22:00

さすが新風・変化がテーマだけにフツーの飲食スポットと同じ感じですね。通しで営業しているお店もあれば、ランチとディナーで別れているお店もありました。

宗春ゾーンの営業時間 - 金シャチ横丁-Kinshachi Yokocho-

宗春ゾーンのキーワード

この辺のキーワードにビビビッときたら迷わず宗春ゾーンです😊

  • カレー
  • あんかけスパ
  • パスタ
  • ハンバーグ
  • つけ麺
  • まぜそば
  • ラーメン
  • ハンバーガー
  • サラダ
  • カフェ
  • 創作串揚げ
  • ワイン
  • ポップなスイーツ
  • フツーに夜飲みに行く

正門エリア 義直(よしなお)ゾーン

ということで、今回行ったのは義直ゾーンです😊✨

義直ゾーンのショップリスト

マップにもある通り、こんな感じでメインストリートの両脇にお店が並んでいる感じです✨

入り口からメインストリートに向かう

義直ゾーンのメインストリート

なんか、時代劇の町のセットに来たのかって思うくらい城下町が演出されていて雰囲気良かったです😊✨

義直ゾーンの様子

名古屋城 BBQ パーク

メインストリートの突き当りに、それまでの城下町感を一気にぶっ壊すインパクトの「名古屋城 BBQ パーク」が現れました😇

名古屋城 BBQ パーク

伝統と正統というテーマはどこいったんだろうか😇とも一瞬思いましたけど、アウトドア大好きなので即座に許容しました🥳🍖

BBQ パークの様子

営業時間は夕方以降からみたいだったので私が行った時間帯(午前中)は営業してはいなかったのですが、そこそこ広い敷地にスノピのシェルターとか張ってあって、バーベキューしたりできるみたいでした😊

名古屋城下でアウトドア BBQ を楽しめる

758bbqpark.com

絶品魅惑の名古屋コーチン親子丼

ふたたび城下町へ

歴史を感じに来たのにあやうくアウトドアに取り込まれそうになりながらも、なんとか城下町へ戻ってきました😇

名古屋といえばうまいものだらけなので、何を食べようかめっちゃ迷ったのですが、今回は名古屋コーチンをいただくことにしました🐔✨

鳥開総本家 名古屋城金シャチ横丁店

www.tori-kai.com

ていうか、店前看板のこの写真↓見たらもう行かずはいられませんでした🥰💕

名古屋コーチン親子丼っていうパワーワード

ということで早速注文して、まだ午前中だけど生ビールで乾杯です🥳🍺✨

午前中からいただく生ビールの最高さよ

店内はコンパクトな感じで、3 〜 4 人のテーブル席がありつつも、カウンター席みたいなのもあったので一人でも全然問題なかったです🐰

鳥開総本家 名古屋城金シャチ横丁店 店内の様子

そして〜ついに!

特選 名古屋コーチン親子丼 1,760 円

「肉・名古屋コーチン」「玉子・名古屋コーチン」「卵黄・名古屋コーチン」っていう、まさに名古屋コーチンで胃袋をぶん殴りにきているという素敵なメニューです💕

このぷるんぷるんな卵黄の感じ、たまらないですね🥰

ぷるんぷるんの黄卵

最高峰の親子丼

実際に食してみると、ジューシーだけどすっきりとしたお肉の味わいに、玉子のマイルドな優しさが合わさって、極めつけはそこに濃厚な卵黄が絡まってくる感じがもうなんていうか本当に、、至高でした🥰

食べ終わって出てきたら一気に人が増えてた😲

観光ポイント高し!最高体験!しかし普段遣いもできる食のテーマパーク

名古屋城って、ガチで回ると 2 時間とかかかるので、歩き疲れ&盛大にお腹が空きます🏯🐘🐘🐘

その後ですぐ近くにこんな名古屋名物が凝縮された義直ゾーンがあるんだから行かない手はありません😊✨

名古屋城からの金シャチ横丁のルートは本当に大正解で、初めての名古屋観光の私でもとても良い体験でした✨

名古屋コーチン親子丼で完全に満足してしまったので宗春ゾーンは今回行かなかったのですが、そっちは夜も営業しているみたいなので、観光じゃなくても普段遣いで夜飲みに行ったりしても良さそうですよね✨(駅からもすぐみたいだし)

ちなみに義直ゾーンには、おみやげ屋さんもあって、そことは別に地酒販売しているお店もあったので、観光ショッピングも良い感じにできそうでした✨

金シャチ横丁、名古屋観光するならプランに入れても全然楽しめるので検討している人は是非立ち寄ってみてください😊✨


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名古屋城「本丸御殿」を無料見学〜現代に蘇りし豪華絢爛と静寂閑雅の側面を持つ近世城郭御殿の最高傑作

名古屋城の本丸御殿を見学してきました🥳✨

名古屋城本丸御殿とは

名古屋城本丸エリアに入ってすぐのところにある本丸御殿は、復元され 2018 年 8 月 6 日に公開されました。

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本丸御殿

名古屋城本丸御殿とは

名古屋城本丸御殿は、尾張藩主の住まいとして徳川家康の命により慶長 20 年(1615)に建てられました。寛永 11 年(1634)には将軍のお成御殿として上洛殿(じょうらくでん)が増築され、格式高き御殿として知られていましたが、昭和 20 年(1945)の空襲で天守閣とともに全焼しました。

名古屋市では、平成 21 年(2009)1 月から本丸御殿の復元に着手し、平成 25 年 5 月には入り口にあたる玄関、謁見の場である表書院などの公開を開始しました。

職人の「伝統の技術と現代の叡智」を集結し復元された美しい本丸御殿が、なんと入場料無料で見学できるっていうんですからうれしいですね🥰

本丸御殿の見学

本丸御殿の見学は、一度スタッフさんから注意事項などを案内いただいてからの入場となります。

まずは列に並んで、順番を待ちましょう。

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列に並んで入場の順番を待つ

一度に通される人数は 10 人程度。

スタッフさんからの案内は 5 分も無いくらいだったと思います。

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ビデオを見て注意事項を確認

スタッフさんから「手荷物が多い人は中に無料ロッカーもあります。」と案内されますが、荷物が多い人は預けて見学する事をオススメします。

ゆっくり回るとそれなりに時間を要するのと、御殿内の通路は広いわけではないので他の方の通行の妨げになったり、すれ違いが微妙に大変だったりします。

入場

説明を受けたら本丸御殿に入場できます。

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ここで靴を脱ぐ。右側通行。

靴を脱いで上がったら、すぐにスリッパが置いてあって、欲しい方はご自由にどうぞ的な感じになっています。

経験上、スリッパは履いていた方が良いです。廊下は木の床なので、冬場はわりと冷えます。

もちろん床も柔らかいわけではないので、長時間歩いていると疲れる人は疲れると思います。

(私はスリッパ履かずに巡ったのですが後悔しました)

下駄箱とロッカー

マップ:下駄箱やロッカーの位置

入るとすぐに下駄箱があるので、ここに靴を収納します。

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下駄箱は無料。鍵がかけられる。

下駄箱の脇にはロッカーもあるので、荷物も預けることができます。

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ロッカーは先に 100 円を入れるシステムだけど、解錠した時に戻ってくるの無料です。

大廊下

本丸御殿マップ:玄関付近

コースに入るとまず大廊下に来ますが、ここには立派な障壁画が飾られていました。

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巨大な障壁画がお出迎え

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今にも動き出しそうな迫力

玄関

本丸御殿マップ:玄関

玄関は、正規の来客がまず通される建物で、床や違棚が備えられていました。周囲の壁や襖には勇猛な虎が描かれ、客を驚かせました。

大廊下から隣の玄関エリアに行くと、まさに客人を迎えるにふさわしい?とにかく迫力のある虎や豹が描かれた部屋が現れます。

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二之間

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一之間

ここは本丸御殿に来た人がまず通され対面を待つ殿舎で、これらの部屋の障壁画は「竹林豹虎図」といって、竹林と勇猛な虎や豹が描かれています。

入側*1と呼ばれる、玄関の部屋の前の通路はこんな感じです

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入側の様子

表書院(おもてしょいん)

マップ:表書院

表書院は、江戸時代は広間と呼ばれ、藩主と来客や家臣との公的な謁見に用いられました。一番奥に位置する上段の間は、床や付書院を備えるとともに、床も一段高くしており、藩主の座として使われました。

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三之間

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一之間(手前)と上段の間(奥)

一之間と上段の間で、上段の間が一段上がっているのがわかりますね。

ちなみに上段の間は徳川義直が着座した部屋で、床と違棚、付書院・帳台帳といった正式の座敷飾りを備えています。

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豪華な帳台構

重要文化財「松楓禽鳥図(まつかえできんちょうず)」

二之間には、重要文化財「松楓禽鳥図」の復元障壁画がありました。

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重要文化財「松楓禽鳥図」の復元障壁画

(本物の「松楓禽鳥図」は 2021 年 12 月 19 日まで同じく名古屋城内の西の丸御蔵城宝館で展示)

鷺之廊下(さぎのろうか)

マップ:鷺之廊下

鷺之廊下は、対面所と上洛殿を結びための廊下で、寛永 11 年(1634)に上洛殿と共に増築されました。長押(なげし)の上まで障壁画が描かれるのが寛永期の特徴です。将軍や藩主はここを通り上洛殿へ向かいました。

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鷺之廊下

上洛殿(じょうらくでん)

マップ:上洛殿

上洛殿は、寛永 11 年(1634)に三代将軍家光の上洛にあわせて増築された御成御殿です。江戸時代は御書院(ごしょいん)御白書院(おしろしょいん)と呼ばれました。本丸御殿で最も格式高い建物であり、天井に板絵、部屋の境には極彩色の彫刻欄間がはめ込まれています。

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上洛殿

さすがここが一番豪華絢爛できらびやかでした。

梅之間(うめのま)

梅之間 案内板

梅之間は、将軍をもてなす役割の任じられた尾張上級家臣の控えの間として使われた部屋です。上洛殿と共に寛永 11 年(1634)に増築されました。

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梅之間

ここ、作りこそシンプルだけど逆に障壁画が引き立っていて個人的には好きな部屋でした

対面所(対面所)

対面所 案内板

対面所は、藩主と身内や家臣との私的な対面や宴席に用いられました。上段之間・次之間には。四季の風物や名所が多くの人物とともに描かれています。

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対面所納戸一之間

ここ、わりと地味なんですけどなんだか静かで落ち着いた雰囲気があって好きでした

名古屋城天守閣木造復元募金箱

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名古屋城天守閣木造復元募金箱

これ出口付近にあったんですけど、めっちゃ豪華な募金箱ですよね

名古屋城天守閣木造復元募金箱・横から名古屋城天守閣木造復元募金箱・上から

本丸御殿の見学自体が無料という事で、感謝の気持ちを込めて募金させていただきました

出口

ここまで進むと、最初の下駄箱のある部屋に戻ってくるので、あとは靴と荷物をロッカーから出して見学コース終了になります。

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入口と出口は同じ場所になっている

豪華絢爛と静寂閑雅の面を持つ名古屋城本丸御殿

装飾豊かな部屋はまさに豪華絢爛。あちこちがピカピカに光っていて装飾品もあれこれありました。

一方で、金屏風にシンプルな絵と共にあとは木の風合いのみで作られていた部屋や、一切の光り物無しで落ち着いた雰囲気の部屋もあって、そっちもとても素敵に感じました。

本丸御殿の外観も、力強い玄関があったと思えば側面は細部の繊細さが光る見た目になっていたりと、さすが名古屋城、そして離宮となっただけはある素敵な御殿でした。

入場は無料なので、名古屋城に行った際には是非見学してみてください。オススメです✨

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本丸御殿の玄関

本丸御殿情報

本丸御殿スペシャルムービー

VT(バーチャルツアー)本丸御殿 my.matterport.com

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*1:座敷と縁側との間の廊下

ついに開館!西の丸御蔵城宝館で名古屋城の歴史と重要文化財に触れる〜ここに来れば名古屋城の歴史がまるわかり!

西の丸御蔵城宝館

2021 年 11 月 1 日に開館した、名古屋城の中にある「西の丸御蔵城宝館」に行ってきました✨

西の丸御蔵城宝館

西の丸御蔵城宝館

  • 開館時間 9:00 〜 16:30(最終入館 16:00)
  • 入館料 無料

西の丸御蔵城宝館は、重要文化財である本丸御殿障壁画を始め、名古屋城が所蔵する文化財を保存・公開するために設けられた施設で、「名古屋城が所蔵する「宝」と名古屋城の「情報」を紹介する」という意味で「城宝館」と名付けられた。

西の丸御蔵城宝館の建物は、西之丸にあった三番蔵と四番蔵の外観を再現している。

つまり、ここに来ると文化財も見れて、名古屋城に関する歴史も知ることができるってわけです✨

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西の丸御蔵城宝館 開館のチラシ [PDF]

歴史情報ルーム

歴史情報ルームの展示

ここで名古屋城の築城から現在までの歴史をたどる事ができます😊

撮影禁止の展示室でも、情報整理が素晴らしくそれらを読んでいく事でも歴史を学ぶことができました😊✨

銅鯱

展示室は撮影禁止ですが、これらの銅鯱は展示室の手前で展示されていて、これは撮影 OK でした📷✨

名古屋城の鯱って、金だけじゃなくて銅のものもあったんですね😲

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名古屋城 正門 銅鯱

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旧国宝 名古屋城 正門 銅鯱の解説

旧国宝 名古屋城 正門 銅鯱

名古屋城正門に掲げられていた青銅鋳物製の鯱。もとは江戸城蓮池御門の銅鯱で、明暦大火(1657 年 1 月)後の江戸城再建時に鋳造された。明治 43 年(1910)、離宮となっていた名古屋城の正門として蓮池御門とともに移築された。昭和 20 年(1945)、正門は空襲で消失したが、この鯱一尾は痛ましくも全焼は免れた。なお正門は昭和 34 年(1959)にコンクリートで再建され、新たに作られた銅鯱が載せられている。

正門にもシャチホコがいたけど、あそこに元々乗っていたシャチホコだったんですね😊

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名古屋城 表一之門 (左)北方銅鯱 (右)南方銅鯱

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北方銅鯱と南方銅鯱の解説

旧国宝 名古屋城 表一之門 北方銅鯱

口の奥に、炭化した木材やっつの薄板がある。明治 43 年に名古屋城表一之門に据えられた時に新調された部材で、昭和 20年の空襲で表一之門が炎上した際、落下した鯱の中で高熱になりつつ焼失は免れたものと考えられる。

このような部材が残る銅鯱は他にない。鯱の捉え方を伝える貴重な情報であり、また空襲のすさまじさを生々しく伝えてくれる。


旧国宝 名古屋城 表一之門 南方銅鯱

本丸大手の表一之門には瓦鯱があったが、明治 43 年の蓮池御門移築にともないこの銅鯱に替えられた。背中の刻銘から、幕府御鋳物師の渡辺正俊・正次父子が万治 3 年に作り、明治 43 年江戸城から名古屋城に移された事が知られる。実質的には子の正次が作ったらしく、明暦 3 年の父の作と比較すると、耳の形など細部が異なる。

名古屋城が明治に離宮となり、江戸城から蓮池御門が移築された時にこの銅鯱も引っ越してきた。太平洋戦争の空襲で門は破壊されてしまったが、全損は免れ鯱は残った。

って事か🧐

まさに歴史の証人、ですね。


銅鯱の話題で表一之門が沢山出てきたのでこの展示とは関係ないけど、名古屋城の当時の表一之門の配置図が web で公開されていたので、名古屋城好きの人のためにリンクを貼っておきます✨ www.nagoyajo.city.nagoya.jp

ミュージアムショップ「三番御蔵」

ミュージアムショップ「三番御蔵」

こんな感じでショップもありました😊✨

ミュージアムショップ「三番御蔵」の様子

ここでしか手に入らないオリジナルグッズも取り扱っていたので、名古屋城好きは是非見てみると良いと思います💰💕

展示室(企画展)

展示室は重要文化財とかがバンバン展示されている城宝館のメインコンテンツです。

撮影禁止なので写真はありませんが、私が行った時は

開館記念特別展「名古屋城誕生!」

が開催されていました😊

開館記念特別展「名古屋城誕生!」

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ここ見て回っただけで名古屋城が誕生した当時のことを資料付きで学ぶことができたので、本丸に行く前に西の丸御蔵城宝館に寄ってよかったなって思いました😊✨

名古屋城の歴史を資料とともに学べて重要文化財にも触れられる

西の丸御蔵城宝館に行けば、名古屋城の歴史をまるっと知る事ができてとても勉強になりました🥰

また、重要文化財も見ることができて、名古屋城の歴史に視覚からも触れられたところが、より歴史を感じることができて良かったです✨

西の丸御蔵城宝館


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秋の名古屋城をぶらり散歩〜現代に蘇った天下の名城!匠の技が紡ぐ歴史の足跡

名古屋城

秋の名古屋城をぶらり散歩してきました🥳✨

特別史跡 名古屋城

特別史跡 名古屋城

名古屋城は、御三家筆頭尾張徳川家の居城であり、初代の城主は、江戸幕府を開いた徳川家康の第九男義直です。慶長 14 年(1609)、家康自ら築城を決定し、翌 15 年に石垣晋請(ふしん)が着工され、17 年に大小の天守や各櫓が完成しました。普請を命じられたのは加藤清正ら西国の大名 20 名で、城内の石垣には目印として各大名が刻んだ刻印が多数残っています。

慶長 20 年(1615)に本丸御殿、元和 3 年(1617)には二之丸御殿が完成し、二之丸御庭、御深井御庭なども整備され、名古屋城は天下の名城としてその名をとどろかせました。

明治維新後、名古屋城は陸軍省の管轄となり、名古屋鎮台司令部や兵舎がおかれましたが、明治 26 年(1893)に宮内省に移管され「名古屋離宮」となりました。昭和 5 年(1930)12 月、名古屋に下賜されると同時に国宝に指定され、翌年から一般公開が始まりました。昭和 7 年(1932)には、名古屋城全域が特別史跡に指定されました。

昭和 20 年(1945)5 月、第二次世界大戦末期の空襲により、天守や本丸御殿など国宝建造物 24 棟が消失しましたが、消失を免れた 3 つの隅櫓と 3 つの門、空襲の直前にとりはずされていた本丸御殿障壁画 1047 面が、戦後重要文化財に指定されました。

昭和 34 年(1959)、天守閣と正門が、ほぼ昔どおりの外観で再建されました。

平成 21 年(2009)には本丸御殿の復元工事が始まり、平成 25 年(2013)に玄関・表書院部分が完成しました。

〒460-0031
愛知県名古屋市中区本丸1−1

1615年(慶長20)、徳川家康によって建てられた名古屋城。

黄金の鯱を頂き、史上最大の延床面積を誇った大天守、絢爛豪華な本丸御殿、さらに鉄壁の守りを固めた要塞としての機能を備え、 城郭として国宝第一号に指定された名城でした。

戦災で焼失後も、国内屈指の城郭として国の特別史跡に指定され、復元された本丸御殿などが、往時の姿を鮮やかに伝えてくれます。

引用元:名古屋城公式ウェブサイト

料金や開園時間、アクセス方法や駐車場についても公式サイトにわかりやすく掲載されているのでそちらを見てもらえると常に最新情報で良いと思います📝

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加藤清正公と不思議な岩

(↑ ハリーポッターの映画のタイトルみたいになった😇)

まずは名古屋城の前に、その手前の名城公園エリアから

名古屋城の手前に「名古屋能楽堂」というのがあって、一応名城公園のエリアになるのかな?って勝手に思ってるけど、南方面から来たのでそこから名古屋城が領域展開しているエリアに足を踏み入れました🐒

南側名城公園エリアの補足説明のマップ

入り口付近に大きな銀杏の木があって、秋という季節も相まって空も道路も銀杏の黄色がとても綺麗でした🥰

大きな銀杏の木。一面の黄色が空に映えて綺麗

篠島の矢穴石

その敷地に現れた加藤清正公の像、

の手前に、不思議な石がありました🤔

篠島の矢穴石(しのじまのやあないし)

これはなんだろう。。

岩に穴が空いてる

篠島の矢穴石

矢穴とは石を切り取る際に彫られた穴であり、矢穴を使って石を切り取る方法は戦国時代の終わり頃から使われ始め、道具を変えつつ現在も用いられています。名古屋城の石垣には「矢穴」が残された石が多く見られます。

石の切り取り方は、まず「セットウ」と「ノミ」という道具で、切り取ろうとするラインに沿って矢穴を彫ります。次に矢穴に断面が三角形状の「ヤ」を差し込み、叩きます。ヤが叩かれると矢穴を押し広げるように力が加わり、矢穴に沿って石が切り取られます。

しかし、矢穴を彫っても思い通りに切り取れるとは限りません。石には目と呼ばれる割れやすい方向があり、矢穴が目に沿っていなければ割れません。また、矢穴が目に沿っていても割れなかった石もあります。そのような石には表面に矢穴の列が残ります。

展示しているのは知多半島の先に位置する篠島に残されていた石です。矢穴の形から江戸時代に彫られたと考えられ、当時の石を切り取る技術の一部を観察できる資料です。篠島には矢穴の残る石が多く点在し、加藤清正が名古屋城の石垣を築くために篠島で石を採ったという伝承も残されています。

なるほど、石を切る時にこの矢穴っていうのを開けて切ってたんだけど、それでも切れなかった石にはこうして矢穴が残ってるってことなんだね😊✨

また一つ歴史を学べました✨

加藤清正像

加藤清正像

名古屋城の歴史を何も知らないで訪問しているけれど、「加藤清正」という名前くらいは聞いたことあるので、いきなり現れた加藤清正公に驚きました🤭

(加藤清正公と名古屋城とのゆかりは後に知ることとなる)

威厳のある感じでかっこよかった

もちろん、偉人様なのできちんとご挨拶しておきました😊✨

建立の記

建立の記

本像は、名古屋城築造にあたり、多大の貢献があった加藤清正公の業績を顕彰し、カゴメ株式会社創業八十周年記念として、同社が建造しこれを名古屋市に寄付されたものです。

昭和五十四年三月 名古屋市

ほうほう、加藤清正公は名古屋城築城で活躍したんだね😲

そしてカゴメさんは愛知がホームなんだね(ケチャップや野菜ジュースでいつもお世話になってます🍅)

世界最大の能楽堂「名古屋能楽堂」

そんな加藤清正公像の後ろにあるのが、「名古屋能楽堂」

名古屋能楽堂

www.bunka758.or.jp

朝だったので閉まっていましたが、世界最大と言われるだけあって大きな施設でした🐘🦔

あと何ていうか、この「建築美」っていうか、こういう日本建築様式においての骨組みの緻密さってどこを見ても惚れ惚れしてしまうのは私だけでしょうか🥰

寸分狂わず組まれた骨組みから、こんな感じで幾何学的な光景を臨めるの好き。

誰もいない能楽堂前で一人「朝から良いものが見られたな」ってキュンキュンしてました🥰

門とかも趣があります

先に見えるのが駐車場で、ここともつながってる。写真では左に進むと名古屋城の入り口に行ける。

さて。いよいよここから名古屋城へ登城いたします🥳✨

名古屋城正門

名古屋城正門

駐車場を抜けるとすぐに横断歩道があって、その先が名古屋城正門になっています。

バス停「名古屋城正門前」

そっか、徒歩できたから特には調べなかったけど、名古屋城まではバスでも来れるんですね😊✨

名古屋駅からなら、名古屋市営バスに乗って大体 15 〜 20 分くらいみたい🚌✨

www.navitime.co.jp

そんなわけで、横断歩道を渡ります👮🏻‍♀️🙋🏼‍♀️🙋🏻🙋🏻‍♂️

わかりやすい場内地図看板

ふむふむ、拝観料は大人 1 人 500 円、っと📝

開園時間は 9 時から📝

今は、、🕛 9:01 うん、ジャスト👍✨

書体の重厚感にちょっと気が引き締まる

検温・消毒体制もきちんと整えられていて、入場前にそれらを受けます。

入場前に検温が実施されている

検温時のちょっとしたハプニング

いざ、検温という名の関所へ。

検温してもらった時に、スタッフさんが微妙な反応したんです。

ちょっと固まった感じになったので、大丈夫ですか?って聞いたんですけど、

「うん、問題は無いです。けどちょっと体温が低すぎますね笑」

って言われました😇

そうなんです、私、超低血圧人間で、血圧も下の値が取れなくて図り直すみたいなこともちょくちょくある人種なのですが、今日はモーニングチャレンジも失敗したので尚のこと体温が低かったと思います😇

スタッフさん、驚かせてごめんなさい😇笑

正門と観覧券

さて。検温を抜ければ名古屋城正門が姿を現します。よく見ると、門にも鯱(シャチホコ)がいますね😲✨

名古屋城正門

名古屋城正門の説明看板

名古屋城正門(旧榎多門)

ここにはかつて、榎多門(えのきたもん)と呼ばれる櫓門(やぐらもん)がありました。南側に「冠木門(かぶきもん)」と呼ばれる外門、北側と西側の石垣上には多聞櫓(たもんやぐら、長屋状の櫓)が建てられていました。内門の榎多門とあわせて、防御力の高い城郭の出入口である枡形虎口(ますがたこぐち)が形成されていました。榎多門は明治 24 年(1891)の濃尾地震で大破し、代わりに明治 44 年、旧江戸城から蓮池門(はすいけもん、元禄 17 年・1704 年頃建築)が移築され、石垣も組み直されました。国宝に指定されていましたが、昭和 20 年(1945)の空襲で消失しました。現在の正門は昭和 34 年に、旧蓮池門を鉄筋コンクリート造で、外観復元したものです。

まずは観覧券(入場券)を購入しましょう🎫

入場券売り場

観覧券購入は、支払い方法によって 2 つの購入口があって、「現金のみ」と「クレジットカード・電子マネー(交通系 IC など)」に分かれていました

入場券購入口

最初は1つの列だけど、購入窓口が近づくにつれてどちらかを選んでそっちの列に行くような流れになっていたので、予めどちらの支払いにするか決めておく、もしくは両方どちらでも支払えるようにしておいて、空いている方に行くっていうのも賢い方法だなって思います📝

ということで、無事に観覧券をゲット✨

名古屋城観覧券

正門をくぐるとすぐに総合案内所があって、ここで案内を受けたりパンフレットをゲットしたりもできます✨

総合案内所

何かのスタンプラリーのスタンプもここに置いてありました💰

名古屋城観覧ルート

今回は、こんな感じで名古屋城を巡りました🗺🐿

名古屋城観覧ルート

地図右手にある庭園までは行けなかったので、全部は回りきれなかったっていう事になるんですけど、それでも上のルートで所要時間は大体 1 時間 30 分くらいでした😊

広々とした通り

さすが名城だけあって、正門から本丸に続く道はとても広かったです✨

正門入ったところ

本丸に向かう道

広場から天守閣が見える

金のシャチホコとご対面

金のシャチホコと記念撮影ができる列に並んでみる

正門をくぐったらすぐのところで、金のシャチホコと記念撮影ができました😊

間近で金のシャチホコを見られる良い機会なので私も早速列にならんでみる✨

(5 分くらい並んだかな〜)

金のシャチホコ、大きい!そして、、まぶしい!!

質感が、本当に金ピカって感じで存在感ハンパない感じでした🐋✨

そして意外とポップな目つき

金シャチの脇にはおみやげやさんもありました

西の丸御蔵城宝館

西の丸御蔵城宝館

名古屋城のことを知ってから本丸に行こうと思い、先に西の丸御蔵城宝館に行きました😊📝

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ここ、開館したて(2021 年 11 月 1 日オープン)だったんですけど、名古屋城に行ったならマストで行った方が良いです✨

それくらい名古屋城の歴史について勉強になりました😊

これで名古屋城の歴史はばっちりになったので、いざ本丸を拝みに行こうと思います✨

いざ、本丸へ

ということで本丸へ向けて歩き出したわけですが、西之丸のこの通りはとにかく広かった😲✨

西之丸から本丸に向かう通り

天守閣(奥)と西南隅櫓(手前)

本丸への入り口、表二之門

表二之門から向かって左手。お堀に水は無くて草が生い茂っていました

表二之門から向かって右手。東南隅櫓が見える。

表二之門をくぐったところ。定番のすぐ折り返し道でさすがお城って感じ。

上の写真の石垣の切れ目から、ほんの少しだけ屋根っぽいものが見えると思いますが、ここを抜けると本丸御殿になります✨

で、一旦本丸御殿は通過して、、

道が開けると、天守閣です🏯✨

天守閣

名古屋城 天守閣

近くで見るとさすがの迫力で、エッジの効いた輪郭がかっこいい✨✨

金のシャチホコも健在ですね

天守閣の左隣にある白い建物は小天守で、その手前の木造りの建物は本丸御殿

真下から見上げるとまた迫力があって素敵です🏯✨

天守閣を、真下から見上げる

名古屋城の天守閣ってなんか凛としている感じですよね

主張し過ぎてないんだけどしっかりかっこいい感じが最高でした😊✨

(天守閣の話題はまた後ほど)

本丸にある売店やおみやげ屋さん

私が天守閣の写真を撮っているここは本丸のちょうど真ん中あたりに位置していて、ここはとても広い広場になっています。

ぐるっと一回転

そしてこの場所にはおみやげ屋さんもありました😊✨

本丸のおみやげ屋さん

名古屋城限定のお土産が置いてあったり、

名古屋城限定のお土産

歩き疲れた体に染みる甘味も沢山で🥰

大好物の甘味も充実

売店では「からあげ」「フランクフルト」「たこ焼き」「みたらし団子」といった軽食も販売してました😊

おみやげ屋さん脇の売店

ちなみに私は「抹茶ソフト」いただきました😊✨

先に食券を購入するスタイル

ちなみに、おみやげ屋さんはこんな感じで、沢山の種類のおみやげ屋がありました✨

おみやげ屋さん店内の様子

名古屋城本丸御殿ミュージアムショップ

名古屋城本丸御殿ミュージアムショップ

本丸御殿の一部がおみやげ屋さんになっていて、こっちではさっきのおみやげ屋さんとは違った品揃えでした。

文化的なものが多いというか、民芸品とか書籍とか雑貨とか(と言いつつお菓子もあったけど)そういうのが多かったです🧐

名古屋城本丸御殿ミュージアムショップ内の様子

でもなんだろ、歴史を重んじてたりする商品ももちろんあるんだけど、今どきのモダンな感じの商品もあって見てて楽しかったです😊✨

本丸御殿

もちろん本丸御殿の中も見学してきました😊

本丸御殿

名古屋城の本丸御殿といえば、かつて将軍の御成御殿として使用された格式高き御殿なわけで、名古屋城に来たら見学は必至のスポットなわけです🥰

というわけで、じっくり本丸御殿を見学したい方はこちらからどうぞ🥳

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天守閣、再び。

本丸御殿を堪能してテンションが上がった私は、次は天守閣を制覇しようと再び天守閣を訪れます。

うーんこの佇まいですよ

引きで見てもかっこいい、天守閣💕


しかーし!!!!


え!!!!

名古屋城の天守閣には入場できません

「現在、耐震性が低いことに対応するため、天守閣を閉館しています。」

まじですかーー😭


そんなわけで私の名古屋城散歩は終わりを告げました。

不明門から臨む要塞感満載の天守閣

と、せっかく名古屋まで来てそんなことではへこたれません😊✨

天守閣の脇にある「不明門」という門があるのですが、

不明門

ここから臨む天守閣がすごかった✨✨

要塞名古屋城天守閣

なんかロボ感あるのわかりますか?要塞みたいな雰囲気がバンバン出てるんですよね😲✨

アップにすると

要塞感、伝わりますか?

ちなみに写真の中央にある白い建物はどうやら天守閣に入るための階段とかエレベーターとかがあそこにあるみたいです。

そんなこんなで、天守閣には入れませんでしたが、裏手から天守閣を楽しむことができました💕

名古屋城の天守閣は芸術の域

御深井丸

要塞天守閣にキュンキュンしながらシャッターを切りまくっていたわけですが、それでもいる場所はこんなシックな雰囲気だったりします。

御深井丸エリアの通路

要塞感がどうのこうのはしゃいではいましたが、しっかり秋という季節もコミコミで名古屋城を楽しみました😊

こんな風景も風情があって良いですね

豊臣秀吉に会った

西之丸に戻ってきた

ぐるっと一周してきて、西之丸(正門があるところ)に戻って来ました。

そこですごい有名人と遭遇したんです

まさかの秀吉さん

この秀吉さんがまた良いキャラしていて、良い感じに殿様面っていうかオラオラな感じで見ていて楽しかった✨

名古屋城では、「名古屋おもてなし武将隊」っていう人たちがいて、訪れた人たちを楽しませているようですね😊✨

名古屋おもてなし武将隊

歴史と文化と観光と。名古屋城。

名古屋城正門を出てきた

名古屋城を堪能しまくった結果、気がついたら 2 時間近くも経ってしまっていました😇

あっという間の時間でしたが、お城ってやっぱりその城に関する歴史に気軽に触れられるっていう要素はすごく大事だなって思いました😊

もちろん、城自体が歴史的建造物なのでそれを見るだけでも十分に価値があるとは思うんですけど、こういった名古屋城みたいに、歴史についても気軽に知る(西の丸御蔵城宝館)ことができたり、城や歴史のマニアじゃないような人たちがきても楽しめるコンテンツ(名古屋おもてなし武将隊)が用意されていたりすることは、観光という意味ではかなりアドバンテージがあるなって思いました。

(同じ感じの例としては、神奈川県の小田原城なんかも、天守閣自体がミュージアムになっていたり、鉄砲隊が空砲打ちにきたりと、楽しめるコンテンツが沢山あったりしますよね)

名古屋城は天守閣も本丸御殿も復元されたものではありますが、匠の技によってその凛々しさや豪華・繊細さを以て現代に蘇った素晴らしい歴史的建造物だと思いました。


名古屋城、ナイスキャッスル!

函館の人気スポット「五稜郭」の歴史と見どころを徹底解説!時空を超えて語りかける魅力とは?

函館の人気スポット「五稜郭」の歴史と見どころを徹底解説!時空を超えて語りかける魅力とは?

五稜郭跡

五稜郭跡

函館のシンボルともいえる五稜郭跡は、江戸幕府末期に築造された星形の城郭です。戊辰戦争の舞台となったことでも有名で、現在は五稜郭公園として整備されており、国の特別史跡に指定されています。

営業時間
4月~10月 5:00 ~ 19:00
11月~3月 5:00 ~ 18:00
定休日
年中無休
電話番号
0138-31-5505
公式サイト
https://www.hakodate-jts-kosya.jp/park/goryokaku/
駐車場
函館市五稜郭観光駐車場
函館市芸術ホール・北洋資料館・道立函館美術館 駐車場
アクセス
路面電車 五稜郭公園前駅より徒歩 12 分
所在地
〒040-0001 北海道函館市五稜郭町 44-2

五稜郭の歴史

五稜郭は、もともと江戸時代末期の 1864 年に築かれた星型の城郭で、幕府側の北方防衛の要として機能していました。明治維新の最中、1869 年の箱館戦争では旧幕府軍の最後の拠点となり、新政府軍との戦いの舞台となりました。

城郭の形状は稜堡式と呼ばれる西洋式で、五角形の星型をしているのが特徴です。城郭として機能していた当時は、深い堀に囲まれ、周囲には土塁や櫓などの防御施設が備わっていました。明治以降、堀の大部分は埋め立てられ、公園として整備されました。

現在は、城郭内に五稜郭タワーが建てられ、上空から城郭の星型の姿を見渡すことができます。公園内には、箱館戦争の遺構や戊辰戦争の碑などが残され、歴史を感じさせてくれます。桜の名所としても有名で、春には約 1,600 本の桜が咲き誇り、多くの観光客で賑わいます。

桜

桜

五稜郭の特徴

五稜郭

五稜郭は、五つの角を持つ星形をした城郭です。この形は、敵からの攻撃に対して死角を作らず、効率的に防衛できるという利点があります。また、城郭内には兵士の住居や武器庫、病院など様々な施設が設けられており、まさに独立した街のような様相でした。

五稜郭と戊辰戦争・箱館戦争

箱館戦争と特別史跡五稜郭跡 箱館戦争と特別史跡五稜郭跡

戊辰戦争は、明治維新によって江戸幕府が廃止となり、新たに明治新政府を樹立した新政府軍と、それに不満を持つ旧幕府軍が戦った日本最大の内戦です。

箱館戦争は、戊辰戦争の中の戦の一つで、戊辰戦争の最後の戦となった戦争です。「五稜郭の戦い」とも呼ばれています。

1868 年(明治元年)10 月に江戸湾から軍艦 8 隻と共に脱走した海軍副総裁の榎本武揚(えのもと たけあき)率いる旧幕府脱走軍が箱館に入り、五稜郭を占拠。箱館の地にて旧幕府軍と新政府軍による箱館戦争が始まります。

新撰組の土方歳三もこの戦いに参戦。五稜郭を本拠に戦いました。

7 ヶ月後、五稜郭は新政府軍に明け渡され、箱館戦争が集結した事で戊辰戦争は集結しました。

半月堡

五稜郭入口

五稜郭の入口です。ここから半月堡(はんげつほ)を渡り堀之内へと入ります。

半月堡は、五稜郭の南西角にある三角形の土塁のことです。五稜郭正面玄関の防御を目的として築造されました。敵の侵攻を阻止し、時間を稼ぐことで、城内の人員が戦いの準備を整えたり、援軍を呼び寄せたりすることができました。

半月堡

遊歩道

半月堡には、土塁や石垣が当時のままの姿で残っています。

石垣

土塁は敵の攻撃から守るため、そしてその土塁を補強するために石垣が築かれました。土塁の表面は芝で覆われており、これは土砂の流出を防ぐとともに、敵が登ってくるのを難しくするための工夫でもありました。また、土塁の上には鉄砲眼が設けられ、敵を狙い撃ちできるようになっていました。

土塁は上ることもできます。奥に見えるのは五稜郭タワーです。

石垣

半月堡から延びる二の橋を渡ると、いよいよ五稜郭へと入ります。

二の橋

二の橋

門番所跡

門番所跡は、かつて五稜郭の出入り口を警備していた施設の遺構です。番士が常駐し、出入りする人々の監視や、不審者の侵入を防ぐ役割を果たしていました。

門番所跡

箱館奉行所の入り口。役所の入り口だけあってどこか圧を感じるような、そんな凛としていて静かな佇まいです。

門番所跡

藤棚

門番所跡を通過すると、藤棚があります。五稜郭公園内にある藤棚は、毎年多くの花見客が訪れる人気スポットです。

藤棚

約 30 メートルの藤棚には、樹齢 100 年を超える藤の木が 11 本植えられており、例年 5 月中旬から下旬にかけて見頃を迎えます。(2023 年は 5 月 26 日から 6 月 1 日までが見頃でした)

箱館奉行所

箱館奉行所

箱館奉行所は、江戸時代末期に蝦夷地(現在の北海道)を統治していた幕府の役所を復元した建造物です。1864 年に築造された当時の建物は戊辰戦争の箱館戦争後に解体されましたが、2010 年(平成22年)に部分復元され、現在は一般公開されています。

箱館奉行所

再現された箱館奉行所は、箱館の歴史や文化を学ぶ場としても機能しています。館内では、奉行所の役割や、奉行の仕事ぶりを紹介する展示がなされています。

営業時間
4月~10月 9:00 ~ 18:00
11月~3月 9:00 ~ 17:00
定休日
12 月 31 日 〜 1 月 3 日
料金
一般: 500 円
学生・生徒・児童: 250 円
公式サイト
https://hakodate-bugyosho.jp/

五稜郭への行き方

路面電車

五稜郭へは、路面電車を使うと便利です。

函館駅前駅から五稜郭公園前駅までは約 20 分。料金は 230 円です。

五稜郭公園前駅で下車。 五稜郭公園前駅

五稜郭公園前駅から五稜郭までは徒歩 12 分です。

時空を超えて語りかける、五稜郭の魅力

箱館奉行所

五稜郭は、単なる観光スポットではありません。それは、近代日本の黎明期を目撃した、生きた歴史の証人です。

星型の堡塁に刻まれた戦いの痕跡、堅牢な石垣に込められた武士の意気、再現された奉行所に漂う江戸の風情。五稜郭の至るところから、幕末という激動の時代が語りかけてきます。

箱館奉行所

私たちは、その語りかけに耳を傾けることで、先人たちの生きざまに触れることができます。彼らの勇気と決断、苦悩と希望。五稜郭は、そのすべてを包み込んでいます。

同時に、五稜郭は現代に生きる私たちに、大切なメッセージを伝えてくれます。歴史から学び、平和の尊さを知ること。自らの信念を貫く強さを持つこと。そして、時代が変わろうと、美しいものを愛でる心を忘れないこと。

訪れる人それぞれが、五稜郭から様々なものを受け取ることができると思います。

土塁からの眺め

箱根奉行所

五稜郭は、幕末から明治にかけての激動の歴史を物語る貴重な遺産であり、函館の歴史と文化を体感できる象徴的なスポットです。歴史ファンのみならず、四季折々の美しい景色を楽しめる場所としても人気があります。函館を訪れた際は、ぜひ足を運んでみてください。

五稜郭


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ここがすごい!小田原城〜国内トップレベルのエンタメ性を備える現代でも難攻不落の城

ここがすごい!小田原城〜国内トップレベルのエンタメ性を備える現代でも難攻不落の城

小田原城

小田原城

小田原城は、神奈川県小田原市にある戦国時代から江戸時代にかけての日本の城です。北条氏の本拠地として有名であり、豊臣秀吉による小田原征伐でも難攻不落の城として有名です。

小田原城は現在、小田原城址公園として市民の憩いの場となっています。

文化財等指定
国の史跡
日本100名城(No.23)
天守
あり
営業時間
9:00 〜 17:00
料金
一般: 510 円
小中学生: 200 円
定休日
12 月の第 2 水曜日
12 月 31 日〜 1 月 1 日
Wi-Fi
天守閣・常盤木門・歴史見聞館・本丸売店・藤棚臨時観光バス駐車場・二の丸観光案内所では無料で Wi-Fi を利用可能
最寄り駅
JR 小田原駅
駐車場
小田原城址公園内には駐車場無し。周辺にコインパーキングあり。
小田原駅周辺駐車場一覧
所在地
〒250-0014 神奈川県小田原市城内

小田原城 - 公式サイト

パンフレット - 小田原城址公園 [PDF] - 小田原城天守閣 [PDF] - 常盤木門SAMURAI館 [PDF] - 小田原城NINJA館(歴史見聞館) [PDF]

日本トップクラス!高品質な天守閣内ミュージアム

小田原城は、天守閣に入ることができます。

天守閣

階段を上がると受付があり、そこで料金を支払うと天守閣へ入る事ができます。

  • 一般: 510 円
  • 小中学生: 200 円

天守閣

天守閣は 5 階建てです。それぞれの階にて、小田原城の歴史に関する資料展示が行われています。天守閣内は改装されているため、昔の姿はなく現代的な内装ですが、館内は清潔感があり非常に綺麗です。

天守閣

天守閣はとても内容の充実したミュージアムになっていて、小田原城の歴史や小田原城の工事の事など、大量の情報と資料が公開されています。

映像コンテンツなどもあり、わかりやすく、かつ、興味を引く内容になっています。

天守閣内のミュージアムでここまで内容濃く作り込まれている所は少ないです。天守閣内は撮影禁止のため、本記事に掲載できる写真はありませんが、天守閣内のミュージアムとしては日本でもトップクラスのクオリティです。

開放感抜群!天守閣最上階からの眺望

天守閣の最上階は展望デッキになっています。北には小田原市街地、東、南に相模湾、そして西側の山々などを見渡せます。

北側: 小田原駅や小田原市街地が見渡せます。
天守閣からの眺望

東側: 小田原城址公園の木々、市街地の建物、そしてその先の相模湾とのコントラストが美しいです。
天守閣からの眺望

南側: 海の先に伊豆半島が見えます。
天守閣からの眺望

西側: 先にあるのは箱根の山々です。
天守閣からの眺望

天守閣を建てる際には、近隣諸国を見渡せる場所や、その他の要素を考慮して場所を決めています。それが結果としては抜群に良い眺望に繋がっています。

大名は必ずしも天守閣に常駐しているわけではありませんが、少なくとも天守閣の最上階には、限られた人しか上がれなかったはずです。

つまりこれらの景色は、当時は大名や関係者のみが眺めることができたということです。

それが現代において公開されており、私たちも同じ眺めを味わえることは、素晴らしいことだと思います。

侍に会える!手裏剣を投げられる!本丸広場

本丸広場

天守閣前には、本丸広場があります。ここでは、ベンチで休憩できたり、売店で飲み物や食べ物、お土産を購入できます。

そんな本丸広場には、侍が常駐しており、一緒に記念撮影を行うことができます。

侍

侍

また、本丸広場には鉄砲隊もいて、昔の銃である「火縄銃」の空砲を定期的に発砲してくれます。結構すごい音がするので、必見です。

侍

本丸広場には、露店も出ており、飲食も出来る他、手裏剣を投げることのできる催しもあるので、休憩もしつつ、色々と楽しめます。

忍者好きにはたまらない!NINJA 館

NINJA館

NINJA 館(歴史見聞館)では、小田原城にいた風魔忍者についての映像や資料の展示がされています。

また、忍者を体験できるアクティビティがあり、忍者好きなら必ず訪問すべきスポットです。

小田原城NINJA館(歴史見聞館)

侍を愛しているならここ!SAMURAI 館

常盤木門の 2 階には、SAMURAI 館が営業しており、侍の武具を展示しています。

SAMURAI館

日常では決して見ることのできない、貴重な武具が展示されています。

SAMURAI館

並べられた幾つもの鎧は全てに重厚感があり、眺めているだけでも迫力があります。

SAMURAI館

甲冑を実際に着ることもできます。SAMURAI 館に行けば、あなたも侍になることができます。

常盤木門SAMURAI館

小田原城へのアクセスと正面入口「馬出門」

小田原城へ入るための門はいくつかありますが、南東にある「めがね橋」を渡った先にある「馬出門(うまだしもん)」から入るのが一般的です。

馬出門

馬出門

馬出門は、小田原駅から徒歩で 10 分程度のところにあります。

土日祝日であれば、うめまる号という小田原市の観光バスを使っても行けます。

小田原宿観光回遊バス うめまる号

小田原駅からうめまる号に乗る場合、眼鏡橋バス停で下車します。(所要時間: 3分)

ガイドは二の丸観光案内所へ

さて、馬出門を抜けると、馬屋曲輪と呼ばれる広場が現れます。

広場

ここには、二の丸観光案内所があります。

二の丸観光案内所

ここでは、小田原城の歴史や見どころなどを案内してくれるガイドの同行を申し込めます。

当日、二の丸観光案内所へ来て申し込めば、無料で案内してくれます。(9:00 〜 16:30)

二の丸観光案内所は昭和初期に建てられたものですので、見て回るだけでも価値があります。天守閣までの通り道にあり、トイレもありますので、是非立ち寄ってみてください。

巨大!堅牢の象徴「銅門」

順路を進むと、銅門(あかがねもん)があります。

銅門

銅門は、二の丸の正門です。天守閣へつながる門であるためにセキュリティを強化するため、非常に大きく、堅牢に造られています。

銅門

銅門は、小田原城の正門である常盤木門に次ぐ規模の門であり、小田原城の象徴的な門の一つです。

銅門

土日祝日には、銅門内部に入ることができます。(10:00 〜 15:00)

銅門内部

石落としが備えられています。

石落とし

そしてここには、北条氏政・氏直・氏照と、重臣 2 名が議論をしている様子が再現されています。

小田原評定

これは、小田原評定(おだわらひょうじょう)という重臣会議の様子を再現しています。

小田原征伐(小田原合戦)で豊臣軍が攻めてきた際、北条氏側はどう迎え撃つか。という話し合いが 2 回が行われました。これを小田原評定といいます。

意見が別れ、結局結論が出ないまま北条氏は滅ぼされてしまいました。

小田原評定

小田原城の正門「常盤木門」

小田原城の常盤木門(ときわぎもん)は、小田原城本丸の正門にあたります。ここを抜ければ天守閣。重要な防御拠点のため他の門と比べても大きく、堅固に造られています。

常盤木門

常盤木門は、多聞櫓と渡櫓門を配し、多聞櫓は武器等の貯蔵庫として用いられていました。

常盤木とは常緑樹の意で、門の傍らには往時から松が植えられており、また、松の木が常に緑色をたたえて何十年も生長することになぞらえ、小田原城が永久不変に繁栄することを願って、常盤木門と名付けられたといわれています。

常盤木門

この門を抜ければ本丸広場です。そして天守閣があります。私の案内はここまです。一番の見どころである天守閣へ、いってらっしゃい。

小田原城から小田原駅へ

小田原城から小田原駅までは近いので、バスに乗らなくてもすぐに移動できます。

天守閣から北入口に向かい、北入口を出たら小田原駅はすぐそこです。

地図

小田原城の歴史

小田原城の築城は、室町時代に西相模に進出した大森氏が築いた城郭が前身とされます。城の規模や築城年は明らかになっていませんが、15世紀の中頃に造られたのではないかと考えられています。

その後、小田原氏が城主となり、北条氏康の代になると、城は大きく拡張されました。小田原城が難攻不落の城として有名なのは、この拡張によるものです。

江戸時代には、徳川家康に降伏した北条氏直が、小田原藩の藩主となり、城は小田原藩の藩庁となりました。

明治時代には廃城となり、多くの建物は解体されましたが、天守閣は残され、国の重要文化財に指定されています。

全盛期の小田原城

小田原城の全盛期は、北条氏康の代であると考えられています。

北条氏康は、1560 年(永禄 3 年)に家督を継承し、関東の覇権を握ります。氏康は、小田原城を関東支配の中心拠点として整備拡張し、総延長 9km に及ぶ総構を築きました。また、城内の建造物も整備され、小田原城は関東最大の城郭となりました。

これにより氏康は、上杉謙信や武田信玄などの強大な敵に立ち向かい、何度も勝利を収めました。これは、小田原城の堅牢さに加え、氏康の優れた軍事的才能によるものでした。

小田原城が難攻不落と言われている理由

小田原城が難攻不落と言われているのは、北条氏康の時代に、総構などを築き、豊臣軍に対抗するため城を大きく拡張したからですが、具体的には以下 4 つのポイントがあります。

総構(そうがまえ)

小田原城の最大の特徴は、総構と呼ばれる広大な外郭です。八幡山から海岸まで、小田原の町全体を、土塁と空堀でぐるっと囲んだもので、総延長は 9km にもなります。これは、後に豊臣秀吉が築いた大阪城の総構えよりも長いです。

総構えは、城の周りをぐるっと城壁で囲むことで敵の侵入を防ぐためのものです。小田原城の総構えは、その広大さゆえに、敵の兵を足止めし、攻め手を削ぐ効果を発揮しました。

自然の地形の利

小田原城は、相模湾に面した丘陵地帯に築かれています。東側は海に、西側は山に囲まれているため、天然の要塞としての役割を果たしていました。

また、城の周囲には、多くの沼や池が存在していました。これらは、敵の兵を足止めしたり、水攻めにしたりするために利用されました。

城の堅牢さ

小田原城の天守は、当時としては最大級の高さを誇っていました。また、城郭の内部には、多くの櫓や門が配置されており、敵の侵入を阻むための工夫が施されていました。

さらに、小田原城には、豊富な食料や水が豊富に備蓄されていました。そのため、籠城戦を展開しても、長期にわたって戦いを継続することができました。

強者を退け、大軍に長く耐えた実績

これらの拡張で日本最大級の堅牢さを持った小田原城は、上杉謙信や武田信玄といった勇猛な戦国武将からの攻撃をも退けました。

後の小田原征伐の際も、攻め入る豊臣軍勢約 20 万に対して、小田原城の北条軍勢は約 6 万。それでも小田原城は、約 100 日に及ぶ籠城戦を繰り広げました。

これらの実績から、小田原城は、難攻不落の城として名を残すことになりました。

小田原城最大の出来事

小田原城での最大の出来事といえば、「小田原征伐」です。

小田原征伐は、小田原合戦、小田原攻め、小田原の役など、様々な名称で表現されていますが、出来事としては同じものです。

まず、前提として、当時、豊臣秀吉は、1588 年(天正 16 年)に「惣無事令(そうぶじれい)」という、大名同士の戦争を禁止した法令を出していました。この令に違反した者は、秀吉の大軍を持って包囲攻撃され一族皆殺し、そして所領は没収といった厳しいものでした。つまり討伐です。

小田原征伐の発端となった背景には、北条氏が関東の覇権を握り、秀吉の天下統一を阻む勢力として成長してきたことにあります。北条氏は、秀吉に臣従する姿勢を見せながらも、実質的には独立した勢力として振る舞っていました。

そして、1589 年(天正 17 年)10 月、北条氏の家臣である猪俣範直が、真田氏の領地である上野国名胡桃城を奪いました。この行為は、惣無事令に違反するものであり、秀吉はこれを口実に北条氏を討伐することを決意しました。

秀吉は、1590 年(天正18年)3 月、全国の諸大名を率いて小田原城を包囲し、小田原征伐が始まりました。北条氏は、約 3 万の兵で小田原城にて籠城戦を展開しましたが、秀吉の圧倒的な兵力に包囲され、3 ヶ月後の 6 月に降伏しました。

小田原征伐の結果、北条氏は滅亡し、関東は秀吉の勢力下に入ることとなりました。

エンターテイメント性、商業性共に高レベルな城。

小田原城

小田原城天守閣のミュージアムは、圧巻の資料量と映像など様々なアプローチで私達を戦国時代へタイムスリップさせてくれます。

NINJA館では、忍者を体験できるアクティビティがあり、SAMURAI館では、甲冑を装備してみるこができます。

小田原の歴史、そして小田原城の歴史を楽しみ、侍になれるし、忍者にもなれる。

日本の歴史が好き、侍が好き、武士が好き、そして忍者が好き。そんなあなたには、マストで訪れるべき城です。

小田原城は、とてもエンターテイメント性の高い施設です。日本の城としてとても高いレベルの商業性を兼ね備えているので、是非足を運んでみてください。

小田原城


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無料ガイド&楽々アクセス!石垣山一夜城に行くなら土日祝日がオススメ!

無料ガイド&楽々アクセス!石垣山一夜城に行くなら土日祝日がオススメ!

石垣山一夜城に行くなら絶対に土日祝日がオススメ!

石垣山一夜城に行くなら絶対に土日祝日がオススメです。一夜城は小田原駅から離れたところにあり、アクセスが難しいですが、土日祝日なら観光バスで簡単にアクセスできます。

また、土日祝日限定で、無料で小田原ガイド協会の方々が一夜城を案内してくれます。

一夜城の情報、見どころも踏まえつつ、最も一夜城を楽しめる方法を紹介していきます。

石垣山城(石垣山一夜城)

石垣山一夜城

神奈川県小田原市にある石垣山城(石垣山一夜城)は、豊臣秀吉が小田原攻めの際にわずか一夜で築いたとされる城です。1590年(天正18年)、豊臣秀吉が小田原城を包囲する際に石垣山にこの城を築き陣を構えました。

築城
1590 年
初代城主
豊臣秀吉
別名
石垣山一夜城
文化財等指定
国の史跡
天守
無し
料金
無料
訪問可能時間
公園として開放されているため 24 時間可能
定休日
年中無休
最寄り駅
東海道本線 早川駅
駐車場
58 台駐車可能。無料
所在地
〒250-0021 神奈川県小田原市早川 1383-12

豊臣秀吉による一夜マジック

一夜城は実際には一夜では築城しておらず、約 4 万人を動員して 80 日間かけて築城されたと言われています。

石垣山山頂の林の中で秘密裏に築城を進め、塀や櫓の骨組みを造った後でそこに白紙を貼り白壁のように見せかけました。そこから一夜で一気に林を切り開き、小田原城から石垣山城が見えるようにしました。

一夜城から見た小田原城
一夜城から見た小田原城

小田原城にいる兵士達が石垣山城を見つけ、一夜で城が出来たと驚愕。北条氏側の兵士たちは士気が低下したと言われています。

一夜城は豊臣秀吉による戦略でした。

元々、石垣山一夜城の正式名称は石垣山城です。石垣山城が一夜城とも言われるのは、この話が由来です。

圧巻!迫力の石垣

一夜城の見どころの一つは、当時のまま現存している石垣です。

石垣

一夜城の石垣は、野面積みという、石の形をそのままに積み上げる工法を用いています。

実際に近くで見ると迫力がすごいです。石を切らずにそのまま使っているわけですから、いくつもの巨石が大量に重なり合っている様は迫力があります。

石垣

石垣

野面積みは、石垣の工法の中で最も古く、鎌倉時代末期に現れ、本格的に用いられたのは16世紀の戦国時代のことであると考えられています。

一夜城の石垣は、近江の穴太衆と呼ばれる技術者集団によって築かれ、400 年以上経った現在でも当時の面影を残しています。

巨大な岩から小さな岩まで、完全にバランスが取れた状態で、この規模で残っているのは大変珍しいです。

石垣

綺麗に切り揃えられた石垣も美しいですが、野面積みのように荒々しく、けれども緻密に積み上げられている石垣も力強くて素敵です。

絶景!駒ヶ岳や小田原市街地を一望!

一夜城は、標高 262m の石垣山の頂上にあります。ここからの眺めはとても開放感があって素晴らしいです。

西側には、駒ケ岳を臨む景色が広がります。

駒ケ岳を臨む景色

駒ケ岳を臨む景色

駒ケ岳を臨む景色

東側には、相模湾を臨む風景、そして小田原市街地を見渡すことができます。

相模湾を臨む風景

相模湾を臨む風景

相模湾を臨む風景

登山はしていないけれど、これだけの開放感と絶景を楽しめるのは、一夜城ならではです。

悲しみと執念が生んだパワースポット「淀君の化粧井戸」

淀君の化粧井戸は、井戸曲輪と呼ばれる場所にある井戸です。井戸曲輪は、石垣山一夜城の中でも比較的当時の姿をとどめている場所で、井戸もその一つです。パワースポットとして人気があります。

井戸曲輪

井戸は、直径約 2m, 深さ約 10m の深さがあります。井戸の周囲には、石垣が築かれており、井戸の水を守っています。

井戸曲輪

井戸の名称は、淀君がこの井戸を化粧に使用したとされる伝承から、淀君の化粧井戸と呼ばれています。

小田原合戦はおよそ三ヶ月間と長く続いた戦であったため、豊臣秀吉は集まった諸大名の苦労を思いやり、戦の合間に彼らの妻たちを石垣山一夜城へ呼びました。秀吉自身も、淀君を呼び寄せました。

一方で、豊臣秀吉が小田原城の北条氏の降伏を促すために、淀君を石垣山一夜城に呼び寄せたという説もあります。

奮闘したお嬢様の執念と悲しみ

淀君(淀殿)は、豊臣秀吉の側室であり、豊臣秀吉が授かった唯一の息子、豊臣秀頼の生母です。本名は浅井茶々(あざいちゃちゃ)といい、織田信長の妹、お市と浅井長政の娘として生まれました。

淀君は、元々は北条氏と縁組関係にあった女性です。本能寺の変で信長が殺害されるまでは、北条氏直の正室でした。織田信長の死後、婚姻関係は解消され、後に豊臣秀吉と再婚、秀吉の正室となりました。

豊臣秀吉は小田原征伐の際、この縁組を通じて秀吉が北条氏との和平を模索し、交渉の一環として彼女を石垣山一夜城に呼び寄せたと考えられています。

織田信長を叔父に持ち、織田信長の妹、お市と浅井長政の娘であり、豊臣秀吉の正室。

名実ともにお嬢様であった淀君が、父である浅井長政が死に、叔父の織田信長も死に、一族の血をなんとか残そうと豊臣秀吉の側室となる。

しかし最終的には、淀君は息子の秀頼と一緒に自害することになります。(1615年 大阪夏の陣)

化粧井戸からは現在でも清水が湧き出ており、その水は美容や健康に良いとされ、淀君が使用したとされる伝承が残っています。

淀君の化粧井戸がパワースポットになっている所以は、こういった激動の人生でも、美しくあり続けようとした淀君の執念が生んだものかもしれません。

井戸曲輪

疲れた身体に極上スイーツで最高の癒やし!一夜城 Yoroizuka Farm

一夜城の隣には、日本が世界に誇るパティシエ、鎧塚俊彦氏のお店「一夜城 Yoroizuka Farm」があります。

Yoroizuka Farm

店内には、小田原の自然で育った野菜や花、果物が販売されている他、焼きたてのパンやスイーツの販売もあります。

焼きたてのパン
Yoroizuka Farm

Yoroizuka Farm

Yoroizuka Farm

スイーツ
Yoroizuka Farm

小田原の自然で育った野菜
Yoroizuka Farm

Yoroizuka Farm

Yoroizuka Farm

購入したものは外のテラス席でも食べられるので、一夜城を歩いた後は、極上のスイーツで疲れた身体を癒やすのがオススメです。

Yoroizuka Farm

石垣山一夜城への行き方

一夜城へのアクセス方法は以下の 3 つです。

  1. 車でのアクセス
  2. 早川駅から徒歩
  3. 観光バス「うめまる号」

1. 車でのアクセス

自家用車、もしくはレンタカーがある場合は、一夜城まで車で行けば無料駐車場があります。

駐車場

2. 早川駅から徒歩

東海道本線 早川駅から、徒歩 1 時間で一夜城まで行くことができます。

ただし、急勾配の登り坂を長い距離歩く必要があるため、オススメしません。

3. 観光バス「うめまる号」

最もオススメするアクセス方法はこの観光バスです。

小田原では、土日祝日限定で、観光バス「うめまる号」が運行しています。

観光バス

小田原駅にバス停があるため、電車を下りたらすぐにバスに乗車できます。

小田原観光バス うめまる号 - 小田原市

小田原駅から一夜城までは 15 分で到着です。

うめまる号

土日祝日限定!一夜城無料ガイド

無料ガイド

土日祝日限定で、小田原ガイド協会の方々が、無料で一夜城を案内してくれます。

無料ガイド

観光バス「うめまる号」の到着に合わせる形で、大体 4 〜 5 人で 1 グループになってガイドさんと一夜城を散策します。(1人で来た場合も、他の人と一緒に回ることになります)

ガイドさんの案内があれば、一夜城の歴史を知りながら見て回れる。そして見どころを逃す心配も無いのでオススメです。

無料ガイド

ガイドは土日祝日のみ。なにより無料なのが驚きです。

うめまる号の運行も土日祝日のみですので、土日祝日に観光バスうめまる号に乗って小田原観光をするのがどれだけお得であるかがよく分かります。

歴史と絶景と美味しいスイーツを堪能できる

石垣山一夜城は、豊臣秀吉が築城し、自身も滞在した非常に歴史的に価値のある場所です。

現在は公園となっていますが、歩道もしっかり整備されており、広すぎない敷地のため歩くのも苦になりません。

一夜城

他にも、何万という兵士が待機した広場や、一夜城が役目を終えた際に意図的に崩した岩など、見どころは多いため退屈しません。

何万という兵士が待機した広場
何万という兵士が待機した広場

一夜城が役目を終えた際に、意図的に崩した岩
一夜城が役目を終えた際に、意図的に崩した岩

更には、抜群の絶景と、極上スイーツまで揃っているため、フルコースで楽しめることは間違いありません。

石垣山一夜城は、関東で初めて築かれた総石垣の城であり、石垣の技術の高さや、その規模の大きさから、「続日本100名城」に選定されています。

日本の歴史と文化、そしてスイーツを味わいに、一夜城に足を運んでみてください。

一夜城

宇都宮城:春は桜、秋は紅葉の名所。豊臣秀吉や徳川家康も訪れた関東七名城

宇都宮城:春は桜、秋は紅葉の名所。豊臣秀吉や徳川家康も訪れた関東七名城

宇都宮城

宇都宮城址公園

宇都宮城は、栃木県宇都宮市にかつて存在した日本の城郭です。現在の宇都宮城は、本丸跡が宇都宮城址公園として整備されています。公園内には、復元された櫓や土塁を見ることができます。

桜の名所でもあり、毎週金曜日・土曜日・日曜日には、日没から 21 時までライトアップが行われています。

別名
亀ヶ岡城
文化財等指定
関東七名城
天守
存在しない
料金
公園のため無料
櫓の公開時間
9:00 〜 19:00(年末年始を除く)
アクセス
JR 宇都宮駅から徒歩 20 分
東武宇都宮駅から徒歩 10 分
バス: JR 宇都宮駅西口バスターミナル 38 番のりばより、関東バス 市内循環線「きぶな」で「宇都宮市役所」または「宇都宮城址公園入口」バス停下車(所要時間: 15分, 片道: 170 円, バスは 20〜30分毎に運行)
駐車場
宇都宮城址公園 南駐車場(無料)
公式サイト
宇都宮城址公園・清明館 - 宇都宮市
所在地
〒320-0817 栃木県宇都宮市本丸町 1−3520 外

宇都宮城の歴史簡単ダイジェスト

  • 1063 年前後(平安時代)
    • 宇都宮城築城。築城年は不明。築城主は藤原秀郷もしくは藤原宗円ではないかと言われている。
  • 1185 〜 1615年(鎌倉時代〜戦国時代)
    • 鎌倉幕府の有力御家人である宇都宮氏が城主を務める
  • 1590 年
    • 小田原征伐後、豊臣秀吉によって、宇都宮城にて宇都宮仕置が実施される。
  • 1617 〜 1868年(江戸時代)
    • 歴代将軍が、徳川家康が祀られている日光東照宮へお参りする途中の宿泊場所とされる。
  • 1868年
    • 戊辰戦争によって宇都宮城のあらゆる建物が消失
    • 廃城

戦国時代の面影を残す貴重な遺構

平安時代後期から宇都宮氏の居城として栄えた宇都宮城は、近世には徳川家康の家臣・本多正純によって大改修を受け、壮麗な城郭へと生まれ変わりました。しかし、近代戦争や都市開発によって多くの部分が失われ、現在は本丸土塁の一部のみが残されています。

平成に入り、市民の熱意によって往年の宇都宮城の一部が復元されました。清明台、富士見櫓、石垣と土塁、土塀、堀など、当時の姿が再現されており、歴史の息吹を感じることができます。

公園案内図

広場

広場

広場

公園内はとても広く緑に覆われており、子供たちが遊ぶのにとても良い環境です。

この広場の奥にもまだ広場が広がっていました。

広場

土塁からの眺め

土塁の外観が復元されており、階段で土塁を上ることができます。

土塁からの眺望

上から見ると広場がとても広い事がわかりますね。

土塁からの眺望

土塁には通路が造られており、富士見櫓と清明台に行くことができます。

通路

通路

清明台

宇都宮城本丸の土塁北西部にあった櫓で、江戸時代の絵図には二階建て瓦葺きで描かれており、広さ三間(5.9 m)×三間三間半(6.9m)と記録されています。

清明台のあった部分の土塁は他所よりも高所に建てられており、江戸時代には天守閣の役割を果たしていたのではないかといわれています。

清明台櫓

清明台櫓

清明台櫓

富士見櫓

富士見櫓

宇都宮城本丸の土塁南西部にあった櫓で、江戸時代の絵図には二階建て瓦葺きで描かれており、広さ三間(5.9 m)×四間(7.9m)と記録されています。

富士見櫓の名の通り、まわりに高い縦獲物がなかった江戸時代には、遠く富士山の姿を臨むことができます。

富士見櫓

富士見櫓

富士見櫓

富士見櫓

富士見櫓

富士見櫓

堀

堀は、本丸、二の丸、三の丸の周囲を囲んでおり、幅は約10メートル、深さは約5メートルあります。堀の底には、石垣が築かれており、外敵の侵入を防ぐ役割を果たしていました。

堀は、宇都宮城の歴史の中で、何度も改修や拡張が行われました。特に、江戸時代には、本多正純によって大規模な改修が行われ、現在の姿に近づきました。

宇都宮城址公園では、堀の一部が復元されており、当時の姿を垣間見ることができます。堀の周囲には、桜や紅葉などの木々が植えられており、四季折々の美しい景観を楽しむことができます。

堀

堀

まちあるき情報館

まちあるき情報館

まちあるき情報館は、宇都宮城址公園内にある観光案内所です。宇都宮城址公園周辺の観光情報やパンフレットの配布、宇都宮の文化の展示などが行われています。

展示

展示

宇都宮最大の祭り「菊水祭」で使用される火焔太鼓山車・桃太郎山車の展示

展示

展示

展示

展示

宇都宮駅からバスで行くのがオススメ

JR 宇都宮駅からは徒歩 20 分程度のため、宇都宮市内散策ついでに立ち寄ることも可能です。

駅から直接宇都宮城に行きたい場合は、「きぶな」という市内循環バスを利用すると簡単にアクセスできます。

市内循環バス「きぶな」
JR 宇都宮駅西口バスターミナル 38番乗り場より乗車
「宇都宮城址公園入口」バス停または「宇都宮市役所」バス停で下車
料金: 170 円
所要時間: 15 分
停車バス停・運行ルート
時刻表

バスは 20 〜 30 分毎に運行しています。待ち時間によっては、歩いた方が早い場合もあります。

宇都宮市民に愛される憩いの場。

宇都宮城

かつて関東七名城の一つに数えられた宇都宮城の威光を今に伝える宇都宮城址公園。

春には桜が咲き誇り、秋には紅葉が燃えるように色づく公園は、まるで時代絵巻の世界に入り込んだようです。歴史を感じながら散策を楽しんだり、芝生でゆったりとくつろいだり、思い思いの時間を過ごすことができます。

市民の熱意によって復元された、清明台、富士見櫓、土塁、そして堀。かつては豊臣秀吉、そして徳川家康も訪れた宇都宮城の跡地に、是非足を運んでみてください。

広場


www.ritocamp.com

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武田神社の魅力を徹底解剖!戦国武将の雄、武田信玄を祀る「武田神社」

武田神社の魅力を徹底解剖!戦国武将の雄、武田信玄を祀る「武田神社」

武田神社

武田神社

武田神社は、山梨県甲府市古府中町にある、戦国時代の武将、武田信玄を祭神としている神社です。

武田神社は、武田氏の居館であった「躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)」の跡地に建てられています。1919 年(大正8年)に創建され、1923 年(大正12年)には神饌幣帛料供進神社に指定された経歴があります。

参拝時間
9:00 〜 16:00
定休日
年中無休
電話番号
055-252-2609
駐車場
無料駐車場あり
最寄り駅
JR 甲府駅
所在地
〒400-0014 山梨県甲府市古府中町 2611

武田神社 - 公式サイト

所要時間は 15 〜 20 分

武田神社全図

武田神社の敷地はそれほど広くはありません。武田神社の境内はゆっくり観て回っても 15 〜 20 分あれば参拝できます。

他、武田神社の前には土産物店や信玄ミュージアムがありますので、そちらに立ち寄る場合はその時間も加味するとおおよその滞在時間が見積もれます。

JR 甲府駅からバスで約 8 分

電車とバスを乗り継げば、車が無くてもアクセス可能です。

JR 甲府駅の北口にバスターミナルがあります。2 番のりばから山梨交通 [10・11] 武田神社 または [12] 積翠寺に乗車し、バス停「武田神社」で下車します。

  • 乗車
    • 場所
      • JR 甲府駅北口 バスターミナル
        • 2 番のりば
    • バス
      • 山梨交通
        • [10・11] 武田神社行き
        • [12] 積翠寺行き
  • 下車
    • バス停「武田神社」

甲府駅北口バス乗り場・時刻表 - 山梨交通

バス停 武田神社

下車するバス停「武田神社」は、武田神社の入口目の前で停車しますので、下りたらすぐ目の前が武田神社です。

参拝者専用駐車場(無料)

車で行く場合は、武田神社に無料の駐車場があります。

武田神社 参拝者専用駐車場

駐車可能時間
9:00 〜 16:00
所在地
〒400-0017 山梨県甲府市屋形 3-8-13

武田神社 参拝者専用駐車場

駐車場は武田神社の西側に位置しています。駐車場から武田神社の入口までは徒歩約 5 分です。

国指定史跡 武田氏館跡(躑躅ヶ崎館跡)

武田氏館跡 案内板

国指定史跡 武田氏館跡(躑躅ヶ崎館跡)

「武田氏館」は「躑躅(つつじ)ヶ崎館」とも呼ばれ、武田信玄の父、信虎が、1519 年(永世 16 年)に石和からこの地に、館を移したことから始まります。

その後、信玄・勝頼と、武田家当主の館として使われました。

そして武田家の滅びた後、文禄年間に館の南方に今の甲府城が作られるまでの、約 70 年に渡り、この館一帯は、領国の政治・経済と文化の中心地として発展しました。

館は、一辺が約 200m の正方形の主郭(現武田神社)を中心に、その回りのいくつかの副郭とによって構成された平城形式のものです。

館の回りには、家臣の屋敷が建てられ、南方一帯にっは格子状に整備された道路に沿って、城下町が開けていました。

この館と城下町は、戦国時代の大名の本拠として、第一級の規模と質を誇るものです。

神橋

神橋

武田神社の入口に掛かる橋「神橋」は、戦国時代に武田氏の居館である躑躅ヶ崎館の正門前に架けられていた橋を模して、1934年に再建されたものです。

橋の長さは約20メートル、幅は約6メートルで、石造りの橋脚と木造の橋桁で構成されています。橋脚には武田氏の紋である「武田菱」が刻まれており、橋桁には「武田神社」の扁額が掲げられています。

鮮やかな朱色が美しいです。

神橋

また、神橋は甲府市の市指定文化財に指定されており、武田氏の歴史と文化を伝える貴重な遺産となっています。

神橋

鳥居・狛犬

鳥居

神社において、鳥居は神社の入口であり、神聖な空間への境界を示すもです。そしてその前に鎮座する狛犬は、神社を守る神獣として信仰されています。

武田神社の鳥居の前に鎮座する狛犬も、非常に力強い表情と佇まいです。

狛犬と鳥居

鳥居を通過する前のオススメ風景

鳥居を通過する前に、後ろを振り返って武田神社の入口方面を眺めてください。四季折々の花木、鮮やかな朱色の神橋、そしてまっすぐに伸びるメインストリート。昔の城下町を思わせる、非常に美しい日本の景色が広がります。

美しい日本の景色

境内

境内は自然豊かで閑静。落ち着いた雰囲気です。

境内

春になると桜が咲き誇り、非常に美しい風景に出会えます。

境内に咲く桜

境内に咲く桜

境内に咲く桜

拝殿

拝殿

拝殿は 1955 年に再建されたもので、入母屋造りの木造建築です。正面3間、側面2間の規模で、屋根は銅板葺です。

拝殿の奥にある本殿は 1919 年に建立されたもので、国の重要文化財に指定されています。

拝殿の内部には、中央に武田信玄を主祭神とする神座が設けられています。また、拝殿の左右には、武田信玄の二男である武田勝頼と、武田氏の重臣である馬場信春の神座が設けられています。

拝殿

歴史を感じる神聖な自然の風景

武田神社の特徴の一つに、豊かな自然が挙げられます。

神聖な自然の風景

境内には年月を感じさせる苔むした木々が散見され、歴史を感じると共に、神聖な雰囲気を感じることができます。

神聖な自然の風景

売店・御朱印

売店は拝殿の隣にあり、御朱印やお守りを購入したり、おみくじを引くことができます。

売店・御朱印

武田神社の御朱印について

御朱印

  • 御朱印帳に押印: 300 円
    • 御朱印帳には、専用紙の「武田信玄公の立ち姿・座り姿」を押印する事はできません。
    • 立ち姿・座り姿をご希望の方は、下記の専用紙でお受け下さい。
  • 専用紙に押印: 500 円
    • 専用紙は見開きとなっており、左面には切り絵による武田信玄公の立ち姿・座り姿の、どちらかが「印刷」されております。
    • 御朱印帳をお持ちの方も、専用紙で御朱印をお受けになる事ができます。
    • 立ち姿・座り姿の両方をお受けになること、またはそれぞれを複数でお受けになる事もできます。
  • 御朱印帳: 1,700 円(武田神社オリジナルの朱印帳)
    • 黒の錦布で表紙を装丁し、表表紙にヨロイを、裏表紙に富士山と軍配が刺繍で描かれております。
    • 武田神社御朱印をこの御朱印帳でお受けになりたい方は、御朱印帳の 1,700 円に御朱印料 300 円を加え、合計 2,000 円となります。

甲陽武能殿

甲陽武能殿

甲陽武能殿(こうようぶのうでん) は、1985年に建立された、能楽専用の能舞台です。

甲陽武能殿の名称は、武田信玄が著した軍学書「甲陽軍艦」に由来しています。

「甲陽」は、甲斐の国の輝く様を表し、「武能」は、武田氏の「武」と能楽の「舞」が同じ音につながることに由来しています。

この能楽殿は、武田信玄の武勇と文化を讃え、能楽の継承と発展を願って建立されました。

甲陽武能殿

ハローキティ石像

宝物殿の入口には、ハローキティの石像が奉納されています。

ハローキティ石像

この石像は、サンリオの創業者である辻信太郎氏の出身地である甲府市の市民有志によって奉納されました。

信玄ミュージアムと土産物店も併せて訪問がオススメ

武田神社の前には土産物店や信玄ミュージアムがあります。

写真の右手が土産物店、左手が信玄ミュージアムです。 武田神社前のストリート

双方は武田神社の目の前にありますのでアクセスも簡単です。信玄ミュージアムは本記事の後半で紹介しますが、武田神社に行くなら両方とも立ち寄るのがオススメです。

土産物店

土産物店も、桔梗信玄餅をはじめとする山梨の名物から、ここでしか購入できない武田神社、そして武田信玄のオリジナルグッズなど幅広く多くの商品を取り扱っており活気があります。

その中でも特に、バニラアイスにきな粉と黒蜜をかけた「信玄アイス」と武田神社御用達の「カステラ焼き」が人気です。

両方ともオリジナル商品のためここでしか食べられません。武田神社に行った際にはぜひチェックしてみてください。

信玄ミュージアム

武田家の歴史についての展示が行われている「信玄ミュージアム」が、武田神社のすぐ目の前にあります。

信玄ミュージアム 信玄ミュージアム

営業時間
9:00 〜 17:00
定休日
火曜日(祝日の場合はその翌日)
12/29 〜 12/31
電話番号
055-269-5030
観覧料(特別展示室)
300 円
所在地
〒400-0015 山梨県甲府市大手 3-1-14

特別展示室は有料ですが、常設展示室は無料のため、気軽に立ち寄れます。

常設展示室
常設展示室

旧堀田古城園
旧堀田古城園

また、土産物店や食事処も併設されているため、隣の土産物店と併せてこちらも立ち寄ると、武田神社訪問をより充実したものにできるでしょう。

信玄ミュージアム - 公式サイト

歴史を空気と情報から感じられる

境内

武田神社は、武田信玄の父である武田信虎が、永正16年(1519年)に、甲府城の北東に「躑躅ヶ崎館」を築いた際に、館の鎮守として創建されました。

その後、武田信玄が甲斐国を統一すると、武田氏の氏神として、隆盛を極めました。しかし、武田勝頼の時代になると、武田氏は織田信長に滅ぼされ、武田神社も荒廃しました。

明治維新後、神仏分離令により、武田神社は再興されました。昭和15年(1940年)には、国の史跡に指定されました。

武田神社の境内には、神橋、拝殿、甲陽武能殿、ハローキティ石像などの見どころがあります。

春には美しい桜が、武田神社を彩ります。

武田神社脇の歩道

武田神社で歴史を肌で感じて、信玄ミュージアムで歴史をより深く知る。

土産物店で、人気のスイーツや武田信玄のオリジナルグッズを購入する。

武田神社では歴史を感じ、美しい日本の風景にも出会いつつ、信玄ミュージアムや土産物店で武田神社訪問をより充実させられます。

武田信玄の魂を現代に伝える武田神社へ、是非足を運んでみてください。

境内

桜の名所、甲府城〜武田信玄、豊臣秀吉、徳川家康。甲斐の国と城は名将と共に

桜の名所、甲府城〜武田信玄、豊臣秀吉、徳川家康。甲斐の国と城は名将と共に

甲府城(舞鶴城公園)

甲府城

甲府城は、山梨県甲府市にある平山城です。江戸時代初期に豊臣秀吉の命により浅井長政によって築城され、江戸の徳川家康けん制の目的で築城されました。現在は国指定史跡に指定されています。

築城
1583年(天正11年)
別名
舞鶴城
文化財等指定
国の史跡
天守
無し
料金
無料
営業時間・定休日
常時開放
最寄り駅・アクセス
JR 甲府駅から徒歩 10 分(500m)
駐車場
甲府駅周辺に有料駐車場あり
城内にバス・体の不自由な人のみ利用可能な駐車場あり(事前予約制)
所在地
〒400-0031 山梨県甲府市丸の内 1-5-4

甲府城 - 甲府市公式サイト

甲府城は、甲府盆地の北部、一条小山に築かれています。山梨県を代表する城郭の一つで、江戸時代には甲斐の守護神として重要な役割を果たしました。

甲府城の築城は、武田氏の滅亡後、関東の徳川家康に対抗するためでした。豊臣秀吉は、甲斐を支配する加藤光泰に命じて築城を開始させ、その後、浅野長政・幸長父子によって完成させました。

甲府城は、内堀・二ノ堀・三ノ堀で囲まれた広大な城郭です。本丸には天守台があり、その周囲には諸曲輪が配置されています。天守は現存していませんが、天守台からは甲府盆地を一望することができます。

甲府城は、江戸時代を通じて甲斐国の中心城として機能しました。将軍家一門や譜代大名が城主を務め、城下町とともに大きく発展しました。

甲府城は、現在は「舞鶴城公園」として整備されています。天守台や本丸跡などの遺構を自由に散策することができます。また、甲府城に関する資料を展示する「甲府城博物館」も併設されています。

オススメは鍛冶曲輪門からの入場

甲府城に入るにはいくつかの入口があります。甲府駅から近いのは北側ですが、北側は裏手に当たるため、南側から入場したほうが本丸までの道も雰囲気があって楽しめます。

特に歴史的な建造物に多く触れられる南西側の鍛冶曲輪門 から入るのがオススメです。

鍛冶曲輪門

鍛冶曲輪門

鍛冶曲輪門(かじくるわもん)は、甲府城の楽屋曲輪と鍛冶曲輪をつなぐ門で本丸の南西側に位置します。現在は山梨県庁東門側から 甲府城へむかうところにあります。

鍛冶曲輪門は、発掘調査の成果から平成 9 年に復元しました。門は薬医門という形式で、前の親柱2本、後ろの控柱 2 本のうえに本瓦葺きの切妻屋根がのります。

屋根は前側に少しずれてのるので前の柱はやや太いものになっており、門の横には潜り戸がついています。

鍛冶曲輪門

日本庭園

鍛冶曲輪門をくぐると、本丸までは日本庭園が広がっています。本丸までは、ゆっくり歩いても 5 分くらいです。

庭園の雰囲気が素敵です。優美なため時間がゆっくりと流れているように感じます。

日本庭園

桜が沢山植えられています。春にはこの道が桜で満開になり綺麗です。

日本庭園

通路の庭が落ち着いててゆったり散歩できます

日本庭園

石段を上がると、鉄門です。 石段

鉄門

鉄門

鉄門(くろがねもん)は、本丸と天守曲輪の南側の境にある、左右に石垣を有する 2 階建ての櫓門です。江戸時代初期に建てられ、明治初年に取り壊されましたが、2010 年から2011 年にかけて復元されました。

鉄門

鉄門の名称は、門の扉が鉄製であったことに由来しています。門の扉は、鉄板を溶接して作られており、厚さは約1センチメートルにもなります。また、扉の周囲には、鉄の装飾が施されています。

鉄門

鉄門の内部は、2階建てで、1階には弓矢や銃などの武器を保管する武具蔵が、2階には見張り台や居室があったと考えられています。

鉄門は、甲府城の重要な防御施設のひとつでした。門の扉が鉄製であったため、火縄銃の攻撃にも耐えることができ、城の防衛に大きな役割を果たしたと考えられます。

本丸

鉄門を通ると本丸エリアに入ります。天守は現存していないため、現在は広場になっています。

本丸広場

天守台があり、上ることができます。

天守台

天守台は展望デッキになっており、甲府市内を見渡すことができます。

天守台からの眺め(南側)
天守台からの眺め(南側) 天守台からの眺め

天守台からの眺め(北東側)
天守台からの眺め(北東側)

天守台からの眺め(北側・甲府駅方面)
天守台からの眺め(北側・甲府駅方面)

天守台から本丸広場を見下ろす
天守台から本丸エリアを見渡す

稲荷曲輪(いなりくるわ)

天守台を降りて北に向かうと、稲荷曲輪に出られるので行ってみましょう。

天守台の石垣がとにかく壮大です。
天守台の石垣

稲荷曲輪に向かう坂道 稲荷曲輪に向かう坂道

こっちは坂道になっているので、階段無しで本丸広場まで来れると考えると、ベビーカーを押しているファミリーとかは北側から入場すると良いかもしれませんね。

稲荷曲輪に到着です。

稲荷曲輪

稲荷曲輪は、本丸の北側に位置する曲輪です。江戸時代初期に築かれ、天守台や本丸と直結する重要な曲輪でした。

稲荷曲輪の周囲は、幅 10m, 深さ 6m の堀で囲まれています。堀の外側には、高さ 10m ほどの石垣が築かれており、城の防御を高める役割を果たしていました。

現在は桜が咲き誇る広場になっていますが、 稲荷曲輪内には、井戸や煙硝蔵跡、古い石垣展示など、往時の姿を今に伝える遺構が数多く残されています。

稲荷曲輪

稲荷櫓(いなりやぐら)

稲荷曲輪の東側に、稲荷櫓(いなりやぐら) という武具蔵があり、中に入れます。稲荷櫓では展示が行われています。

稲荷櫓

稲荷櫓は 2 階建てになっており、それぞれ歴史的な出土品などが展示されています。

稲荷櫓での展示

金箔鯱瓦(きんぱくしゃちほこがわら)
金箔鯱瓦(きんぱくしゃちほこがわら)

鯱瓦(しゃちがわら)
鯱瓦

2 階には甲府城全体のジオラマ模型や、城壁の石の切り出しの様子などが展示されています。

稲荷櫓

桜の名所、甲府城。

甲府城は、江戸時代を通じて甲斐国の中心城として機能しました。将軍家一門や譜代大名が城主を務め、城下町とともに大きく発展しました。

そんな甲府城も、明治の廃城令で廃城となり、現在は「舞鶴城公園」として整備されています。歴史的な遺構を残しつつ、現在は静かに市民の憩いの場としてその姿を留めています。

一方で甲府城は、春になると約 160 本の桜が咲き誇る桜の名所としても知られています。桜は、天守台や本丸跡などの遺構を囲むように植えられており、遠くに見える富士山とのコントラストが美しく、多くの観光客が訪れます。

桜

甲府城の桜の見頃は、例年 3 月中旬から 4 月上旬です。桜のライトアップも行われており、夜桜の散策も楽しめます。

桜

豊臣秀吉が徳川家康を牽制するために築城された甲府城。

今はその歴史を背負って静かに佇む。しかしその存在は桜によって華やかです。

山梨県に旅行に行った際には甲府市へ赴いていただき、甲府駅からも近い甲府城へ足を運んでみてください。