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日常ではない何者かになりたいわたしの旅の記録

大阪城最古にして、最強の番人「千貫櫓」

大阪城最古にして、最強の番人「千貫櫓」

千貫櫓

千貫櫓

千貫櫓(せんがんやぐら)は、大阪城内で最も古い櫓のひとつです。年間を通しては見学できない櫓の一つで、毎年、特別一般公開として期間限定で見学することができます。

千貫櫓は大手口を北側から守る隅櫓であり、その位置は西・南側に西外堀に面しています。

千貫櫓

この二層建ての隅櫓は、西の丸庭園の西南隅にあり、大阪城の正門である大手門を側面から防御する重要な役割を果たしています。

大阪城最古の櫓

千貫櫓

千貫櫓は、元和6年(1620年)に桂離宮などの設計で知られる小堀遠州によって創建されました。昭和36年(1961年)の解体修理の際には、創建年月日が明確になる板が発見されました。城内で最も古い建造物の一つとして、その歴史を刻んでいます。

千貫櫓

防御特化の内部構造

千貫櫓

内部には 1 階と 2 階にそれぞれ武者走りと呼ばれる回廊があり、その内側には 4 室ずつの天井板張りの部屋が配置されています。一階の面積は 199㎡ で、二階は 143.32㎡ です。

千貫櫓

千貫櫓

千貫櫓

千貫櫓

武者走りには大手門と外堀対岸に向かって隠し銃眼が設けられており、一階には石垣をよじ登ってくる敵に対する右落としの装置がみられます。また、二階の武者走りには格子ぶたの荷揚げ装置がありますが、その設置時期については不明です。

千貫櫓

火縄銃

千貫櫓では、当時の火縄銃を再現したレプリカが展示されており、自由に触れることができます。

火縄銃

実際に手にとって構えてみてください。金属部分は鉄製のため、見た目のイメージに反してずっしりと重たいです。

火縄銃

火縄銃

千貫の名に込められた攻防のドラマ

千貫櫓

千貫櫓という名は、織田信長が石山本願寺攻め時に「攻略が難しければ千貫文を褒美とする」と語った逸話に由来します。難攻不落の象徴として、その後も大手の守りとして重要な役割を果たしました。

千貫文とは、「文」という日本の昔の通貨で表す金額のこと。

1000 文 = 1 貫文 となる。

当時の 1 文は、現代の日本円に換算すると約 120 円。

1000貫文(=千貫文)は現在の円に換算すると 1 億 2000 万円ほどになる。

高額な報酬を提示するほどに攻め落とすのが難しい櫓であったということが分かります。

千貫櫓

大阪城最古、最強の番人

千貫櫓

大阪城の北西に威厳を放つ千貫櫓。白壁と黒い瓦屋根が織りなすコントラストは、まるで水墨画から飛び出したような趣きです。時を超えて語り継がれる歴史と、重厚な木造建築が醸し出す圧倒的な存在感は、見る者を魅了して止みません。そして大手門を北側から守り、西外堀に面するその姿は、まさに大阪城の守護神。石垣に根を張り、力強く立ち尽くす姿は、幾多の戦乱を乗り越えてきた強さを物語っています。

千貫櫓

千貫櫓は、大阪城で最も古くからそびえ立つ構造物のひとつとして見どころの一つです。いつでも見学できるわけではありませんが、特別公開が行われた際には、この荘厳な姿と歴史の重み感じに足を運んでみてください。

千貫櫓


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盛れる!映える!最も美しい大阪城を撮りたいなら御座船がオススメ。

盛れる!映える!最も美しい大阪城を撮りたいなら御座船がオススメ。

大阪城を最も美しく写真に収めることのできる「大阪城御座船」を紹介します。

大阪城御座船

大阪城御座船

大阪城御座船(ござぶね)は、大阪城のお掘りをクルージングするサービスです。大阪城内壕を約 20 分で周回します。

どこよりも美しい写真が撮れる

御座船に乗ると、お掘りの水、そして空を含めて、非常に美しい大阪城の姿を写真に収めることができます。

大阪城

水面がまるで鏡のように大阪城天守閣や空を反射し、とてもダイナミックな写真を撮ることができます。

大阪城

さらに、御座船に乗ると、歩いて行くことのできない場所からの大阪城を写真に収めることができます。

大阪城

御座船は席と水面が近いため、水面に近い位置でシャッターを切れます。そのおかげで、まるで水城のような大阪城の姿を見ることができます。

水の都、大阪。クルージングは癒やし要素の宝庫。

御座船に乗れば美しい大阪城の写真を撮れますが、クルージング自体も非常に楽しめるのでオススメです。船からだからこそ見ることのできる風景。いつもとは違った大阪城の景色を楽しめます。

大阪城

大阪城

流れる雲、水面。木々と都会の風景との対比。押し迫るダイナミックな石垣。20 分間という時間の中に、癒やし要素が満載です。

こちらの動画をご覧ください。

日本人は特に誰も知らない穴場スポット

船の船頭さんの話では、御座船に乗るお客さんのほとんどは海外観光客で、日本人はほとんど乗らないのだそうです。

私が乗ったときも、定員 18 名の船に対して、日本人は私のみでした。

御座船

つまり、日本人はほとんどの人がこの素敵な風景を見られることを知りません。

御座船について

御座船は、大阪城の北側に乗船場所とチケット販売所があります。

大阪城御座船 乗船所

チケット販売所

乗船所

大阪城御座船 料金表
大人 1500 円 16 歳以上(高校生以上)
高齢者 1000 円 65 歳以上(年齢が確認できるものを提示)
子供 750 円 小中学生(但し、子供のみでの乗船はできません)
幼児 無料 1 ~ 6 歳未満
乳児 無料 1 歳まで
障害者 750 円 本人・介護者 1 名まで

チケットは当日販売のみです。事前予約はできませんので、現地で購入する必要があります。

運行時刻は時期によって変動します。公式の運行スケジュールを確認してください。

お得に御座船に乗る方法

御座船に乗るには 1500 円かかります。最もお得に乗るなら、大阪周遊パスがオススメです。

www.osp.osaka-info.jp

大阪周遊パスを使えば御座船は無料で乗船できるので、大阪周遊パスの料金以上に大阪の観光スポットを巡ったり、電車に乗ったりすれば、それだけ割安になります。(大阪周遊パスが利用できない日があるため、公式の運行スケジュールを確認してください。)

御座船は隠れたインスタ映えスポット

大阪城

意外と知られていない大阪城御座船。大阪城を最も美しく写真に収めることのできるオススメスポットです。

また、徒歩では絶対に行けない場所から天守閣を眺められることも魅力です。高くそびえる石垣の迫力や、揺れる水面、心地よい風。全てが癒やし要素でもあります。

旅行に来たら、その観光地の素敵な写真を撮りたい。SNS にアップしたり、思い出に残るような素敵な写真を撮りたいですよね。

春は桜の中を。夏は新緑の中を。秋は紅葉の中を。冬は静寂の中を。

御座船に乗って、四季折々の最高に美しい大阪城を見てみてください。

大阪城

行列に並ばない!階段は上らない!失敗しない大阪城天守閣の歩き方

行列に並ばない!階段は上らない!失敗しない大阪城天守閣の歩き方

大阪城 天守閣

大阪城 天守閣

大阪城天守閣は、大阪市中央区にある大阪城公園内にある天守閣です。現在の天守閣は、豊臣秀吉が築城した天守閣を参考に 1931 年(昭和 6 年)に復興されたもので、国の登録有形文化財です。地上 55m, 8 階建てで、最上層からは大阪市街を一望できます。内部は歴史博物館となっており、豊臣秀吉や大阪城の歴史に関する資料が展示されています。

営業時間
9:00 ~ 17:00
定休日
12 月 28 日 ~ 1 月 1 日
料金
大人: 600 円
子供(中学生以下): 無料
所要時間
30 ~ 40 分
電話番号
06-6941-3044
公式サイト
https://www.osakacastle.net/
トイレ
2 階にのみトイレがあります。

壮麗な大阪のシンボル。現在の天守閣は 3 代目

大阪城天守閣

大阪城天守閣は、白亜の巨体が青空に映える、まさに壮麗という言葉がふさわしい姿をしています。太陽の光を浴びて輝く瓦屋根と、力強い石垣の組み合わせは、大阪のシンボルとしてふさわしい威厳を漂わせています。

大阪城天守閣

その壮麗な外観は、豊臣秀吉の天下統一の夢を体現しているかのようです。歴史の重みを感じさせる石垣や瓦屋根は、日本の伝統美を余すところなく表現しています。

大阪城天守閣

ちなみに、現在の天守閣は 3 代目になります。

初代天守は、豊臣時代の1585 年(天正13年)から 1615 年(慶長20年)までの31年間。

2 代目天守は、徳川時代の 1626 年(寛永3年)から 1665 年(寛文5年)までの40年間。

そして現在の 3 代目天守閣は、1931 年(昭和6年)から現在に至ります。

1 階: 天守閣の入口

1 階には、エレベータ、インフォメーションカウンター、そしてミュージアムショップがあります。

1 階

インフォメーションカウンターでは、各国の音声ガイドを貸し出しています。(日本語・英語・韓国語・中国語)

ミュージアムショップでは、お土産や大阪城グッズが販売されています。ミュージアムショップでしか購入できないオリジナルグッズも販売されています。

ミュージアムショップ

ミュージアムショップ

ミュージアムショップ

体力温存!エレベータを使って効率よく巡ろう

エレベータ

1 階のエレベータに乗ると、5 階まで上がることができます。

エレベータ

まずは 5 階までエレベータで上がり、5 階からは階段で 8 階の展望台に行きましょう。

エレベータ

8 階の展望台で景色を楽しんだ後は、階段を降りながら各階の展示を見て回り、1 階まで降りて行くれば、階段の上りを最小限に抑えることができます。

階段

車椅子でも天守閣を楽しめる

エレベータは基本的には上りのみですが、車椅子の方には、上りも下りもエレベータで移動することができます。展望台や、各フロアの展示も見て回ることができますので、天守閣 1 階のスタッフさんにお声がけください。

2 階: ダイナミック!大阪城の情報コーナー

2 階は、大阪城についての解説や展示のエリアです。

展示

展示

豪華な、金の鯱瓦なども展示されています。現在の天守閣で使われているものと同じ大きさのレプリカです。とても迫力があります。

展示

展示

兜・陣羽織の試着体験

2 階のオススメは、兜や陣羽織を試着しできるコーナーです。戦国武将の兜や陣羽織などを試着でき、自分のカメラで記念撮影が行えます。料金は 500 円です。

兜・陣羽織の試着体験

兜

3 階・4 階(企画展示)

3 階と 4 階は企画展示エリアです。2 ヶ月ごとに展示内容が変更になります。

現在の展示内容や企画展の予定は、公式サイト から確認できます。

なお、3 階と 4 階は撮影禁止エリアです。

展示

5 階: 大坂夏の陣図屏風の世界

5 階は、大坂夏の陣図屏風の世界についての展示です。

展示

大坂夏の陣図屏風は、1615年(慶長20年)の戦いを描いた六曲一双の屏風絵です。徳川家康率いる幕府軍と豊臣秀頼率いる大坂方の戦の様子が迫力満点に描かれ、戦国時代最後の戦いの激しさを伝えています。人物5000人以上、馬300頭以上が緻密に描かれ、戦の様子だけでなく、戦後の混乱や市民の苦しみも表現されています。大阪城天守閣所蔵で重要文化財です。

wikipedia で、屏風の絵を見ることができます。

展示

その中でも是非見ていただきたいのが、大坂夏の陣を再現したミニチュアです。

ミニチュア人形

真田幸村隊(158体)と松平忠直隊(149体)の激戦を、ミニチュア人形(計307体 スケール1/20)で、非常に精巧に再現されています。

ミニチュア人形

ミニチュア人形

ミニチュア人形

ミニチュア人形

6 階(立入禁止)

6 階には展示は無く、立入禁止エリアになっています。

7 階: 豊臣秀吉の生涯

7 階では、豊臣秀吉の生涯に関する展示が行われています。豊臣秀吉が生まれてからその生涯を閉じるまでの一生が分かりやすく簡潔にまとめられています。

展示

展示

展示

中には以下のような、3D による立体映像を用いたコンテンツもあり、楽しいです。

映像コンテンツ

8 階(展望台): 地上 50m!豊臣秀吉も眺めた大阪市街地を一望

8 階は展望台になっています。大阪市街地を一望することができます。

展望台

展望台

展望台

展望台

展望台

展望台

展望台

行列に並ばなくて済む!魔法のチケットたち

大阪城の天守閣に入るためには、窓口でチケットを購入する必要があります。

チケット販売所

しかし、大阪城天守閣は人気のため、チケットを購入するために並ばなければなりません。

チケット購入の列

この行列に並ぶことを回避するために、予め web チケットを購入しておきましょう。

web チケットを購入しておけば、窓口でチケットを購入する必要がなくなるため、行列に並ばなくてすみます。

大阪周遊パスを持っている場合も同様です。パスを見せるだけで入場できますので、行列に並ばずに天守閣へ入場できます。

大阪周遊パス

賢く歩いて大阪城を楽しもう

大阪城天守閣は人気が高く、訪れる人も多いです。当日チケット販売窓口は常に混雑するため、Web チケット購入や大阪周遊パスなどを購入し、並ぶ時間を省きましょう。

入口

大阪城天守閣は全ての階の展示が魅力的ですが、8 階建てもの天守閣を巡るとなれば、それだけ階段を上り下りしなくてはなりません。全て階段で移動すると疲れてしまいますので、最大限エレベーターを利用して快適に巡りましょう。

階段

大阪城に来たら、天守閣への訪問はマストの観光スポットです。賢く歩いて、是非大阪城の天守閣を楽しんで来てください。

大阪城天守閣

新発田城~桜、紅葉、海鼠壁。美しすぎる新潟の宝石。時が止まった戦国自衛隊の世界へ。

新発田城~桜、紅葉、海鼠壁。美しすぎる新潟の宝石。時が止まった戦国自衛隊の世界へ。

新発田城

新発田城

新発田城(しばたじょう)は、新潟県新発田市にある城です。1598年(慶長3年)に初代新発田藩主の溝口秀勝によって築城されました。

城の北部を流れる加治川を外堀に利用した平城で、本丸を中心に北の古丸と南の二の丸で囲い、その南側に三の丸を配する構造でした。

新発田城は、戦闘や防御といった事よりも、地域経済の発展に重きを置き平地に造られたと言われています。江戸時代には新発田藩の藩庁が置かれていました。

築城年
1598年
築城主
溝口秀勝
別名
菖蒲城
舟形城
文化財等指定
天守閣
存在するが入場不可
料金
無料
開門時間
4月~10月: 9:00 ~ 17:00
11月: 9:00 ~ 16:30
閉鎖期間
冬季閉鎖: 12月~3月
最寄り駅
JR白新線・羽越本線 新発田駅(徒歩約 25 分)
新発田駅にはタクシー乗り場があるため、駅からタクシー移動も可能(距離: 約 2.9 km, 所要時間: 約 8 分, 料金目安: 1,200 円前後)
駐車場
無料駐車場があります
(記事の最後に無料駐車場について案内しています)
所在地
〒957-0052 新潟県新発田市大手町 6-4-80

理にかなった美しき海鼠壁

新発田城の最も特徴的な点は、櫓と表門に施された海鼠壁(なまこかべ)です。

海鼠壁

海鼠壁とは、平瓦を張り合わせて、その隙間を漆喰で蒲鉾型(かまぼこがた)に固める工法のことです。目地の盛り上がった形が海鼠に似ていることから、その名が付けられました。一般的には土蔵などに用いられており、日本伝統の壁塗りの様式の一つです。また、城の装飾としては、主に北陸地方の城で採用されています。

隅櫓

新発田城の表門と櫓に施されている海鼠壁の、白と黒のコントラストは非常に美しいです。平瓦の正方形の形と、漆喰の蒲鉾型の形が組み合わさることで、まるで幾何学模様のような美しい風情を醸し出します。

表門

城の門や櫓に海鼠壁を採用しているのは、銃弾の貫通を防ぐためでもあります。一方で、防水性や耐火性に優れているという特徴もあります。風雨や火災に強いという点で、装飾としての美しさを演出しながらも機能面も担保した、非常に合理的かつ秀逸な工法です。

海鼠壁

新発田城の表門や櫓に施された海鼠壁は、壁全体ではなく、およそ人の背丈くらいの高さに留まっていることから、特に新潟県が位置する北陸地方では積雪も多いため、海鼠壁を採用することで耐水性を強化したと考えられます。

新発田城以外で海鼠壁が施されている城を見てみても、石川県金沢市の金沢城、長野県松本市の松本城、そして、北海道函館市の五稜郭と、積雪の多い地域で見られます。

新発田城の海鼠壁は、特に美しいことで知られており、旧二の丸隅櫓は国の登録有形文化財に指定されています。

新発田城を訪問した際は、必ずチェックしてください。一番のオススメポイントです。

春は華やぎ、夏は力強く、秋は静寂。

新発田城は、12 月 から 3 月は城内へ入ることができません。積雪と除雪の関係で安全面を考慮し冬季閉鎖となります。

冬季以外の訪問可能期間では、春、夏、秋と、全ての季節で違う表情があり、どの季節に行っても新発田城の美しさを堪能できます。

春は、桜と新発田城の白壁とのコントラストが美しく、温かな気候も手伝って華やいだ雰囲気を楽しめます。桜の見頃は 4 月上旬~ 4 月中旬です。

桜と新発田城

夏は、新緑が力強く、青々とした木々の緑と空、そして新発田城の白壁のコントラストが美しいです。

夏の新発田城

秋は、紅葉です。紅葉の彩りと新発田城が作り出す静寂の雰囲気は、その場にいるだけで心が洗われるようです。

紅葉と新発田城

戦国自衛隊の世界観

新発田城は現在、その敷地を陸上自衛隊 新発田駐屯地と共有しています。そのため、櫓からは新発田駐屯地を眺めることができます。

自衛隊駐屯地

このように、城と自衛隊駐屯地が同時に眺められるという、非常に珍しい風景を目にすることができます。

自衛隊駐屯地

日本には、戦国自衛隊という有名な SF 小説があります。自衛隊が演習中に戦国時代にタイムスリップしてしまい、近代兵器と共に戦国時代を生き抜くストーリーです。

ここ新発田城は、そんな戦国自衛隊の世界観が垣間見える場所としても有名です。

自衛隊駐屯地

表門

表門は、本丸の南側に位置する櫓門です。国の重要文化財に指定されています。

表門

表門は、新発田城の玄関口であり、正門として城主や重要な来客を迎え入れてきました。その堂々とした姿勢で訪れる者を迎える、歴史と格式が漂う美しい門です。

表門

冒頭でも紹介した海鼠壁が施されており、白と黒の石を組み合わせた模様は、まるで幾何学模様のような美しさです。

表門

表門は 1732 年に再建されて以降、現存しているものです。歴史を歩み続けているからこそ見られる木材の風合は重厚感があり、非常に美しいです。木の質感や彫り物など、ディテールにまでこだわりが感じられ、時代を超えた美しさが存分に表現されています。

表門

表門

表門は 2 階建てとなっており、中に入ることができます。

表門

表門の 2 階では、三階櫓と辰巳櫓の復元に関する資料が展示されています。

表門内部

表門

表門はまさに城への玄関口として、訪れる者に歴史や物語を感じさせます。新発田城へ到着したら、まず表門をくぐり、気持ちを江戸時代へタイムスリップさせてください。

表門を通過すると、新発田藩初代藩主である溝口秀勝の像が迎えてくれます。

溝口秀勝像

旧二ノ丸隅櫓

旧二ノ丸隅櫓は、二の丸の南西隅に位置する二重二階櫓です。1598 年(慶長3年)に築城された当時の姿を残しており、国の重要文化財に指定されています。

旧二ノ丸隅櫓

胴回りには、海鼠壁を見ることができます。海鼠壁は、石を正確に組み合わせて積む必要があるため、非常に難易度の高い工事であったといわれています。

海鼠壁

隅櫓の内部にも入ることができます。建ててから 400 年以上経過しているとは思えないほど内部は堅牢であり、当時の雰囲気を感じることができます。

旧二ノ丸隅櫓内部

旧二ノ丸隅櫓内部では、資料展示は最小限となっていますが、代わりに 400 年という歴史を感じることができるはずです。

旧二ノ丸隅櫓内部

旧二ノ丸隅櫓内部

旧二ノ丸隅櫓内部

旧二ノ丸隅櫓内部

辰巳櫓

辰巳櫓は、本丸の南東隅に位置する二重櫓です。2004 年(平成16年)に復元されたもので、国の重要文化財に指定されています。

辰巳櫓

辰巳櫓は、木造・本瓦葺き・漆喰による伝統工法により史実に復元されており、現代建築技術の高さと共に、内部の美しさも含め、400 年以上生き続ける旧二ノ丸隅櫓とのギャップを楽しめます。

辰巳櫓内部

内部には様々な資料展示があり、新発田城の当時の様子を知ることが出来ます。

辰巳櫓内部

三階櫓

三階櫓は、本丸の中央に位置する櫓です。2004年(平成16年)に復元されたもので、国の重要文化財に指定されています。

三階櫓

三階櫓は「櫓」と銘打っているものの、新発田城の実施的な天守閣であったとされています。

しかし、三階櫓は自衛隊駐屯地の敷地内にあるため、一般には足を踏み入れることができません。

三階櫓

三階櫓を近くで見たい場合は、新発田城址公園駐車場から延びる遊歩道を進むと最も三階櫓に近づけます。

無料駐車場

新発田城へ車で行く場合は、「新発田城址公園駐車場」または「アイネス新発田駐車場」に無料で駐車可能です。

先程紹介した三階櫓を近くで見たい場合は、新発田城址公園駐車場に駐車すると、見学の効率が良くオススメです。

新発田城址公園駐車場
〒957-0052 新潟県新発田市大手町 3-2-19

アイネス新発田駐車場
〒957-0052 新潟県新発田市大手町4-5

なお、表門の東側にも小さな駐車場のようなスペースがありますが、そこは「新潟県思いやり駐車場」という、体の不自由な訪問者専用の駐車場になるため、駐車しないでください。

400 年。時を超えた歴史の証人。

新発田城、その堂々たる姿勢はまさに時を超えた歴史の証人。その美しさは、訪れた者を心から魅了します。

城の石垣は、穏やかな風雨に耐え、時の流れとともに歴史の深みを増しています。太陽の光が優雅に差し込み、影と光が城壁を彩る様は、まるで昔の物語がそのまま石に刻まれたかのようです。

新発田城

城内は季節ごとに美しい花々が咲き誇り、訪れる人々に四季折々の彩りを贈ります。桜の花が舞い散る春、青葉が風に揺れる夏、紅葉が城を彩る秋、そして雪に覆われた冬。その美しい風景は、まさに心に残る瞬間となることでしょう。

新発田城

城内の櫓や門は、緻密な細工と伝統的な和の美を感じさせます。歴史の中で培われた職人の技が、今もなおその美しさを輝かせています。城の中に足を踏み入れると、まるで時空を超えて当時の物語が見えてくるかのようです。

新発田城

新発田城は、ただの建造物ではなく、日本の歴史と文化が息づく場所。その情緒的な雰囲気は、訪れる者の心を引き込み、新潟の地に刻まれた重要な歴史の一部として誇り高く立ち続けています。

新発田城

桜まつりでドヤれる福岡城訪問ガイド〜咲き誇る桜 500 本、麗しの桜城。黒田官兵衛・長政の歴史を歩く〜

福岡城訪問ガイド〜咲き誇る桜 500 本、麗しの桜城。黒田官兵衛・長政の歴史を歩く〜

黒田官兵衛・長政が築き、毎年桜が咲く時期には「福岡城桜まつり」が開催され、非常に大勢の人々で賑わいを見せる福岡城を紹介します。

福岡城の歴史やみどころを知ることで、桜まつりがもっと楽しくなること間違いなしです。

福岡城

福岡城

福岡城は、1607年(慶長12年)に黒田官兵衛によって築城されました。

黒田官兵衛の息子である黒田長政は、関ヶ原の戦いで徳川家康側に付き活躍。功績を称えられ筑前国(ちくぜんのくに, 現在の福岡県)を与えられました。それまで住んでいた豊前国中津(現在の大分県中津市)から筑前国へ移った際、築城したのがこの福岡城です。

築城
1607年(慶長12年)
初代城主
黒田官兵衛
別名
舞鶴城
石城
文化財等指定
日本100名城
国指定史跡
天守台・多聞櫓(国指定重要文化財)
潮見櫓(県指定有形文化財)
下之橋御門(県指定有形文化財)
旧母里太兵衛邸長屋門(県指定有形文化財)
名島門(市指定有形文化財)
天守
天守は存在しませんが、天守台があります。
料金
無料
営業時間・定休日
公園として開放されているためいつでも入れる
最寄り駅
地下鉄空港線 赤坂駅 2 番出口
駐車場
第 1 ~ 第 4 駐車場(有料)
約 450 台駐車可能
所在地
〒810-0043 福岡県福岡市中央区城内 1

fukuokajyo.com

黒田官兵衛と黒田長政について

黒田官兵衛は豊臣秀吉に仕える優秀な軍師でした。息子である長政は幼少期、人質として織田信長に渡され、そこから豊臣秀吉が預かっていたという経緯があります。

豊臣秀吉の没後、関ヶ原の戦いが起きますが、そこに至る過程で黒田長政が西軍の石田三成らと方針を巡って対立、最終的に東軍の徳川家康側に付いたという説があります。黒田長政は関ヶ原の戦いでは最前線にて、中心人物として活躍しました。

オススメコース

電車で行く場合は、最寄り駅である地下鉄空港線 赤坂駅 2 番出口から出て向かいます。

上之橋を渡って天守台へ行く以下のルートが主要なスポットを見て回れてオススメです。

  1. 上之橋
  2. 東御門跡
  3. 扇坂御門
  4. 梅園
  5. 天守台

福岡城オススメコースマップ

上之橋

上之橋(かみのはし)は、城内に入るための最初の門があった所です。

上之橋

福岡城の正門として江戸時代に使用されていた橋で現在は石垣のみが残っていますが、かつては2層の櫓門が築かれていました。

上之橋

上之橋が架かるお堀

上之橋は福岡城の表玄関として、黒田藩主や客人などの公式の出入り口として使用されていました。藩主が参勤交替の時に渡るなど、下之橋よりも格式が上でした。上之橋から東御門、本丸表御門を経て本丸御殿へ至るのが正式な登城ルートとされていました。

上之橋

東御門跡

東御門は、三の丸から東二の丸へと続く櫓門です。

東御門跡

門を入ると右手に直角に曲がる階段があり、攻め手が簡単に攻められない構造になっています。

東御門跡

東御門跡

東御門を抜けると、広場に出ます。

広場

ここには烽火番所跡や東二の丸跡があります。

烽火番所跡 烽火番所跡

東二の丸跡 東二の丸跡

見晴らしも良く、広場からはテニスコートや競技場が見渡せます。

広場からの眺望

広場の先には、扇坂御門があります。

扇坂御門

扇坂御門

扇坂御門(おうぎざかごもん)は、二の丸への入口として、主に城内で働く人々や庶民が使用していた門です。

扇坂御門

現在は石垣のみが残っていますが、かつては2層の櫓門が築かれていました。櫓門の下層には、城門の守備に当たる武士たちが詰め、上層には、城内を見渡せる見張り台が設けられていました。

扇坂御門

扇坂御門には、ある怪談が伝わっています。それは、扇坂御門に手を触れると熱病に冒されたり、夜中にうなされたりするというものです。この怪談は、二代目黒田忠之の側用人・浅野四郎左衛門の妻・お綱の怨念が原因だという伝説があります。

お綱は、夫に裏切られ、別宅に追いやられていました。ある日、夫の愛人・采女を殺そうとしたお綱は、失敗して捕らえられてしまいます。そして、扇坂御門の石垣に縛り付けられ、打ち首に処されたのです。

お綱の怨念が今も扇坂御門に残っていると言われ、人々は扇坂御門を「お綱門」とも呼んでいました。

この怪談は、江戸時代には広く知られており、福岡城を訪れる人々を恐れさせていました。

扇坂御門を訪れた際には、お綱の怨念がまだ残っていないことを確かめるために、後ろを振り返ることを忘れずに。

扇坂御門

梅園

扇坂御門を抜けた先には、梅園があります。

梅園

園内には約 270 本の梅の木が植えられており、毎年 2 月から 3 月にかけて、白やピンクの梅の花が咲き誇ります。

梅園

梅園の梅の種類は、白梅、紅梅、しだれ梅など、さまざまな種類があります。梅の花の見頃は、2月下旬から3月中旬頃です。梅の花が咲く時期には、福岡城梅まつりが開催されます。

福岡城梅園は、福岡を代表する梅の名所です。

梅園を抜けると、天守台です。

天守台

天守台

福岡城には天守は残っていませんが、天守閣を置くための台座である天守台が残っています。

天守台

東西約 25 m、南北約 22 mの敷地内に約 40 個におよぶ天守の礎石が残っています。

天守台入口 天守台入口 天守台入口

天守への入口だけあって、通路が枡形になっている構造も見て取れます。

枡形構造 枡形構造

通りが狭くなっているところもあります。大勢で一気に攻められないようにしている工夫です。 枡形構造 枡形構造

展望デッキ

天守台には展望デッキがあり、福岡市内を眺めることができます。

展望デッキ

展望デッキは現存している石垣の上に作られています。

石垣

展望デッキに上ってみましょう。

展望デッキ入口

まだ頂上ではありませんが、階段を上がってすぐのところにも景色を眺められるデッキがあります。

展望デッキ

展望デッキからの眺め

展望デッキからの眺め

さらに進みます。

展望デッキの通路

大天守台跡

大天守台跡には、天守の柱を支えていたであろう石が埋め込まれた遺跡を見ることができます。

大天守台跡 大天守台跡 大天守台跡 大天守台跡 大天守台跡

最上層の展望デッキへ行ってみましょう。

階段

大天守台 展望デッキ

大天守台 展望デッキ

大天守台の展望デッキは高さ 36 メートル。開放感抜群で福岡市内を見渡すことができます。

大天守台展望デッキからの眺め 大天守台展望デッキからの眺め 大天守台展望デッキからの眺め 大天守台展望デッキからの眺め 大天守台展望デッキからの眺め

天守はなくとも。満開の桜に囲まれて。

福岡城にはすでに天守や御殿、櫓や門などの建築物はほとんど残っていません。そこには石垣とそこにあったであろう建物の印のみが残っています。

しかし、福岡城のある舞鶴公園にはたくさんの桜が植えられており、毎年桜が咲く時期には「福岡城桜まつり」が開催され大勢の人々で賑わいます。

福岡城と桜

福岡城と桜

福岡城は、当時の九州の中心となる城として栄え、黒田藩の居城として約 270 年間にわたって使用されました。廃城令によってそのほとんどが解体されましたが、今でもこうして福岡市民の憩いの場となっています。

あなたもぜひ、福岡城跡へ足を運んでみてください。

福岡城と桜

旅行好きがオススメするベストな熊本城の巡り方〜お得に無駄なく穴場まで〜

【お得に無駄なく穴場まで】旅行好きがオススメするベストな熊本城の巡り方

熊本城に行こう!でも熊本城は、お城だけではなく周辺も含めて沢山の見どころや楽しいスポットがあります。

熊本城を観光する際に抑えておきたいスポットや巡り方を紹介します。

熊本城に関連する主要な観光スポット

はじめに、熊本城に関連する主要な観光スポットを整理しておきましょう。

熊本城観光スポットマップ

熊本城マップ南ルート

  • 熊本城
    • 完全復活を遂げた天守閣
    • 「熊本城に行く」は天守閣へ行くことを指す。
  • 熊本城ミュージアム わくわく座
    • 体験型で楽しく熊本城の歴史に触れられる
  • 城彩苑
    • お土産や飲食店がたくさん
    • 観光案内所やロッカーもここにある
  • 加藤清正公像
    • 熊本城の入口にあります。
  • 熊本城稲荷神社
    • 熊本城に縁のある、紅白の色合いが美しい神社。
  • 高橋公園
    • 熊本近代史の偉人や遺構が眠る。
    • 歴史好きにはたまらない穴場スポット
  • 熊本市役所無料展望台
    • 14 階から熊本城を一望できる。夜景が最高に綺麗!
  • 熊本博物館
    • 熊本の歴史をまるごと展示。その中に熊本城に関する展示が一部あり。
    • たまに大々的に熊本城関連のイベントを開催

熊本駅からのアクセスはバスや路面電車で楽々

熊本城からは、バス、または路面電車で熊本城に行くことができます。

熊本城周遊バス(しろめぐりん)

熊本駅の白川口(東口)にあるバスターミナル 2 番のりばから、熊本城に行くバスが出ています。

熊本駅の白川口(東口)バスターミナル 2 番のりば

熊本駅からは約 23 分。料金は、大人 180 円、子供 90 円です。

しろめぐりん時刻表

バス停「桜の馬場 城彩苑」で降りましょう。熊本城内の施設「城彩苑」の前で降りられます。

バス停「桜の馬場 城彩苑」

バス停「桜の馬場 城彩苑」 バス停「桜の馬場 城彩苑」

路面電車 A 系統

路面電車は 8 分間隔で運行しているので、バスに比べたら出発時刻にシビアにならなくて良い(とりあえず駅に行って待っていればすぐ電車が来る)というメリットがあります。

熊本市交通局(時刻表・路線図)

熊本駅から路面電車で行く場合は、「熊本駅前駅」からA 系統に乗ります。最寄り駅は「花畑町駅」もしくは「熊本城・市役所前駅」です。(所要時間:17 分・180 円)

両者はさほど距離は変わりませんが、熊本城・市役所前駅で降りるのがオススメです。

駅からの徒歩ルートマップ

花畑駅から熊本城入口までは街中を歩きますが、熊本城・市役所前駅で降りると、熊本城の長塀(ながべい)を眺めながら入口まで行くことができて旅感がグッと増します。

長塀は、現在の坪井川に沿って建てられた全長 242m の長い堀です。国指定の重要文化財に指定されています。

長塀

熊本城 駐車場

自家用車やレンタカーで熊本城に行く場合は、場内に駐車場があります。駐車場は広いので、駐車に困ることはないでしょう。

熊本城にはいくつか駐車場がありますが、最も熊本城天守へアクセスが良く、駐車台数も多いのは二の丸駐車場(普通車:210台・二輪車:10台程度)です。

二の丸駐車場の位置と入口

  • 二の丸駐車場
    • 普通車:210台
    • 二輪車:10台程度
    • 【4月~10月】8:00~18:30(最終入庫17:30)
    • 【11月~3月】8:00~17:30(最終入庫16:30)

二の丸駐車場

二の丸駐車場の入口 二の丸駐車場の入口

castle.kumamoto-guide.jp

観光案内所に無料ロッカー有り

観光案内所

城彩苑の中に観光案内所があります。その中に無料ロッカーがあるので、荷物を収納できます。

観光案内所

ロッカー

使用可能時間は 9:00 ~ 17:00 です。

コインロッカーのため、鍵をかけるために 100 円を入れる必要がありますが、解錠時に 100 円は戻ってきます。

ロッカーの大きさは、大小 2 つのサイズがあります(両方無料です)

小サイズのロッカー

小サイズのロッカー

小サイズのロッカーは、通常のリュックサックなどを入れておくには十分な広さです。

小サイズのロッカー

大サイズのロッカー

大サイズのロッカー

大サイズのロッカーは結構大きいですが、大きなスーツケースを入れるのは難しいかもしれません。

大サイズのロッカー

有料ロッカーも有り。荷物預かりも。

無料ロッカーだけでなく、有料ロッカーも観光案内所にあります。

さらに、ロッカーが全て使用中となってしまった場合や、ロッカーに入り切らない大きさの荷物も、観光案内所にて有料で預かってもらえます。

  • 有料ロッカー
    • 100硬貨のみ使用可
    • 利用料金:[大] 500 円, [中] 400 円, [小] 200 円.
    • 利用時間:8:00 ~ 22:30(時間内は課金せずにロッカーの使用が可能)
  • 荷物預かり
    • 観光案内所にてお声がけください。
    • 利用時間:9:00 ~ 17:00

www.sakuranobaba-johsaien.jp

お得で無駄の無いオススメの熊本城の巡り方

ではここからは、効率よく、しかもお得に熊本城を巡れるモデルコースを紹介します。

  1. 熊本城ミュージアム わくわく座
  2. 熊本城
  3. 城彩苑でランチ&お土産購入

1. 熊本城ミュージアム わくわく座

熊本城に着いたら、まずは「熊本城ミュージアム わくわく座」に行きましょう。わくわく座は、城彩苑の中にあります。

熊本城ミュージアム わくわく座 熊本城ミュージアム わくわく座

大人の場合、熊本城への入場料は 800 円、わくわく座への入場料は 300 円ですが、「城満喫コース」という、わくわく座+熊本城のセット割のチケットを購入すれば 850 円になり、わくわく座へ実質 50 円で入れます。

城満喫コース(熊本城+わくわく座)850 円

わくわく座には、ゲームやプロジェクションマッピング、特大スクリーンの VR など、体験型のコンテンツが沢山あります。必ずしもあなたが歴史好き、城好きで無かったとしても十分に楽しめるコンテンツが揃っています。

わくわく座の様子

わくわく座の詳細は以下で紹介しています。

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2. 熊本城

わくわく座の出口から熊本城へ向かうための通路があり、熊本城まで簡単にアクセスできるようになっています。

熊本城マップ

熊本城への通路

特別見学通路(南ルート)

熊本城の天守へは、綺麗に整備され最も眺めの良い南ルートから向かいます。

熊本城マップ

特別見学通路(南ルート)入口

南ルート

まだ修復が終わっていない数寄屋丸五階櫓跡が見えます。

南ルート

熊本城の天守は修復が終わっており完全復活を遂げています。

熊本城天守

お城といえば、曲がりくねって坂道も多く、歩きづらいイメージがありますが、南ルートの通路は綺麗に整備し直されため、とても歩きやすいです。

南ルート 南ルート

二様の石垣

ここは「二様(によう)の石垣」という、2つの時代の石垣が重なっている、熊本城の見どころの一つです。

二様の石垣

  • 右側:加藤清正時代の石垣
  • 左側:細川忠利時代の石垣

傾斜が緩やかな古い石垣(右側)に、傾斜が急な新しい石垣(左側)が築き足されています。特徴を比べる事で石積みの技術革新がよく分かります。

二様の石垣

地下通路(闇り通路)

熊本城の天守へは、地下通路を通って行きます。本丸御殿への通路であったりもします。

熊本城地下通路 熊本城地下通路 熊本城地下通路 熊本城地下通路

地下通路を抜けると、天守へ到着です。

熊本城地下通路

熊本城天守

熊本城 大天守

2016 年の熊本地震で大きな被害を受けた熊本城ですが、天守は修復が完了し、完全リニューアルとして公開されています。

熊本城大天守

展示もフルリニューアルされ、設備の充実と併せて内容もとても充実しています。天守の中の様子は以下で紹介しています。

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天守の隣にはおみやげを販売している売店があります。

売店 売店 売店

3. 城彩苑でランチ&お土産購入

城彩苑

城彩苑は、お土産屋さんや飲食店が沢山立ち並んでいる商業施設です。先に紹介した観光案内所やわくわく座もこの城彩苑の中にあります。

ここで、お土産を購入したり、ランチを食べたりしましょう。

城彩苑マップ

城彩苑 城彩苑 城彩苑

食事処

熊本の名物はもちろんの事、食べ歩きができるものも販売していますし、食事処でゆっくり過ごすこともできます。

海鮮を食べたい人は「海まる」がオススメ。

海まる 海まる

熊本の郷土料理を食べたい!という人なら「山見茶屋」がオススメ。

山見茶屋 山見茶屋

熊本ラーメンを食べたい人は「山むら」へどうぞ。

山むら

ぜんざい、アイスクリーム、ラテなどのデザート、カフェメニューをいただきたい人には「いずみ茶」があります。

いずみ茶

食べ歩きに最適「うにコロッケ」

オススメは先ほど紹介した、海鮮メインの食事処「海まる」が販売している、食べ歩きに最適な「うにコロッケ」です。

うにコロッケ うにコロッケ うにコロッケ うにコロッケ うにコロッケ

とってもクリーミーで、ウニの味わいが柔らかくて美味しいです。

うにコロッケ うにコロッケ

お土産

お土産は取り扱っている品数が豊富なので、ここで購入するのは良い選択です。

売店売店売店売店売店売店

所要時間は 3 時間

わくわく座から始まり、熊本城を巡って最後に城彩苑でランチとお土産購入。

時間にして 9:00 ~ 11:40 の工程です。所要時間は約 3 時間で回れました。

もっと楽しみたいひとのために

熊本城をもっと楽しみたい!という人には、以下も是非訪れてみてください。全て有名なスポットですがあまり知られておらず、穴場です。

熊本城稲荷神社

熊本城稲荷神社

加藤清正公が肥後国主として入国するにあたり、京都の伏見稲荷大社から勧請した神社です。

熊本城の隣にあるため徒歩で十分行けるのと、紅白の色合いが美しいので神社好きならオススメです。神社自体も大きくはないので、熊本城のついでにでも気軽に見て回れます。

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高橋公園

高橋公園

熊本近代史の偉人や遺構が公園に詰め込まれまくっているという、歴史好きにはたまらない穴場スポットです。

こちらも熊本城から徒歩で十分行ける距離です。熊本城稲荷神社の隣にあります。

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熊本市役所無料展望台

熊本城夜景

熊本市役所の 14 階から熊本城を一望できます。しかも無料です。

日中でも良いですが、夜景が最高に綺麗なので、夜に行くのがオススメです。

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詳しくは紹介記事に記載していますが、夜の歓楽街からも近いので、夕食後に徒歩で行くこともできます。

蘇った日本屈指の観光城「熊本城」

城彩苑

2016 年の熊本地震で大きな被害を受けた熊本城ですが、天守の完全復活と共に、熊本城周辺の観光スポットも盛り上がっています。

紹介したわくわく座や熊本城の天守では、昔の城のような「ただ歴史や資料展示してあるだけ」ではなく、訪れた人が実際に体感・体験できるコンテンツが提供されており、五感が刺激され、純粋に「楽しい」と思える体験づくりがなされています。

城彩苑では、今回紹介できていない食事処やお土産屋さんもまだまだ沢山あります。

地酒専門販売、着物レンタル、馬刺し販売などなど…

さらには、最後に紹介した「実はすごいところなんだけどあまり知られていないスポット」も熊本城のすぐ近くにあり、熊本城、そして熊本観光を最大限に楽しめるスポットが熊本城の周辺に揃っています。

熊本城は今もなお修復工事が続いていますが、熊本城、そして熊本の観光は復活し活気を取り戻しています。

是非、熊本城に足を運んでください。

熊本城

熊本城 大天守は今、間違いなく日本で最も熱い城。震災を乗り越え、最先端技術と伝統の技が生み出した奇跡。

熊本城 大天守は今、間違いなく日本で最も熱い城。震災を乗り越え、最先端技術と伝統の技が生み出した奇跡。

2016 年(平成 28 年)7 月 14 日に発生した熊本地震の被害から完全復活を果たし、最新テクノロジーで革新的な進化を遂げた熊本城の大天守を紹介します。

熊本城

熊本城

熊本城は、熊本県熊本市中央区にある城郭です。国の特別史跡に指定されており、日本三名城の一つに数えられています。

熊本城は、戦国武将の加藤清正によって築城されました。清正は築城の名人として知られており、熊本城は当時の最先端の技術と工夫が盛り込まれた城郭です。

熊本城の特徴はその堅牢な構造にあります。石垣は高さ 20 メートル、厚さ 10 メートルにも達し、また、天守は 6 層からなる複雑な構造となっています。この堅牢な構造により、熊本城はこれまで一度も攻め落とされたことがありません。

しかし熊本城は、2016 年の熊本地震で大きな被害を受けました。現在も復旧作業が進められていますが、2023 年 7 月 22 日には大天守の一般公開が再開されました。熊本城全体としては 2023 年現在も復旧作業が続いていますが、修復が完了した大天守は、「建築」「歴史の継承」そして「観光」の両面で現代技術を纏った最先端城として復活を遂げました。

開園時間
9:00 ~ 17:00(最終入園, 天守への入場は 16:30 まで)
休園日
12 月 29 日 ~ 12 月 31 日
料金
  • 高校生以上:800 円
  • 小・中学生:300 円
  • 未就学児:無料
所在地
〒860-0002 熊本県熊本市中央区本丸 1-1

熊本城 - 公式サイト

完全復活!現代技術で生まれ変わった天守閣

2016 年の熊本地震で大きな被害を受けた熊本城天守ですが、「最新技術の耐震補強」そして「バリアフリー化」を果たし、2023 年に完全復活を遂げました。

完全復活を遂げた熊本城天守

さらには天守内の展示や内装もフルリニューアル。体験・体感型のアプローチを取った天守の展示は、現代技術によって「ただの展示」ではない、エンターテイメントとしての歴史の学びを提案します。

本記事では、そんな熊本城の天守内部を紹介していきます。

興味と楽しいを誘発!体感型コンテンツ

熊本城天守の展示はただの展示ではありません。映像や造形をふんだんに使用し、訪れた私達の興味関心を強く引くようなアプローチを取っています。

代表的なのは映像コンテンツ。解説もあり分かりやすい上、ついつい見入ってしまいます。

映像コンテンツ

巨大な熊本城天守の模型。

熊本城天守の模型

熊本城天守の模型

これらは私達の背丈よりも大きな模型です。覗き込めば模型の精巧さに驚きますが、何より巨人にでもなった気持ちになれるのにも楽しさを感じます。

精巧に作られた模型

精巧に作られた模型

精巧に作られた模型

この模型に映像コンテンツが添えられており、天守の構造をより深く知る機会の提供も逃しません。

模型の解説映像

さらには、大きなパネルを使った展示で、歴史に詳しくない我々でも入りやすく、シンプルに「眺めるだけでも楽しい」要素が盛り込まれています。

大きなパネルを使った展示

大きなパネルを使った展示

大きなパネルを使った展示

そうかと思えば、ミニチュアサイズで超絶精巧な熊本城が現れます。

ミニチュアサイズの熊本城

ミニチュアサイズの熊本城

ミニチュアサイズの熊本城

ミニチュアサイズの熊本城

ミニチュアサイズの熊本城

極めつけは、まるで原寸大かのような巨大な「御上段模型(おじょうだんもけい)」です。

御上段模型

「御上段」は、大天守最上階(6階)にあった部屋です。模型は時代の平面図や古文書をもとに復元されました。

近づいて見ると迫力がすごい。再現性が高いので、覗き込むと本当にそこにいるかのように感じます。

御上段

南には「松」、北には「秋野花」が描かれています。

御上段

他にも、シアタールームでの映像コンテンツ「天守シアター」や、プロジェクションマッピングを利用した解説など、直感的に分かりやすく興味を引くコンテンツが沢山用意されています。

天守シアター

プロジェクションマッピングを利用した解説

これはまだ一部です。こういうコンテンツが大天守内に沢山あるので、根っからの歴史好き、城好きでなくても楽しめます。

天守のバリアフリー化と車いすについて

熊本城天守閣 施設案内板

天守に入る前に、熊本城天守のバリアフリーについて触れておきたいと思います。

日本のお城とは元来、敵の侵入を少しでも防ぐ工夫がなされているものです。その一つとして、階段が急勾配に作られており、健常者であっても上りづらかったりします。

熊本城は全部で 6 階(実質 7 階)まであり、その全てを階段を上ることで進みます。

ただし、車いす利用者の方(介添者含む)をはじめ、視覚に支障のある方、階段利用が困難な方に限って、エレベーターを利用することが可能です。

エレベーターを利用したい場合は、熊本城のスタッフに声を掛けてください。案内してくれます。

ちなみに、天守はフルリニューアルされていますので階段も刷新されています。昔ながらの城によくある急勾配の階段はありませんのでご安心ください。

熊本城天守内の階段

天守への入口も、このように完全にバリアフリー化がなされており、車いすでも天守へ入ることができます。

バリアフリー化された天守入口

地下 1 階 天守入口 穴蔵

天守入口

天守入口

入口は大天守の脇にある小天守です。天守閣としては石垣の部分に当たるため、階層としては「地下 1 階」と数えられます。穴蔵(=地下階)と呼ばれるこの場所は、本来は土間に礎石(そせき: 建物の柱を受ける土台石のこと)が並び、その上に木の土台を置いて建物を支える柱を立てていました。

そのため、広く、吹き抜けのような構造になっているのが特徴です。

穴蔵

穴蔵

小天守の穴蔵は「御水屋(おんみずや)」と呼ばれる台所で、井戸や竈門(かまど)があり、当時は籠城にも耐えられる機能を備えていました。

井戸の跡 井戸の跡

階段を上がって 1 階へ向かいます。

1 階へ向かう階段

1 階 加藤時代

1 階 加藤時代

「加藤時代」の「加藤」とは、熊本城を築城した加藤清正のことです。1 階では、熊本城の伝説や築城の歴史、加藤清正の人物像などの紹介がメインとなっています。

熊本城・加藤時代年表

清正の城づくり

熊本城が堅牢だと言われた所以

熊本城が秀逸な理由の一つとして「堅牢な構造」が挙げられますが、その一翼を担っている石垣についても解説されています。

石垣の解説

そして、熊本城全体に施された防御装置(壁・窓・忍び返し・狭間・石落とし)の解説

防御装置の解説

貴重な昔の写真や装飾

貴重な昔の熊本城の写真、古くは明治時代に西南戦争で消失する前の天守の写真も展示されています。

古写真にみる天守のすがた 古写真にみる天守のすがた

こちらは昔、熊本城を飾っていた鯱瓦(しゃちがわら)

鯱瓦

(しゃち)とは、頭は龍、体は魚の想像上の生き物で、口から水を吐くため火除けとして城の屋根に置かれ、天守を守る棟飾りとして用いられました。

鯱瓦 鯱瓦

2 階 細川時代

2 階 細川時代

2 階は熊本城の第二期の時代である、細川家の時代の展示です。

江戸時代、1632年(寛永 9 年)に清正の子である加藤忠広が身分を剥奪(改易)されたことで、次の熊本藩主として細川忠利が熊本城に入城したことから細川時代は始まります。

細川家の入城

細川家の統治になってからは、熊本城下がさらに拡大しました。本丸全域を描く唯一の平面図などが大きなパネルで展示されています。

本丸全域を描く唯一の平面図

そしてここにも、カラフルなプロジェクションマッピングを使った展示・解説があります。

プロジェクションマッピングを使った展示・解説 プロジェクションマッピングを使った展示・解説

細川家の甲冑を目の当たりに!

武器庫としての天守

天守とは、戦時において最後に籠城する場所であり、本来は武具類や食糧が備えられていました。熊本城の天守にも、加藤時代から備えられていた武具とともに、細川家の甲常類が大量に保管されていました。

1871 年(明治 4 年)の廃藩置県が行われた際に、天守にあった大量の武具類の保管が問題となりましたが、当時、細川家が歴代藩主の武具を 200 人以上の旧家臣に預けたことで、廃棄・売却を免れ、現在まで伝わったものも少なくないとされています。

このフロアに展示されている細川家の甲冑もその中の一つです。

細川家の甲冑 細川家の甲冑

3 階 近代

3 階 近代

3 階は、西南戦争、明治維新、明治 22 年の熊本地震、そして天守の再建など、近代の歴史を展示しています。

3 階のフロアマップ 3 階のフロアマップ

開かれた熊本城

明治に入り、熊本城は「戦国の余物」「無用の贅物」とされ一度は解体の道を進みます。しかし政治的な事情もあり解体を免れた熊本城は、ここで「一般公開」に踏み切ります。それが「開かれた熊本城」です。

開かれた熊本城 開かれた熊本城 開かれた熊本城

西南戦争

1877 年(明治 10 年)には、日本最後の内戦となった西南戦争が始まります。

西南戦争と熊本城

熊本城は、西郷隆盛率いる薩摩軍と、谷干城率いる政府軍が戦う最初の舞台となりました。

熊本城は、50 日間にも及ぶ籠城戦を耐え抜き、最初で最後のこの戦いで「難攻不落」であることを証明しました。

西南戦争と熊本城 西南戦争と熊本城 西南戦争と熊本城

明治 22 年熊本地震

明治 22 年熊本地震

西南戦争から 12 年後の 1889 年(明治22年)7 月 28 日深夜に、熊本の街を大地震が襲いました。マグニチュード 6.3 と推定される直下型地震で、熊本城でも各所の石垣が崩れる大きな彼害を受けました。

当時の崩れた石垣の写真を巨大パネルで見ることができます。迫力もさながらに、こういった記録がしっかり残されていることに頭が下がります。

明治 22 年熊本地震で崩れた石垣

天守の再建

天守の再建

1960 年(昭和 35 年)に、天守消失から実に 83 年を経て、天守の再建が実現しました。

天守の再建

天守の再建

4 階 現代

4 階 現代

4 階は、現代の展示フロアです。まだ記憶に新しく、今もなお修復工事の続く 2016 年(平成 28 年)の熊本地震からの復興の様子が展示されています。

よみがえる熊本城

復興城主デジタル芳名板

復興城主デジタル芳名板(ほうめいばん)は、「復興城主」として、熊本城の復旧・復元への寄附を行った方々の名前を見ることができる所です。

5 階 ちょっとした休憩スペース

5 階には歴史の展示はありません。その代わり、著名人のサインとベンチが設置されており、ちょっとした休憩スペースになっています。

5 階

ここから階段を上れば、いよいよ展望フロアです。

6 階 展望フロアへの階段

6 階 展望フロア

6 階 展望フロア

6 階は最上階、展望フロアです。熊本市街地を一望できます。

展望フロアからの眺め 展望フロアからの眺め 展望フロアからの眺め 展望フロアからの眺め 展望フロアからの眺め

今、間違いなく日本で最も熱い城。

熊本城天守

震災を乗り越え、最先端技術で蘇った熊本城天守が、城としての堅牢さ、アクセシビリティを追求したバリアフリー化に加えて、「体感型」という現代のエンターテイメント的アプローチを手に完全復活しました。

熊本城天守

「面白そう」「分かりやすい」「楽しい」という要素は、歴史を知る最初のきっかけを作ります。こういったアプローチこそが、歴史に詳しくない、特に興味があるわけではない人にも「エンターテイメント」ととして歴史に気軽に、そして楽しく触れるきっかけを作れるといえるでしょう。

現代のテクノロジーと、継承され磨かれてきた伝統の技で復活を遂げた熊本城。

熊本城の大天守は、今、間違いなく日本で最も熱い城です。

熊本城天守

岡城を歩く|大分に断崖絶壁の天空城、絶景とスリルの現地レポート

岡城を歩く|大分に断崖絶壁の天空城、絶景とスリルの現地レポート

断崖の天空城を歩く。岡城 現地レポート

標高325m、断崖絶壁の上に築かれた岡城。柵のない石垣から望む絶景と、足がすくむようなスリルが待っています。

この記事では、実際に岡城を歩いた様子をお届けします。駐車場から大手門、そして本丸まで、散策の流れに沿って紹介していきます。

岡城の歴史や見どころについては、こちらの記事で詳しく紹介しています。

▼▼▼ 岡城の見どころについて詳しく見る ▼▼▼

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無料駐車場に到着

駐車場広いですね。普通車140台、バス9台分のスペースがあり、無料です。

岡城跡の広い駐車場と青空

岡城跡駐車場の広場と奥に見える石垣の丘

キャンピングカー向けのRVパークも併設されています。

岡城跡のRVパークsmart案内看板と受付設備

観覧券を購入

駐車場のすぐ近くにある料金所(総役所跡)で観覧券を購入します。

岡城跡の観覧券発売所で並ぶ来訪者

入城料は大人¥300。観覧券と一緒に、城内マップのパンフレットがもらえます。日本100名城スタンプもここで押せます。

岡城跡の観覧券とパンフレットを受け取る窓口

大手門までの道のり

それでは出発です。料金所から岡城の入口までは約180m、2〜3分の道のりです。

駐車場から岡城入口までの徒歩ルートを示した航空写真

大手門跡への案内看板と城内の坂道を歩く人々

鏡石

道中、石垣の中にひときわ大きな岩が埋め込まれているのが見えます。これは「鏡石」と呼ばれるもので、城主の権威を示す装飾であり、石垣の強度を高める役割も担っています。

石垣に埋め込まれた巨大な鏡石と周囲の石積み

苔むした鏡石を囲む石垣の正面

岡城では、大手門・太鼓櫓門・三の丸などで鏡石を見ることができます。

阿蘇溶結凝灰岩の岩壁

岡城は天然の岩山の上に築かれた城。その岩肌を間近に見ることができます。

岩山の断崖沿いに続く岡城内の舗装路

苔と草に覆われた阿蘇溶結凝灰岩の岩肌

阿蘇溶結凝灰岩の崖と案内板が立つ斜面

阿蘇山の噴火による火砕流が形成した溶結凝灰岩。長い年月をかけて河川が削り、この断崖絶壁が生まれました。自然の力を感じます。

土産店「大手門」

岩山沿いに続く舗装路と土産物店の建物

岡城への道沿いには、土産店「大手門」があります。

土産物店大手門の外観と長い軒下

岡城への道沿いに並ぶ土産物店の店頭

この場所はかつて鉄砲方詰所があった場所だそうです。

鉄砲方詰所跡の石碑と竹細工や草履の土産

店内には、竹細工や木工細工などの民芸品が並んでいました。

店先に並ぶ竹細工や民芸品の土産物

竹細工の調理器具や食器が並ぶ店内

とにかく沢山の民芸品が並んでおり、あれも欲しいこれも欲しいと、時間があっという間に過ぎていきます。

まずは岡城を楽しまなければということで、帰りに寄るとして我慢して先を急ぎます。

岡城の入口へ続く坂道と右手の石垣

いざ、大手門へ

史跡岡城跡の石碑と入城へ向かう石段

ここから石段を登っていきます。難攻不落の城、その堅固さを足で体感する瞬間です。

岡城跡の石柱と苔むした階段の入城口

段差は低めなので、ゆっくり登れば大丈夫です。

石垣沿いに続く岡城への階段と木陰

苔むした石垣が時代を感じさせます。そして、曲線を描く石垣は、岡城の特徴の一つでもあります。

苔に覆われた石垣と木陰の遊歩道

石垣越しに見下ろす坂道と竹林

石垣越しに広がる渓谷と竹林の眺め

階段の折り返し地点。なかなか足腰に来ます。

石垣沿いに続く長い階段と木製の手すり

元々の石段と新設の木製階段がありますが、木製階段の方が段差が低く登りやすいです。

木製階段と石段の二種類を示す上り道

登ってきた道を振り返ると、かなりの高さまで来ていることがわかります。

木段と石段が並ぶ急な階段を見下ろす景色

高所から見下ろす石段と谷の遊歩道

あと少しで大手門です。

大手門へ向かう石段と木段の分岐

大手門。そして広がる絶景

大手門跡の巨大な石垣と青空

大手門跡に到着。巨大な石垣が迎えてくれます。

大手門跡の石垣と石段の通路

大手門跡の石垣に見られる精緻な石積み

青空に映える大手門跡の石垣の角

大手門をくぐると、視界が一気に開けます。

大手門先の広場から望む山並みと石段

岡城の石垣から見渡す谷あいの集落と道

大手門の先は枡形(ますがた)になっています。敵の侵入を防ぐための構造で、直進できないようになっていました。

大手門を抜けた枡形の広場と石垣

大手門前の石段と広場に広がる草地

古大手門跡

古大手門跡の石垣通路と石柱

こちらは古大手門跡。中川氏入城以前は、ここが正門だったと伝わっています。

石垣と絶景を巡る

ここからは城内を散策していきます。岡城は広いので、ゆっくり見てまわると1時間半から2時間ほどかかります。

岡城マップ上に示された各区間の徒歩所要時間

中川但見屋敷跡

大手門から本丸へ向かう途中、左手に広がるのが中川但見屋敷跡です。

中川但見屋敷跡を示す案内看板と石段

中川但見屋敷跡の広い草地と案内柱

中川但見屋敷跡に広がる草地と木立

かなりの広さ。どれほど大きな屋敷だったのか想像が膨らみます。

ここからの眺めも抜群です。

石垣越しに広がる谷と山並みの眺望

石垣の端から見渡す深い谷と遠い山々

曲輪の石垣と広場を見渡す眺望

西中仕切跡

西中仕切跡の石柱と石垣

城内で最も狭い空間がここ、西中仕切跡です。

西中仕切跡の石垣に挟まれた通路

石垣に挟まれた狭い石段の通路

石垣の間に設けられた石段の上り口

石垣に囲まれた曲がり通路と開けた広場

通路を折り曲げ、敵が直進できないようにした防御施設です。ここを歩くと、城の守りの工夫を実感できます。

太鼓櫓跡・鐘櫓跡

鐘櫓跡の石柱と石垣の角

鐘櫓跡の石段と石垣に残る切り株

太鼓櫓跡の広場と左右にそびえる石垣

太鼓櫓跡の石柱と石垣

太鼓櫓跡の石垣と青空に伸びる木

太鼓櫓は城内で最も重要な門。巨石を隙間なく積み上げた石垣は、城主の権威を示すものでした。

三の丸跡

三の丸跡の広場と桜の木々

三の丸は、他藩からの使者や家臣が藩主と対面する場でした。現在は広場になっています。

二の丸跡

二の丸跡の石柱と芝生の広場

二の丸跡へ上がる石段と石垣の曲線

二の丸跡の高い石垣と反りのある壁面

二の丸には休憩所があり、一息つくことができます。

二の丸休憩所の案内看板と休憩所の建物

二の丸からの眺めも素晴らしいです。

二の丸の石垣から見下ろす深い谷と樹海

瀧廉太郎像

二の丸には瀧廉太郎像があります。少年時代を竹田で過ごし、岡城でよく遊んだという廉太郎。名曲「荒城の月」は、この岡城がモチーフになっています。

滝廉太郎の銅像と背後に広がる山並み

空を背景に立つ滝廉太郎像の上半身

くじゅう連山を背に、遠くを見つめる姿。岡城を象徴する光景のひとつです。

本丸跡

本丸跡の石柱と広い芝生の広場

本丸は岡城の最高地点。かつては藩主の住まいとなる本丸御殿がありました。

本丸跡の広場と岡城天満神社の社殿

岡城天満神社があります。

本丸跡の広い草地で景色を楽しむ人々

本丸跡の大木の木陰と谷を望む景色

本丸からの眺めは圧巻です。

本丸から見下ろす二の丸跡と桜並木

本丸の石垣角から見下ろす渓谷と杉林

本丸の石垣沿いから見下ろす桜と曲輪

本丸から見渡す二の丸跡の広場と桜の木々

柵がないので、絶景に夢中になりすぎないよう注意してください。

下原門跡

下原門跡の案内看板と石垣に囲まれた通路

下原門は岡城の搦手(裏口)。中川氏入城以前は、ここが大手門だったと伝わっています。

下原門跡の石垣に挟まれた坂道

四季の彩り

岡城は四季折々の植物も楽しめます。春には「日本さくら名所100選」に選ばれた桜が咲き誇ります。今回訪問したのは 3 月下旬。生命の息吹を感じられ始めた頃で、桜も 2 部咲きくらいでした。

青空に映える桜のつぼみと咲き始めの花

苔の地面に落ちた椿の赤い花

石垣のふもとに咲く黄色い野花

絶景とスリル、歴史が交差する天空の城

史跡岡城跡の石碑と城へ続く坂道

断崖絶壁の上に広がる石垣群、その先に広がる大パノラマ。岡城は、ここでしか味わえない体験を与えてくれます。桜や紅葉といった、季節で違う表情を見せてくれるところも、何度も行きたくなる理由です。

大手門までの石段は少し大変ですが、登った先には感動の景色が待っています。所要時間は1時間半から2時間ほど。ぜひ歩きやすい靴で訪れてください。


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飫肥城を歩く|杉と苔に包まれた静かなる城跡を現地レポート

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500年の歴史。静かなる癒やしの城「飫肥城」を現地レポート

宮崎県日南市にある飫肥城。「九州の小京都」と呼ばれる城下町の中心に位置する、日本100名城のひとつです。

この記事では、実際に飫肥城を訪れた様子を、散策の順路に沿ってお届けします。

なお、飫肥城の見どころや歴史については、以下の記事で詳しく紹介しています。

▼▼▼ 飫肥城の見どころについて詳しく見る ▼▼▼

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飫肥観光駐車場と案内処

飫肥城へは、無料の飫肥観光駐車場が便利です。収容台数は約140台。バスで訪れる場合も「飫肥城」バス停がこの駐車場内にあります。

飫肥観光駐車場の入口側の駐車スペースと停車中の車

飫肥観光駐車場の広い駐車場と並んだ車

飫肥観光駐車場の奥まで続く駐車エリアと周囲の山並み

駐車場内には「飫肥城下町 案内処」があります。飫肥城のリーフレットや散策マップを入手できるので、城に向かう前に立ち寄ってください。

飫肥城下町案内処の外観と出入口

飫肥城のリーフレットとあゆみちゃんマップが並ぶ観光パンフレット

大手門へ向かう

駐車場を出ると、道の先に飫肥城の大手門が見えます。一本道なので迷う心配はありません。

飫肥観光駐車場から飫肥城大手門へ続く石垣と白壁の道

途中には小村寿太郎記念館もあります。

小村寿太郎記念館の石段と門のある入口周辺の風景

大手門

飫肥城の正門、大手門に到着しました。

飫肥城の大手門を正面から見た石垣と木製門の堂々とした入口

1978年に復元された櫓門です。苔むした石垣と周囲の緑に溶け込んだ姿が印象的です。

飫肥城大手門の屋根と櫓が見える重厚な門構え

飫肥城大手門の軒下と細かい造りがわかる近接した上部の風景

太い柱と木組みの構造を間近に見ることができます。

飫肥城大手門の間口から奥の白壁や広場が見える構造

飫肥城大手門の梁と木組みが見える内側の斜め上からの視点

飫肥城大手門の木材と石垣に囲まれた力強い門の内側の様子

桝形虎口を抜ける

大手門をくぐると、四方を白壁で囲まれた空間が現れます。これが飫肥城が誇る防御戦術「桝形虎口」です。

飫肥城の桝形虎口で白壁と石垣に囲まれた通路の風景

飫肥城の桝形虎口は、本丸へ向かうまでに複数回の方向転換を強いる構造で、日本の城の中でも強固な防御を誇ります。

桝形虎口の石段と白壁に挟まれた通路

石段を上がると石垣に突き当たり、道は左右に分かれます。

石垣に突き当たり左右に分岐する桝形虎口の道

白壁と石垣に囲まれた桝形虎口の分岐点

順路である左に進みましょう。

苔に覆われた地面と飫肥杉の風景が広がる桝形虎口の左側順路

飫肥杉と苔の絨毯が広がります。

飫肥杉が並ぶ苔の絨毯と静かな散策路

桝形虎口左側の杉の木々と緑の地面

杉林と苔が調和する美しい左側順路の景観

石段は低く作られているので歩きやすいです。

石垣沿いに続く桝形虎口右側の散策路と杉の並木

歴史資料館側に進む桝形虎口の右側通路と杉の木立

桝形虎口右側の石垣と緩やかな石段の風景

しあわせ杉と広場

桝形虎口を左手に抜けると、しあわせ杉があります。

四本の飫肥杉が立つしあわせ杉の場所と白壁の周囲の風景

4本の飫肥杉が四隅に立ち、その対角線が交わる中心に立つと幸せになれるという言い伝えがあります。

四本の飫肥杉が囲むしあわせ杉の中心地点を示した案内表示

しあわせ杉の位置関係を示す案内表示と周囲の飫肥杉の風景

しあわせ杉の脇には広場があり、ベンチやトイレが設置されています。

石段と白壁に囲まれた広場の休憩スペース

広場全体とその奥に伸びる白壁の景観

白壁と木々に囲まれた広場の石段と空間の様子

広場のベンチと木陰の休憩スペースの風景

この広場を起点に、左手に松尾の丸、正面に旧本丸跡、後ろに歴史資料館があります。

松尾の丸

広場から西へ進むと、松尾の丸に到着します。

松尾の丸へ続く長い石段と木々に囲まれた参道

1979年に復元された書院造りの建物で、江戸時代初期の上級武士の屋敷を再現しています。

松尾の丸の外観と周囲の木々の景観

松尾の丸の玄関口と屋根を見上げた風景

建物内には御座の間、茶室、御寝所、湯殿、台所、御蔵など20室以上の部屋があります。

御座の間に飾られた雛壇と屏風が並ぶ畳の部屋

雛壇が飾られた畳の間と窓越しの庭の眺め

畳敷きの部屋に並ぶ雛飾りと展示品の様子

雛飾りと床の間のある伝統的な展示室内部

注目は湯殿です。京都・西本願寺の国宝「飛雲閣」の浴室を模した蒸し風呂で、当時のサウナの仕組みを知ることができます。

蒸し風呂の外観展示と木製の入口構造

蒸し風呂内の木製座面と床面の様子

かまどで水を沸騰させ、その上にすのこを張って座る構造です。

蒸し風呂の仕組みを説明する展示図解パネル

蒸し風呂を焚くかまどの石組みと小さな投入口

蒸し風呂を焚くかまどを上方から見た内部構造

甲冑の展示もあります。

展示室に並ぶ都甲家と荒武家の二領の甲冑と屏風の背景

藩主が参勤交代で使用した御座船の模型も展示されています。

畳敷きの展示室に置かれた大名の御座船模型と解説パネル

御座船の展示模型と船内様子を示す案内パネル

松尾の丸は見どころが多く、所要時間は20〜30分程度。ぜひ立ち寄ってみてください。

旧本丸跡への道

広場に戻り、旧本丸跡へ向かいます。

旧本丸跡へ向かう石垣と白壁沿いの道と木々の風景

右手には飫肥小学校の校庭が見えます。この場所もかつての本丸跡です。城内に学校があるのは珍しいですね。

飫肥小学校の校庭と広い空間を見渡す景色

杉並木の石段を上がっていきます。

旧本丸跡へ続く杉並木と緩やかな石段

杉の木々に囲まれた石段と静かな参道

苔むした石段が続く旧本丸跡への道の風景

杉林と苔の石垣に囲まれた石段の美しい景観

杉林の中を上へ伸びる石段と石垣の景色

この石段沿いの石垣は、江戸時代初期、箇所によっては安土桃山時代後期のものが残っています。

旧本丸跡「癒しの森」

石段を上がりきると、旧本丸跡に到着します。

旧本丸跡の杉林と苔が広がる幻想的な風景

樹齢140年を超える飫肥杉がまっすぐに伸び、足元は苔の絨毯に覆われています。飫肥城で最も人気のあるスポットです。

広い苔の地面とそびえ立つ飫肥杉の並木

杉の根と苔が調和した旧本丸跡の静かな景観

苔に包まれた地面と密に立つ飫肥杉の柱のような木々

飫肥杉が並ぶ旧本丸跡で緑が広がる落ち着いた雰囲気

苔に覆われた地面と杉の木々が続く幻想的な空間

杉林と苔の地面が調和した旧本丸跡の美しい自然

かつてここには藩主の御殿がありましたが、1600年代後半に3度の地震で倒壊し、現在の飫肥小学校の場所に移されました。

杉と苔が織りなすこの空間は「癒しの森」と呼ばれ、静かな時間が流れています。

苔と飫肥杉が広がる旧本丸跡を見上げた静かな景観

高く伸びる飫肥杉の森と広がる苔の幻想的な空間

また、旧本丸跡には「登竜門」と呼ばれる薬医門があります。この門も、歳を重ねた木材と、周囲の苔風景との雰囲気が抜群です。

旧本丸跡にある登竜門を正面から見た石垣と木門の景観

登竜門の屋根と門扉を間近から見た風格ある外観

登竜門の梁と木組みが見える近距離の視点

門の内側から見上げた登竜門の立体的な木造構造

登竜門からは飫肥小学校の校庭を見下ろせます。

登竜門越しに飫肥小学校の校庭を見下ろす風景

飫肥城歴史資料館

旧本丸跡から戻り、2022年(令和4年)にリニューアルオープンした歴史資料館へ向かいます。

歴史資料館の正面入口と白壁の建物外観

飫肥城歴史資料館には、飫肥藩ゆかりの甲冑・刀剣・古文書など約220点が展示されています。

資料館内部の扉と展示室へ続く通路の様子

初代藩主・伊東祐兵の甲冑や刀剣が並びます。

伊東祐兵が着用した甲冑の展示と説明パネル

歴史資料館に展示される着物と模様の紹介展示

展示ケースに収められた日本刀の展示と背景の解説パネル

展示された刀身を間近から見た展示ケース内部の様子

プロジェクションマッピングやCG映像で飫肥城の歴史を紹介するコーナーもあります。

映像コンテンツが再生されている大型画面と閲覧スペース

プロジェクションマッピング展示と周囲の照明演出

体験展示もあり、火縄銃や刀を実際に持つことができます。

火縄銃の体験展示と台に置かれた火縄銃の説明

展示台に置かれた火縄銃と背景の体験案内

体験展示で刀を持つことができる台と説明パネル

木台に設置された刀と展示案内の説明文

展示台に置かれた刀を横から見た展示風景

火縄銃は1,800g、刀は820g。見た目よりも重く感じました。こういった体験ができるの城は少なく、貴重な体験ですので、ぜひ手にとってみてください。

資料館内の展示室全体と甲冑や武具の展示が並ぶ様子

飫肥杉と苔の緑、そして500年の歴史が重なる飫肥城の時間

歴史資料館へ続く石段と木々に囲まれた静かな景観

飫肥城を歩いて印象に残ったのは、苔むした石垣の美しさです。南北朝時代から500年以上の歴史を刻んできた城跡には、時間の流れそのものが景観として残っています。

苔むした石垣と白壁の上に鐘楼が見える飫肥城の眺め

石垣の苔と風化した石面が見える近距離視点

苔に覆われた石垣と木々のある趣深い景観

石垣と白壁の対比が美しい飫肥城の風景

飫肥城には飲食店がないので、散策後は城下町で食事を楽しむのもおすすめです。

飫肥城で歴史散策を楽しみつつ。ぜひ杉と苔に包まれた静かな時間を過ごしてみてください。

桜越しに望む飫肥城の白壁と瓦屋根の風景


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鹿児島城跡を歩く|二度の戦火を生き抜いた鶴丸城を現地レポート

鹿児島城跡を歩く|二度の戦火を生き抜いた鶴丸城を現地レポート

西南戦争の舞台となった激戦地「鹿児島城」を現地レポート

鹿児島城跡(鶴丸城)は、鹿児島市の中心部・城山の麓に広がる城跡で、薩摩藩主・島津家の居城として築かれました。西南戦争の激戦地としても知られ、石垣には無数の弾痕が残されています。

本記事では、実際に鹿児島城跡を訪れた際の様子をレポートします。復元された御楼門や黎明館、庭園の遺構など、現地で見られる歴史の痕跡を写真とともに紹介していきます。

なお、鹿児島城の歴史や見どころを詳しく知りたい方は、以下の記事も併せてご覧ください。

▼▼▼ 鹿児島城の見どころについて詳しく見る ▼▼▼

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御楼門

鹿児島城跡を象徴するのが、正面にそびえる「御楼門(ごろうもん)」です。

石垣の上に建つ御楼門の全景と周囲の堀

高さ・幅ともに約20メートル、堂々とした木造の門は、かつて城の正面を守った威厳そのままに再現されています。

御楼門の木組みと瓦屋根の細部を見上げた構図

この御楼門は、明治6年(1873年)の火災で焼失した後、長らくその姿を失っていましたが、およそ150年の時を経て2020年に復元され、現在では鹿児島城跡の新たなシンボルとして多くの人々を迎えています。

西南戦争の痕跡。数千発の弾痕

御楼門を抜けて左手へ進むと、石垣に無数の穴が刻まれています。これは明治10年(1877年)の西南戦争で放たれた銃弾と砲弾の痕跡です。城山を拠点に立てこもった薩軍と、それを包囲した政府軍の激しい攻防がこの場所で繰り広げられました。

西南戦争の弾痕が残る石垣と説明板が並ぶ史跡の広場

石垣の継ぎ目や角に集中する痕、欠け落ちた石面、浅い窪みなど、どれも激戦の証です。複数方向からの射撃や砲撃があったことがうかがえ、当時の攻防の激しさを静かに物語っています。

無数の弾痕が刻まれた鹿児島城跡の石垣の近景

西南戦争の激戦を物語る石垣の表面と石の継ぎ目

苔に覆われた石や風化の進んだ表面からは、百年以上の歳月が過ぎても失われない戦いの痕跡が感じられます。大きな破損の隣には、針先ほどの小さな痕が点々と残り、激しい銃撃戦の様子を想像させます。

弾痕が連なる石垣とその前を通る石畳の道

苔むした石垣に刻まれた銃痕と砲弾跡

斜めから見た石垣に密集する弾痕の様子

石に刻まれたその傷跡を見つめると、時を超えて戦いの記憶が伝わってくるようです。

石垣の表面に残る小さな銃弾の跡を接写した写真

なお、石垣の痕の一部には、第二次世界大戦期の銃撃によるものも確認されているようです。

黎明館

御楼門を抜けた先に続く黎明館への石畳の参道

御楼門を抜け、弾痕が残る石垣沿いの道を進むと、その先に見えてくるのが、鹿児島県歴史資料センター「黎明館(れいめいかん)」。城跡の本丸跡に建てられた博物館で、薩摩の歴史と文化を幅広く紹介しています。

黎明館の外観と前庭に設置された石碑を写した風景

雨上がりに撮影された黎明館の建物全景と広場

聚珍寶庫碑

黎明館の脇に、ひときわ印象的な石碑「聚珍寶庫碑(しゅうちんほうこひ)」が建っています。

聚珍寶庫碑と説明板が並ぶ黎明館前の緑地風景

黎明館の建物を背景にした聚珍寶庫碑の近景

この碑は、薩摩藩第25代藩主・島津重豪(しまづしげひで)によって建立されたもので、彼の思想と文化的関心を今に伝えています。島津重豪は、照國神社に祀られている島津斉彬の曽祖父にあたる人物で、18世紀後半に活躍しました。

碑文には、天地開闢(てんちかいびゃく)から始まり、自然の理(ことわり)を探求する姿勢が記されています。重豪は薬草の研究や動植物の飼育、鉱物・陶磁器などの収集を通して、自然と科学への理解を深めようとしていたことがうかがえます。

また、長年にわたる収集品の散逸を惜しみ、荏原郡(現在の東京・高輪)に「聚珍寶庫」と名づけた宝物庫を建て、貴重な品々を保管した経緯も刻まれています。百年後の後世にまで守り伝えてほしいという願いが、碑文全体を貫いています。

鹿児島の地でこの碑に出会うと、学問と好奇心に生きた一人の藩主の姿勢が感じられます。江戸時代の薩摩に、すでに世界へのまなざしと収集文化が根づいていたことを伝える、静かな記念碑です。

天璋院篤姫像

黎明館の敷地内には、幕末を代表する薩摩の女性・天璋院篤姫(てんしょういんあつひめ)の像が静かに佇んでいます。

天璋院篤姫像が立つ台座と背後の木々が広がる広場

篤姫は薩摩藩主・島津家の分家に生まれ、のちに徳川第13代将軍・家定の正室となった女性です。夫の死後は「天璋院」と号し、幕府崩壊の時代を迎えても、徳川家と民衆を守るため尽力しました。

1868年、官軍が江戸総攻撃を決定した際、篤姫は西郷隆盛らと交渉を重ね、江戸城の無血開城を導いた立役者のひとりとされています。その冷静な判断と誇り高い行動は、まさに薩摩おごじょの精神を象徴するものです。

黎明館の緑の中に立つこの像は、激動の時代をしなやかに生き抜いた女性の気高さを今に伝えています。訪れた際は、ぜひ足を止めてその姿を見上げてみてください。

黎明館庭園と桶の間二つ家

黎明館裏手の木々に囲まれた小径を進む静かな通路

黎明館の裏手には、静かな緑に包まれた庭園が広がっています。観光客の姿も少なく、ゆったりとした時間が流れる場所です。かつて鹿児島城の本丸東南部にあった池を再現した「御池(みいけ)」や、薩摩の伝統的な民家を移築した「桶の間二つ家(てのまふたつえ)」があり、往時の生活や美意識を身近に感じられます。

御池の水面と九皐橋が調和する黎明館庭園の風景

御池は、島津家第18代当主・島津家久が築いた庭園の一部を、昭和期に黎明館の開館に合わせて復元したものです。石組みの間を水が穏やかに流れ、「九皐橋(きゅうこうばし)」と呼ばれる優美な橋が架かっています。水面に映る木々と石の調和が美しく、歩みを止めて眺めたくなる静かな一角です。

茅葺き屋根の桶の間二つ家を外から見た全景

池のそばには、「桶の間二つ家」と呼ばれる茅葺き屋根の古民家が建っています。薩摩地方に見られる典型的な民家形式で、当時の生活空間を伝える貴重な建物です。

桶の間二つ家のおもて側に広がる畳敷きの室内

桶の間二つ家なかえの囲炉裏と梁のある内部空間

建物内部には囲炉裏や梁が残され、外には屋根付きの井戸もあり、かつての暮らしの様子を今に伝えています。

桶の間二つ家の外にある木製の屋根に覆われた井戸

黎明館庭園は、鹿児島城がまだ鶴丸城と呼ばれていた時代の記憶を静かにとどめる場所です。御楼門や石垣の壮麗さとは対照的に、ここでは人々の暮らしに寄り添う薩摩の風土が感じられます。城跡を訪れた際は、ぜひこの裏庭にも足を延ばしてみてください。

鶴丸城二の丸跡

鶴丸城二の丸跡の位置を示す案内板の表示

黎明館の西側には、かつての「鶴丸城二の丸跡(つるまるじょう にのまるあと)」があります。現在は鹿児島県立図書館が建ち、学びと文化を継承する場所として新たな役割を担っています。

県立図書館が建つ鶴丸城二の丸跡の外観

二の丸は、江戸時代には藩政の中枢を支える重要な区域で、政務や儀式に関わる施設が置かれていました。明治以降、教育施設を経て現在の図書館に至るまで、この地は常に「知の拠点」として歩みを続けています。

黎明館が立つ本丸跡と並び、二の丸跡は鹿児島城の歴史的構造を今に伝える大切なエリアです。館外にある案内板を見ると、城全体の配置と当時の地形を把握することができます。

黎明館と鶴丸城跡周辺を示す案内地図

鹿児島城のお堀と石垣

鹿児島城のお堀沿いに続く石垣と御楼門の風景

鹿児島城のお堀は、黒ずんだ石や苔むした表面に長い年月の重みが感じられます。堀に映る御楼門や城山の緑が、往時の姿を静かに思わせる風景です。

鹿児島城の石垣と門を外側から見た様子

城を囲む石垣は、整然と積まれた切石が美しく、時代を経てもなお安定した姿を保っています。近くで見ると、石の継ぎ目に刻まれたのみ跡が当時の職人の丁寧な仕事を物語ります。

鹿児島城のお堀と橋を望む通路からの景観

御楼門前の歩道沿いには、城の石垣に用いられた「石積み技法」を紹介する展示コーナーがあります。実際の石を使って布積みや算木積みなどの構造を再現しており、城づくりの技術を視覚的に学ぶことができます。

実際の石積みを使った展示で技術を紹介する資料コーナー

鹿児島城跡前に設置された石積み技術の解説板

鹿児島城跡に残る布積みの説明と積み方を示す案内板

鹿児島城跡で紹介されている算木積みの技法解説板

展示板には、それぞれの積み方が実際に使われている場所も示されており、散策の前に確認しておくと現地での観察がより楽しめます。

鹿児島城跡が伝える、戦いと再生の記憶

御楼門をくぐり、石垣の弾痕や黎明館の展示、そして庭園を歩きながら、鹿児島城が刻んできた時間の深さを実感しました。この地には、薩摩の歴史が今も確かに残されています。

かつての戦火の跡が残る石垣は、決して過去の遺物ではなく、時を超えて語りかけてくる“生きた証”のように見えました。復元された御楼門の壮麗さと、黎明館で学ぶ薩摩の知と文化が、この城跡に新たな命を与えています。

静かな城跡に立つと、戦いや再生を繰り返してきたこの地の誇りと気高さが胸に迫ります。

鹿児島を訪れるなら、一度この場所を歩き、その空気を感じてみてください。

鹿児島城跡の石碑と復元された御楼門を背景にした全景


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高松城を歩く|日本三大水城の美しさを現地体験レポート

高松城を歩く|日本三大水城の美しさを現地体験レポート

高松城、水城の美しさを現地で体験!城郭散歩に出かけよう

JR高松駅から僅か徒歩3分、高松市中心部にありながらそこには、瀬戸内海の海水に囲まれた幻想的な城郭空間が広がります。日本三大水城の筆頭として名高い高松城は、海とつながる水堀という他に類を見ない美しさで人気の観光スポットです。

本記事では実際の訪問時の、高松城・玉藻公園の様子を写真多めでお伝えします。現地の空気感や、高松城の雰囲気が伝われば幸いです。

なお、高松城の見どころについて知りたい場合は、以下の記事を参照ください。

▼▼▼ 高松城の見どころについて詳しく見る ▼▼▼

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西門からの入城!

高松城には、西門と東門の 2 つから入城できます。駅に近いのは西門で、JR高松駅から徒歩 3 分、ことでん高松築港駅からは徒歩 1 分で到着できます。

高松城西門の石垣と案内板のある入口風景

西門の重厚な石垣が、城郭への期待感を高めてくれます。

高松城西門の料金所付近に立つ門柱と正門の様子

入園料は現在200円(2026年4月1日より400円に改定予定)という手頃な価格設定。

高松城西門の料金所とチケット販売エリア

高松城の写真が印刷された入園券のアップ

料金所でいただく入園券には、艮櫓(うしとらやぐら)の美しい写真がデザインされ、散策への期待が膨らみます。当日1回限り有効のこの券が、高松城への入場証となります。

最終防衛ライン「鞘橋」を渡って本丸へ

高松城の石垣沿いに整備された天守台跡への通路

天守台への道のりは、西門右手に公園として整備されている二の丸跡を眺めながら進みます。ベンチや喫煙所も設置されており、ゆったりとした散策が楽しめます。

高松城の本丸に続く屋根付き木造の鞘橋の全景

二ノ丸から本丸へと続く唯一の動線、鞘橋(さやばし)。この屋根付きの美しい木造橋は、高松城築城当時から同じ位置に架けられており、かつては「らんかん橋」と呼ばれていました。江戸時代に屋根が付けられ、現在の姿となりました。

高松城の石垣沿いに架かる鞘橋内部の通路の様子

鞘橋は本丸への唯一のルートであるため、敵の侵入時にはこの橋を落とすことで本丸だけを独立して守ることができる、まさに最終防衛ラインとなる重要な橋です。

鞘橋の内部から見た左側の水堀の景色

橋の左手には、透明度の高い水堀が静かに広がります。瀬戸内海の海水を直接引き込んだ水面は、時間帯によって表情を変え、訪れる度に新しい発見があります。

鞘橋から見える水堀越しの高松築港駅のホーム

鞘橋からは、琴平線の高松築港駅のホームが水堀越しに見え、現代と歴史が共存する高松城ならではの風景を楽しむことができます。

鞘橋の左側に広がる水堀と石垣の眺望

鞘橋の外から見た左手側の水堀と石垣の風景

水面に映る空の色と石垣の織りなす美しいコントラストは、まさに水城ならではの絶景です。

鞘橋を天守台に向かって歩く様子

橋を渡り切ると、いよいよ本丸、天守台へ。期待が高まる瞬間です。

本丸、天守台へ

鞘橋を渡った先にある高松城の大きな石垣

鞘橋を渡り切ると、目の前に立ちはだかる巨大な石垣。その迫力ある姿に、かつてここに建っていた三重五階の天守への想像が膨らみます。

石垣沿いに整備された木陰の小道を天守へ向かって進む様子

天守台への道は木陰に覆われた美しい小径が続きます。石垣の威厳と緑の優しさが調和した、心地よい散策路です。高松城には黒松が多く見られますが、松の鮮やかな緑と青空とのコントラストがとても気持ち良いです。

天守台跡へ向かう並木道と石垣の風景

高松城には、天守閣は残っていません。しかし天守台が展望デッキとして整備されており、ここから水城最大の美を目の当たりにできます。高松城観光のハイライトです。

木々に囲まれた高松城天守台跡の正面風景

石段を一歩一歩上がるごとに、かつてここに威風堂々と建っていた天守へ想像が掻き立てられます。

高松城天守台跡に設置された展望デッキへ続く石段と石垣

天守台内部には、当時の天守地下一階の遺構がそのまま残されています。整然と並ぶ礎石を見ていると、計器類など無かったであろう400年前の匠の技術力に感嘆せずにはいられません。

天守台跡に残る高松城天守地下一階の石組みと基礎部分

天守閣跡に残された石垣と天守の礎石が並ぶ様子

石垣に囲まれた高松城天守台内部の遺構と礎石の配置

高松城天守跡に並ぶ複数の礎石と石垣に囲まれた空間

詳細な解説パネルが設置されており、天守の構造や歴史を深く理解することができます。

高松城天守台跡に設置された構造図付きの解説パネル

展望デッキは高さがありますが、手すり付きで安全に整備されていますので安心して景色を楽しめます。

手すり付きで安全に整備された高松城天守台の展望デッキ

高松城天守台の展望デッキと足元に残る天守の礎石

高松城の展望デッキから水堀を一望できる眺望スポット

絶景!豊かな水に囲まれた美しき城の風景

高松城の展望デッキから見下ろす水堀と緑の島の絶景

展望デッキからの眺めはまさに圧倒的です。日本三大水城の名にふさわしい、水と空が一体化した壮大なパノラマが眼下に広がります。この瞬間こそ、高松城のハイライトです。

水面に空が映り込む高松城の水堀と周囲の緑豊かな風景

晴天の空と水堀が美しく調和した高松城の景観

海とつながる城の内堀へ

高松城の内堀は、海城としての特性を最も感じられる場所です。

石垣に囲まれた高松城の水門と穏やかな水面に浮かぶ小舟

水面に浮かぶ「玉藻丸」は、城舟体験として実際に内堀遊覧ができる和船です。

そして水中には、鯛をはじめとする海の魚たちが悠々と泳いでおり、鯛のエサやり体験ができます。お堀に海の魚がいる城は、全国でも稀です。

鯛が泳ぐ高松城の水門と乗船場の木製ステップ

また、ここでは江戸時代、水練(水泳訓練)が行われていたという興味深い歴史もあります。

玉藻丸乗船場と並べられたベンチがある水辺の広場

350年の時を超えた重要文化財たち

石垣と門に囲まれた小道の奥に続く黒松の並木道

内堀を超えて進むと、現存する櫓や門 3 つがあります。その全てが重要文化財です。

渡櫓

渡櫓は、高松城に現存する貴重な江戸時代建築の一つです。白壁と黒瓦が美しいコントラストを描く、格調高い佇まいが印象的です。

高松城の石垣上に建つ白壁と屋根を持つ渡櫓の外観

石垣の上に建てられた高松城の渡櫓とその前の階段通路

渡櫓の石垣には、生駒家から松平家へと城主が変わった歴史が刻まれています。右側の野面積みと左側の打込接という異なる積み方を比較することで、400年にわたる高松城の歴史を実感することができます。

石垣の積み方の違いが示された継ぎ足し部分と案内板

水手御門

水手御門は、全国でも類を見ない海に向かって開かれた城門です。船からこの門を経て直接城内へ入ることができた、海城ならではの特別な構造になっています。

石垣に囲まれた通路の奥にある水手御門の正面全景

屋根付きの水手御門を正面から見た木造門構え

水手御門の扉に取り付けられた金属製の鍵構造のクローズアップ

月見櫓

月見櫓は、約350年前に建造された三重三階の現存櫓です。重要文化財に指定されたその美しい姿は、あらゆる角度から眺めても飽きることがありません。

青空を背景にした三重三階の高松城月見櫓の外観

石垣の上に立つ月見櫓を横から見上げた構図

月見櫓の屋根の重なりと細部の装飾が見える斜めアングル

高松城月見櫓の白壁と石垣が際立つ外観の正面寄りアングル

石垣の上に整然と建つ月見櫓と補強用の木柵

案内板と説明資料が設置された月見櫓下の石垣前

月見櫓からは瀬戸内海の美しい眺望が楽しめます。かつて藩主たちも愛でたであろう、この穏やかな海の風景に心が癒されます。

月見櫓近くから見渡す瀬戸内海と遠くに見える島々の風景

月見櫓の前から望む青空と海岸線の開けた風景

披雲閣の大正ロマンと、鮮やかな日本庭園

生垣と黒松に挟まれた整備された砂利道の外周通路

月見草や内堀に隣接する三の丸には日本庭園が広がり、その中に「披雲閣(ひうんかく)」があります。

披雲閣(旧松平家高松別邸)

披雲閣は、1917年に松平家の別邸として建てられた格調高い建造物です。重要文化財に指定されており、大正時代の優雅な和風建築の美しさを楽しめます。

松の木に囲まれた和風建築の披雲閣を正面から見た外観

のれんが掛かった披雲閣の玄関と松の植栽に囲まれた入口

木造建築の美しい梁組みや、畳敷きの落ち着いた内部空間からは、大正時代の洗練された文化を感じることができます。

木製の屋根と梁が美しい披雲閣の玄関庇と松の枝

披雲閣玄関から見える畳敷きの和室と広間の内部空間

縁側から庭園を望む披雲閣槇の間の外観と木製建具

槇の間から見える槇の木と整えられた飛び石の庭

披雲閣の建物と槇の木に囲まれた庭園の景色

大書院

披雲閣で最も広く、142畳もある大書院の内部空間は圧巻です。柱と障子が作り出す幾何学的な美しさに、日本建築の粋を感じることができます。

大書院の縁側から見える庭園とガラス戸越しの柱の構造

畳が敷かれた大広間の室内と開放感ある建築空間

披雲閣大書院内部の柱と障子に囲まれた和室の全景

銀閣寺型手水鉢

披雲閣には、京都の銀閣寺にある手水鉢を模した「銀閣寺型手水鉢」が設置されています。

和風庭園の石組みの中に設置された銀閣寺型の大型手水鉢

幅・奥行き約 1.5m、高さ約 2m、重さ約 11 トンという巨大な手水鉢の存在感は圧巻。しかしながらどこか侘び寂びを感じるのは、周囲の景観も含め和の風景を感じるからだと思います。

水が張られた円形のくぼみと筧のある銀閣寺型手水鉢の天面

披雲閣庭園にある重厚な銀閣寺型手水鉢と周囲の緑

内苑御庭(日本庭園)

高松城三の丸には内苑御庭があり、静寂に包まれた日本庭園が広がります。

松の木と生垣が美しく整えられた披雲閣庭園の小道

和風建築に沿って敷かれた飛び石と松に囲まれた庭

披雲閣の建物沿いに配された松と飛び石の風景

手入れの行き届いた庭園では、松を中心とした植栽が美しく配置されています。飛び石を辿りながらの散策は、日本庭園の奥深い美しさを堪能できる贅沢な時間です。

青空の下で緑に囲まれた披雲閣大書院側の広い庭園

美しい庭木と芝生が整備された大書院前の庭園風景

庭園越しに見える披雲閣大書院の建物と黒い瓦屋根

大書院側の庭園は特に開放感があり、青空と緑のコントラストが美しい空間となっています。

剪定された松や槇の木が並ぶ披雲閣庭園の小道と建物

石畳の小道と整えられた生垣に囲まれた和風庭園の一角

広々とした芝生と庭木が調和する披雲閣庭園の風景

生垣と灯籠のある小道が続く披雲閣庭園の奥まった一角

庭園内は、石畳、芝生、生垣、灯籠といった様々な要素が調和した、完成度の高い日本庭園になっています。

青空の下に広がる石畳と高く伸びた黒松に囲まれた庭園の景観

密集する黒松と刈り込まれた植栽が織りなす深緑の空間

黒松の枝ぶりと生垣に囲まれた披雲閣庭園の落ち着いた風景

説明板と石碑が設置された黒松に囲まれた静かな一角

威風堂々!高松城の正門「桜御門」

2022年6月に復元が完成した桜御門は、1945年(昭和20年)の高松空襲で失われてから77年ぶりに蘇った、高松城の正門です。

二階櫓が乗る重厚な構えの桜御門を下から見上げた全景

二階櫓を持つ堂々とした門構えは圧巻で、復元とは思えないほどの威厳と美しさです。白壁と黒瓦、そして青空のコントラストが絶妙です。

青空を背景にした桜御門の白壁と瓦屋根のコントラスト

開かれた門越しに城内が見える桜御門の斜め構図

金属製の鋲が打たれた桜御門の扉板のクローズアップ

扉に打たれた金属製の鋲一つ一つにも、江戸時代の伝統技法が忠実に再現されています。

木組みの美しい構造が見える桜御門の内部天井

高松城桜御門の木組み梁と太い桁が交差する内部構造

高松城の桜後門は、現代の技術で江戸時代の匠の技を完璧に再現した、文化財復元の傑作です。

石垣に囲まれた高松城桜御門の復元正面と鮮やかなのれん

高松駅から3分の城郭散歩。豊かな水に囲まれた美しき古城「高松城」へ

海水に囲まれた城という独特の立地が生み出す景観と、400年の歴史が刻まれた建造群。高松城には天守閣こそ無いものの、玉藻公園全体で歴史や景観美を楽しめます。

渡櫓と月見櫓。櫓の白と松の緑、青空とのコントラスト

天守台からの絶景、現存する重要文化財の建築美、復元された桜御門の完璧な美しさ、そして披雲閣と庭園での静寂のひととき。都市部にありながら、これほど多彩で上質な城郭体験ができる場所は稀有な存在です。

JR高松駅から徒歩3分というアクセスの良さも含め、瀬戸内海の美しい海水に囲まれた水城の魅力を、ぜひ実際に歩いて感じてみてください。

天守閣跡から見下ろした水城の景色と広がる空の開放感ある風景


高松城の見どころを知りたいときは、以下がおすすめです。

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丸亀城を歩く|日本一の石垣と現存天守に出会う体験レポート

丸亀城を歩く|日本一の石垣と現存天守に出会う体験レポート

日本一高く美しいの石垣!丸亀城を体験レポート

丸亀城の遠景。天守と石垣がそびえ立つ姿が印象的

丸亀城は香川県丸亀市にあるお城で、石垣の高さが日本一なことで有名なお城です。

本記事では、実際に丸亀城を訪問した際の体験レポートをお伝えします。天守までの道のりで出会った風景を写真とともにお伝えしていきますので、丸亀城の雰囲気がより詳細に伝わると幸いです。

なお、丸亀城の見どころについては、以下の記事で紹介しています。

▼▼▼ 丸亀城の見どころについて詳しく見る ▼▼▼

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丸亀城のアクセス方法については以下の記事で紹介しています。

▼▼▼ 丸亀城へのアクセス方法について詳しく見る ▼▼▼

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丸亀城の正面入口

丸亀城に到着。日本一高い石垣を持つだけあって、かなり高い位置に天守があります。

丸亀城正面入口付近の石垣と坂道。天守が高台にあることがよくわかる構図

門の横にあるのが、大手一ノ門です。

丸亀城大手一ノ門の外観。白壁と石垣のコントラストが印象的

それでは丸亀城へ入っていきましょう。

丸亀城の入口付近。石畳の道と塀に囲まれた進入口

お堀の水はゆらぎも無く穏やか。周囲の雰囲気も相まって静かな時間が流れます。

お堀に映る空と木々。穏やかな水面が広がる静かな風景

お堀越しに見える木々と石垣。城内の落ち着いた雰囲気を感じる景色

先に見えるのが大手二ノ門です。

大手二ノ門へと続く石畳の道。門の姿が木々の奥に見える構図

大手二ノ門に近づく石段と城壁。門が間近に迫る導線

大手二ノ門

丸亀城の二の門は高麗門(こうらいもん)形式の門。どっしり構えられているその佇まいが、まさに城の玄関口といった雰囲気を感じさせます。

丸亀城大手二ノ門を正面から見た全景。木造の高麗門と石垣が重厚な雰囲気を伝える

丸亀城大手二ノ門をやや斜めから撮影。門の構造や奥の石垣がよくわかる構図

大手二ノ門の扉に施された金具の装飾と木材の風合いのディテール

二の門の脇の塀には狭間(さま)がありました。三角の狭間は鉄砲狭間と思われます。

二ノ門脇の塀に設けられた三角形の鉄砲狭間と石垣の一部

石垣沿いに続く塀と鉄砲狭間。防御設備としての機能美が伝わる構図

鉄砲狭間よりも広く、門を閉じていても大手門の外の様子を伺える小窓もありました。

大手門外を見渡せる小窓越しの風景。門内から外を監視できる構造が見える

大手一ノ門

二の門をくぐるとすぐに一の門があります。

丸亀城大手一ノ門の正面全景。白壁と石垣に囲まれた堂々たる構え

丸亀城大手一ノ門を斜めから撮影。石垣の角度と門の厚みが際立つ

丸亀城大手一ノ門をくぐる手前のアングル。木製の柱と門の重厚感が伝わる構図

大手門は来客を迎え入れる玄関口という役割があり、石垣の積まれ方がきれいです。梁も大きくて迫力があります。

大手一ノ門の扉に施された鋲や装飾金具のクローズアップ。歴史的な意匠が見られる

門の側面に並ぶ金具と木目の美しさ。防御と装飾が調和した細部

では一の門をくぐります。ここから先は、丸亀城です。

大手一ノ門の内側から外を望む風景。門の影越しに広がる緑と敷地

大手門広場

大手門をくぐると大手門広場があります。とても広大です。

大手門広場の開けた風景。奥に見える木々が静かな雰囲気を演出している

ここ右手に行くと「番所長屋」や「丸亀市立資料館」へ。左手に行くと天守へ向かいます。

丸亀城内の案内表示と緑に囲まれた通路。観光案内所のあるエリアの様子

また、この大手門広場には丸亀城内観光案内所があります。

丸亀城内観光案内所(写真左)
観光案内所と番所長屋へ続く分かれ道。両側に石垣と木立が広がる

心臓破りの急坂!見返り坂

石垣の高さが日本一」ということは、天守に行くならその高さまで上がる必要がある。ということ。

この見返り坂は、丸亀城名物です。

見返り坂の登り口付近。石垣と木々に囲まれた緩やかな上り坂の始まり

「時々立ち止まって振り返りたくなる」くらい傾斜が急であることから「見返り坂」と呼ばれています。

見返り坂の総距離は 150m, 傾斜は10度にも及びます。

急勾配の様子は出発地点からだとわかりにくいですが、折返し地点まで見返り坂を上ってきて、上から下を見るとその急坂具合がよくわかります。

見返り坂中腹から見下ろした風景。急傾斜の石畳の道が続く

「見返り坂」の案内標柱と坂道の石畳。歴史を感じる城内の名所

傾斜が急なのがよくわかりますね。ここまで上がってくるのに 2, 3 分かかりました。ゆっくり休憩しながら上ることをおすすめします。

丸亀城で、ランニングウェアを来た地元の人に出会いましたが、この見返り坂を健康のためのトレーニングに使っていらっしゃると伺いました。それだけの急坂です。

ベビーカーや車椅子を押して上るのはオススメできません。

日本一!巨大な石垣の美しさ

まだここの時点で見返り坂を全て上ってはいないのですが、ここまで上ると大きな石垣を間近で見ることができます。

丸亀城名物「扇の勾配」を持つ石垣全景。緩やかな曲線が美しい

高く積まれた丸亀城の石垣を間近から見上げる構図。迫力ある景観

最大で 20m あります。本当に高い。そして、後半から一気に角度を上げる「扇の勾配」と称される曲線を帯びた石垣の美しさ。これが丸亀城の石垣の最大の魅力だと思います。当時、これをコンピューターや重機無く実現していたと思うと、非常に高い職人技術です。

巨大な石垣が緑に映える風景。滑らかな曲面が際立つ設計美

見返り坂の後半戦!緑と石垣のコントラストを楽しんで

では、残りの見返り坂も攻略していきます。

後半の見返り坂を進む石畳の坂道。両脇を緑が包み、静かな雰囲気

見返り坂はきついのですが、間近で見る石垣の大きさに圧倒されます。

実物を見ると迫力が全然違います。

青もみじの葉越しに見える丸亀城の高石垣。自然との対比が美しい

石垣に沿って広がる木々の緑。見返り坂中腹の印象的な風景

石垣と木々の緑が織りなすコントラスト。歴史と自然が融合する情景

ちなみに見返り坂の後半部分、上がりきったところからの様子です。こちらも急勾配になっているのがよくわかります。

急勾配の坂道を上り切る直前の見返り坂。手すりと石畳が整備されている

訪問時は真夏でしたが、見返り坂を上り切った時点で汗だくになりました。タオルと水分補給は必須です。次の三の丸広場には水飲み場もありますので、見返り坂を上り切ったらまずはゆっくり休みましょう。

三の丸広場

見返り坂を上り切ると、三の丸広場があります。眺望の良さが魅力の開けたエリアです。

三の丸広場の中央付近。石や芝生が残る開けたスペース

丸く整備された腰掛けのある一角。休憩にも適した広場の一部

標高約50メートルの場所からは、讃岐富士の愛称で知られる飯野山や、土器川の流れ、さらに坂出の工業地帯や瀬戸大橋までを一望できます。東南の隅には、かつて「月見櫓」とも呼ばれた巽櫓の跡もあり、月を眺める絶好のスポットとして親しまれてきました。

三の丸広場からの眺望が楽しめる東南の角。視界の開けた展望ポイント

柵の奥に広がる丸亀市街の風景。三の丸広場の縁から見える絶景

東櫓台跡から眺める絶景

本丸までいけば最高の景色が見られるのですが、見返り坂を上ったご褒美として、三の丸広場にある東櫓台跡から景色を見てみましょう。丸亀市を一望できます。

東櫓台跡の展望スペース。木製の柵越しに市街を一望できる開放的な風景

丸亀市街と遠くの山並みを望む眺望。曇り空でも広がりを感じる風景

飯野山を背景に広がる市街地の眺め。東櫓台跡からの絶景

東櫓台跡から見下ろした街と緑のコントラスト。遠くまで見渡せる構図

丸亀市内と瀬戸内の景観が調和した遠望。木製柵と石垣の曲線が印象的

青空の下に広がる飯野山と街並み。東櫓台跡から見える丸亀の代表的風景

月見櫓跡

こちらは、同じく三の丸広場、東櫓台の反対側にある月見櫓跡です。こちらからも風景を楽しめます。

月見櫓跡の草地と展望柵。正面に飯野山が見える静かな展望スポット

緑に包まれた月見櫓跡からのパノラマ風景。街と山が広がる

月見櫓跡から眺める丸亀市街。眼下の緑と空の広がりが印象的

木々の先に広がる飯野山と街並み。月見にふさわしい穏やかな風景

勤王碑

丸亀城三の丸広場に建てられた勤王碑。周囲の木々に囲まれた静かな記念碑

勤王碑は、幕末から明治初期に活躍した丸亀ゆかりの志士をたたえる記念碑です。

丸亀出身の土肥実光(大作)と村岡宗四郎は、明治維新の時代に国のために尽力した人物で、大正時代にその功績を称えてこの碑が建てられました。土肥は新政府の要職を務め、村岡は若くして勤王の志を貫いた志士として知られています。

三の丸から見る石垣

三の丸広場から見る石垣も大きくて迫力ありました。こちらは、延寿閣別館のすぐ脇にそびえる二の丸の石垣です。

三の丸広場から見上げる二の丸の石垣。鋭角な形状が印象的な構図

高く積まれた石垣を斜め下から撮影。角度と迫力が伝わる視点

自然の緑と石垣が調和する風景。手前から緩やかに続く曲線の石垣

丸亀城の象徴的な高石垣。空を背景に壮大なスケールが感じられる

それでは、天守に向かって進んでいきましょう。

天守へ続く道の分岐点に立つ道標と石垣。「天守」方向を指す案内表示

石垣沿いに伸びる舗装された上り坂。天守へのアクセスルートの一部

木陰と石垣の間を抜ける上り坂。天守直前の静かな通路

二の丸広場

三の丸を抜けると、次は二の丸に出ます。ここも今は広場になっていて、トイレや水飲み場がありました。

二の丸広場の入口付近。石段と緑に囲まれた開けたスペース

整備された遊歩道と植栽の広がる二の丸の園地。静かに散策できる空間

広場の縁に沿って続く石段と木々の風景。二の丸の一角

「二の丸井戸」の案内標柱と木立に囲まれた地面。井戸の入口に続く場所

恐怖の伝承が残る井戸

二の丸の見どころとして、いわくつきの伝承が残る井戸があります。

丸亀城二の丸井戸の全景。黒い屋根に覆われた井戸の上屋

二の丸井戸は、日本一の深さともいわれる伝説の井戸です。直径約1.8メートル、深さは約65メートルあり、丸亀城の最も高い場所に位置しています。現在も水をたたえ、当時の姿をとどめています。また、この井戸には石垣職人が井戸の中にいた際に石を落とされ命を落としたという、少し不気味な伝説も残されています。

二の丸井戸の伝承を解説する案内板。羽坂重三郎の伝説が紹介されている

丸亀城を築いた際に、

「どうだ!この高い石垣なら誰も上れないだろう!」

と言ったお殿様に対して、これを作った羽坂重三郎が

「いいえ、登れる方法がございます。」

と言って鉄の棒を使って登ってみせました。

「この方法(石垣の攻略法)が外に漏れたらまずい!」

と感じたお殿様が、この羽坂重三郎を井戸に誘い込み…

というお話です。

木造の上屋に囲まれた二の丸井戸。歴史を感じさせる保存状態

この井戸、今でも水が入ってるとのこと。井戸の中を覗いてみると、その深さに吸い込まれそうになります。羽坂重三郎氏に引き込まれないよう、覗く際はくれぐれも気を付けてください。

井戸内部を覗いた様子。金網越しに深い井戸の暗がりが見える

柵越しに覗き込んだ井戸の内部。深さを感じさせる黒く沈んだ空洞

ということで、いよいよ天守に参りましょう。

井戸を後にして天守へ向かう通路。石垣と木々が続く道のり

本丸

本丸の案内標柱と説明板。芝生の中に立つ本丸の位置を示す表示

本丸にやってきました。本丸も広場になっており、そこに天守と櫓跡がある構成になっています。

本丸広場の中央付近。松の木が植えられた開けた空間と遠景が見える

整備された砂地と植栽の美しい本丸広場。展望エリアにつながる道

本丸広場から見上げた丸亀城天守。石垣の上にそびえる白壁の城

絶景!本丸広場から丸亀市を一望

本丸の櫓跡は展望台として整備されており、そこから丸亀市を一望できます。

本丸広場の展望台。丸太柵の内側から市街を見下ろせるビューポイント

飯野山を背景に広がる丸亀市街地の遠景。晴れた日の視界が広がる風景

本丸から眺める市街の全景。建物と山々が織りなす調和のある眺望

木製柵越しに広がる丸亀市街の様子。高台からの開放感あふれる風景

展望スペースの縁から見る市街と空。自然と街並みが交錯する構図

本丸広場からの眺望。住宅や商業エリアが一望できる景色

広がる街並みと曇り空の下に見える市内中心部。奥には山々も見える

丸亀市街から瀬戸内海方面まで見通せるパノラマ風景

現存十二天守、江戸時代当初の姿を残す丸亀城天守

いよいよ、天守との対面です。ここまで登ってきた甲斐がありました。

丸亀城の天守を正面から撮影。石垣の上に立つ三層三階の白亜の建築

天守をやや斜めから望む構図。周囲の緑と青空が映える

天守越しに広がる市街の遠景。高台からの眺望が得られる天守周辺

丸亀城の天守は、現存十二天守の1つであり、大変貴重です。

石垣の上に立つ天守への階段。手すりと石積みが残る歴史的構造

天守の白壁と屋根の軒裏。建築の細部と松の木の緑が調和する

木製の格子窓と白壁が見える天守の側面。歴史を感じさせる外観

天守裏手に続く小道と植栽。静かで落ち着いた雰囲気の通路

天守を下から見上げる構図。軒の反りと屋根の重なりが美しい

天守の裏側全景。芝生に囲まれた天守の凛とした立ち姿

天守の裏側にも展望台がありました。

天守裏の展望エリア。案内標柱と木々の向こうに広がる市街地

木立の間から見える天守周辺の道。自然に囲まれた小道

石畳の小道と緑の植栽。天守周辺の風情ある通路

天守背後から見渡す丸亀市街の景色。街並みと遠くの山々が一望できる

本丸の高台から市街中心部を望む。展望台からの視界が広がる

丸亀市街と瀬戸内海を一望する景色。丸みを帯びた飯野山が印象的

日本一の高さを誇る石垣を持つ「丸亀城」

日本一の高さを誇る石垣、実物は本当に巨大で、迫力がありました。

丸亀城の高石垣を斜め下から見上げた構図。扇の勾配と呼ばれる曲線が印象的

草地の向こうにそびえる石垣の全景。高さと長さが伝わる迫力のある視点

なだらかな草地と対比する石垣の直線的なライン。空に映える白石の壁面

石垣の右上に天守がわずかに見える構図。丸亀城の構造的な高さが伝わる

そしてその石垣を超え、天守へ行くための「見返り坂」は本当に心臓破りの坂道でしたが、それを乗り越えても見る価値のある石垣と天守でした。

お城というのはその構造として「攻めにくい」が追求されていますが、こうして「高さ」を武器に築き上げた丸亀城。これは難攻不落であると実感できました。

日本一の高さを誇る石垣を持つ「丸亀城」

ぜひ足を運んでみてください。

公園越しに見える丸亀城全景。石垣と天守が遠景に映るランドマーク的風景


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川越城の史跡を徹底解説!本丸御殿から歩いて辿れる歴史遺構まとめ

川越城の史跡を徹底解説!本丸御殿から歩いて辿れる歴史遺構まとめ

知っていましたか?本丸御殿のまわりには、まだまだ川越城の面影が残っています

川越城跡

川越城といえば、本丸御殿。日本に現存する本丸御殿はわずか二つしかなく、東日本では唯一となるこの建物は、川越観光のハイライトです。

しかし実は、その本丸御殿のまわりには、門跡・堀跡・石碑など、川越城の面影を今に伝える史跡が数多く点在しています。

この記事では、本丸御殿から徒歩で辿れる川越城ゆかりの史跡や遺構を厳選してご紹介。それぞれの歴史的背景や見どころをわかりやすく解説します。

あわせて、史跡を効率よく巡れるおすすめの観光ルートも掲載。歴史ファンはもちろん、はじめての川越観光でも楽しめる内容です。

川越城の全体像をつかみながら、現地での観光がもっと深く、もっと楽しくなる背景情報と視点をお届けします。

川越城の史跡・遺構スポット

まずは全体感を把握しておきましょう。川越城に関する主な史跡や遺構のスポットを、以下のマップにまとめました。御殿や門跡、堀跡、石碑など、かつての城域を偲ばせる痕跡が、今も川越市内に点在しています。

本丸御殿を中心に、徒歩で巡れる範囲にこれだけの史跡が残っていることから、川越城の規模の大きさと歴史の深さが見えてきます。

それではここからは、この地図に示した各スポットについて、歴史的背景や見どころを詳しくご紹介していきます。

本丸御殿: 東日本唯一の現存御殿で感じる城の息吹

川越城本丸御殿

川越城を訪れるうえで見逃せないのが「本丸御殿」です。現存する本丸御殿は全国にわずか2か所しかなく、そのうちのひとつがここ川越にあります(もう一方は高知城)。特に東日本では唯一となる貴重な建築であり、川越城を象徴する最大の見どころです。

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本丸門跡: 北の防衛拠点に残る土塁と門の痕跡

本丸御殿のすぐ脇には「本丸門跡」があります。

川越城本丸門跡

ここはかつての本丸北門が存在した場所です。かつて本丸とニノ丸を隔てるかたちで堀と土塁が築かれ、その出入口として北門が設けられていました。

発掘調査によって門の跡とともに土塁の痕跡も確認されています。跡地からは大型の柱跡が3基見つかっており、これらは「本城住居絵図」(光西寺蔵)に描かれた北門の位置と一致することから、北門の遺構と考えられています。

本丸門跡

本丸門跡1

本丸門跡2

川越市立博物館: 城と城下町の歴史を体系的に学べる場所

本丸御殿と、道路(初雁城通り)を挟んだ先にあるのが、川越市立博物館です。

川越市立博物館

川越市立博物館では、川越城をはじめとした川越地域の豊かな歴史を、原始〜近現代にわたって幅広く展示しています。

本丸御殿や城跡に関する展示や、甲冑・武具など武士文化に関する資料が展示されています。本丸御殿や城跡をより深く理解したい方にとって、市立博物館は解説と補完の場として最適です。

また、川越市立博物館が建っている場所は、川越城の二の丸跡に当たります。

営業時間
9:00 〜 17:00
定休日
毎週月曜日(月曜日が祝日の場合は翌日)
第4金曜日(祝日は除く)
年末年始(12月29日〜1月3日)
臨時休館日あり
電話番号
049-222-5399
公式サイト
https://www.city.kawagoe.saitama.jp/museum/
駐車場
本丸御殿を同じ無料駐車場を利用
所在地
〒350-0053 埼玉県川越市郭町2-30−1
川越市立博物館 入館料金
区分 料金
一般 200円
大学生・高校生 100円
中学生以下 無料

霧吹きの井戸: 湧き水が霧を吹いた?伝説残る不思議な井戸

霧吹きの井戸は、川越市立博物館の敷地内にある井戸跡です。

霧吹きの井戸

川越城には「霧吹きの井戸」と呼ばれる不思議な井戸があったと伝えられています。普段はふたで閉ざされていたこの井戸ですが、いざ敵が攻めてきたときにはふたを外すと中から霧が立ちのぼり、瞬く間に城全体を包み隠してしまったといわれています。

この霧の伝説にちなみ、川越城は「霧隠城(きりがくれじょう)」とも呼ばれることがありました。実在の城にまつわるこうした逸話も、訪問者の興味をひく魅力のひとつです。

霧吹きの井戸1

霧吹きの井戸2

霧吹きの井戸3

蓮池門跡: 城を守った外郭門、その静かな痕跡

川越市立博物館の敷地内、駐車場の奥まった場所に「蓮池門跡」の石碑が静かに建てられています。かつてここには、川越城の一角を守る門のひとつ「蓮池門」が存在していました。

川越城蓮池門跡

現在では目立つ遺構は残っていませんが、城の構えを知る手がかりとして、その存在を静かに伝え続けています。本丸御殿や博物館を訪れた際には、あわせて立ち寄ってみるのもおすすめです。

蓮池門跡

中ノ門堀跡: 城の防衛力を物語る唯一の現存堀

初雁城通り

本丸御殿から初雁城通りを川越市役所方面に約 6 分歩いたところには、中ノ門堀跡があります。

中ノ門堀跡

「中ノ門堀」は、川越城の西側から敵が侵入してきた場合に備えて築かれた防御施設のひとつです。西大手門(現在の川越市役所方面)から本丸(川越市立博物館方面)へと攻め込む敵を、3 本の堀で迎え撃つ構造となっており、その中心にあったのがこの中ノ門堀です。

中ノ門堀跡の堀

ここでは、堀を越えようとする敵の進軍速度が落ちたところで、城兵が弓矢や鉄砲で迎撃するという仕組みが取られていました。発掘調査では、堀の法面(のりめん)の傾斜角度が内外で異なっていたことも確認されており、当初の堀は深さ 7m、幅18m。内側(東側)は約60度と急勾配で、外側(西側)は約35度。城内からの防衛を意識した、極めて実戦的な構造でした。

明治以降、多くの建物や施設が姿を消していく中で、この中ノ門堀跡は川越城内に唯一残された堀として貴重な存在となりました。市民の間から保存を望む声が高まり、川越市では2008年〜2009年にかけて整備工事が行われました。現在では、当時の防御構造の工夫を今に伝える歴史遺産として公開されています。

急勾配の堀

中ノ門堀跡は民家と隣接しているため、静かに味わいましょう。また、休憩スペースもありベンチで休憩もできます。

中ノ門堀跡の様子

休憩スペース

大手門跡: 城の正門があった、城と城下町を結ぶ表玄関

大手門跡

かつて川越城の正門にあたる「大手門」が設けられていた場所は、現在の川越市役所前交差点付近にあたります。市役所の正面入口の近くに、往時を偲ばせる石碑が静かに建てられています。

ここは、敵が正面から攻め込んできた際の主要な出入口でもあり、城の正面玄関として重要な役割を果たしていました。現在では石碑のみで遺構は残されていませんが、川越城の構造を知る上で見逃せない場所のひとつです。

川越城大手門跡

三芳野神社と川越城七不思議: 城内神社に残る謎と伝承

川越城本丸御殿のすぐ隣に鎮座するのが、日本の有名なわらべ唄「とおりゃんせ」の歌でも知られる三芳野神社です。この神社の境内には、川越城にまつわる奇妙な伝承や逸話をまとめた「川越城七不思議」が掲示されています。

川越城七不思議ととおりゃんせ発祥の地の石碑

この七不思議は、城にまつわる不可思議な現象や言い伝えを集めたもので、霧吹きの井戸や姿を消す堀、音のしない畳など、興味深い内容ばかり。文献にも残されており、伝承と歴史の狭間にあるロマンを感じさせます。

川越城七不思議 石碑

川越城七不思議

1.霧吹き(きりぶき)の井戸

城中に苔むした大きな井戸があり、ふだんは蓋をしていたが、万一敵が攻めてきたときに蓋を取ると、霧がもうもうと立ち込め、城全体を包み隠してしまったという。この伝説から、川越城は「霧隠城(きりがくれじょう)」とも呼ばれていた。

2.初雁(はつかり)の杉

三芳野神社の裏手にそびえる杉の老木の上空には、毎年雁が渡る季節になると、三声鳴いて三度回り、南へ飛び去るという言い伝えがある。この不思議にちなみ、川越城は「初雁城」とも称された。

3.片葉の葦

浮島稲荷社の裏手一帯には「七ツ釜」と呼ばれる湿地帯があり、そこに生える葦はすべて片葉だったという。川越城落城の際、逃げる姫が葦にすがろうとして力尽き水中に沈んだ悲話により、姫の無念がこの片葉の葦に宿ったとされている。

4.天神洗足の井水(みたらしのせいずい)

川越城築城の際、水源に困っていた太田道灌が、井水で足を洗う老人に導かれて良質な湧水を発見したという。その老人は三芳野天神の化身であったとされ、この井水は「天神洗足の井水」と名付けられ、神聖視された。

5.人身御供(ひとみごくう)

川越城築城が思うように進まない中、龍神が太田道真の夢に現れ「最初に訪れる者を人柱に」と告げた。翌朝最初に来たのは最愛の娘・世稲姫。道真はためらうが、姫は城の完成を願い自ら七ツ釜に身を投じた。以後、築城は順調に進んだという。

6.遊女川(よなかわ)の小石供養

若侍と結ばれた娘・およねは、姑のいじめに遭い離縁されてしまう。再会を願い続けたが叶わず、出会った川辺で命を絶った。それ以来その川は「よな川」と呼ばれ、夜な夜な泣く声が聞こえるとも伝えられている。

7.城中蹄(ひづめ)の音

川越城主・酒井重忠は、夜な夜な矢叫びや蹄の音に悩まされた。占いによって原因は戦の屏風絵と判明し、片方を養寿院へ寄進すると怪音は止んだとされる。城内に残された戦の記憶が騒ぎを起こしていたのかもしれない。

川越明信館跡: 藩校が伝える教育と武士の精神

川越城の藩政時代、藩士の子弟を教育するために設けられた藩校「明信館(めいしんかん)」がありました。その跡地が、現在の川越市立川越高校の敷地内にあたります。

川越明信館跡

明信館は文政4年(1821年)に開設され、儒学を中心に武士の教養や礼法、兵法などを教授していたと伝えられています。川越藩の学問と人材育成を担った重要な施設であり、地域の教育史においても意義深い存在です。

現在は、川越小学校の正面、歩道沿いに石碑が設けられており、誰でも自由に見学できます。川越城の城郭や政治機構だけでなく、学びの場としての側面にも触れられる貴重な史跡です。

川越明信館跡の石碑

南大手門跡: 川越城南側の玄関口にあった重要門跡

川越城の南側には「南大手門」と呼ばれる出入口が設けられていました。その跡地は、現在の川越市立川越第一小学校の敷地内にあたります。校内には、かつての門の存在を示す石碑が静かに建てられています。

川越城南大手門跡

この門は、城下町の南部と本丸を結ぶ重要な通路として機能していたとされ、城の構造や交通の流れを知る上で欠かせない地点です。残念ながら遺構は残っていませんが、石碑が歴史の面影を今に伝えています。

川越城南大手門跡石碑

小学校敷地内ですので関係者立入禁止ですが、入り口のすぐ脇に石碑があるため、立ち入らなくても敷地外から石碑を見ることができます。

南大手門跡石碑

【閉業】川越歴史博物館について

川越歴史博物館外観

かつて川越市内には、「川越歴史博物館」という私設の歴史資料館がありました。川越城や武士、忍者に関する展示が充実しており、歴史ファンに親しまれてきましたが、現在は閉業しています。

情報が古いまま残っているWebページや旅行記事もあるため、訪問を検討されている方はご注意ください。

松平大和守家の墓所: 川越城主を務めた名門の終焉をたどる

喜多院の本堂(慈恵堂)裏手に、川越藩主を努めた松平大和守家の墓所「松平大和守家廟所(まつだいらやまとのかみけびょうしょ)」があります。

松平大和守家廟所

江戸時代後期、川越城主を務めたのが松平大和守家(まつだいらやまとのかみけ)です。この家系は、徳川家康の次男・結城秀康の五男である松平直基(なおもと)を初代とする徳川一門「御家門」に属しており、名門・結城家を相続したことから結城松平家とも呼ばれます。さらに、越前松平家の一門でもあり、代々「大和守」を名乗りました。

現在、松平家歴代藩主の墓所は喜多院の境内にあり、川越城の歴史を知る上でも重要な史跡となっています。

入口

門

この墓所の整備は、5代藩主・朝矩が没した 1768 年から、川越藩が前橋へ転封された 1866 年まで、約 100 年にわたって行われました。

中でも間知石(けんちいし)を積み上げた基壇や石柵(玉垣)、五輪塔を含む廟所全体の構成は、近世大名墓としての完成形とも言えるもので、埼玉県内に現存する中でも特に保存状態の良い貴重な例です。

石塔

廟所に並ぶ石塔1

廟所に並ぶ石塔2

廟所に並ぶ石塔3

廟所に並ぶ石塔4

石塔と廟1

石塔と廟2

川越城本丸御殿と史跡巡りを満喫する充実のオススメ観光コース

ここまで、川越城に関する史跡を紹介してきました。これらのスポットを効率よく巡れるおすすめの観光コースをご紹介します。

私がおすすめするのは、川越駅からバスで本丸御殿へ移動し、そこから関連史跡を徒歩で巡るコースです。以下のルートで散策すると効率よく巡れます。

川越城史跡巡り観光コースマップ

地図中の番号に沿って順にめぐることで、徒歩でも無理なく充実した川越城散策が楽しめます。全て巡る場合の所要時間は 3.5 〜 4 時間程度。本丸御殿と川越市立博物館周辺のみ(1〜6まで)なら約 2 時間です。

  1. 本丸門跡
  2. 本丸御殿
  3. 三芳野神社(川越城七不思議)
  4. 川越市立博物館
  5. 霧吹きの井戸
  6. 蓮池門跡
  7. 中ノ門堀跡
  8. 大手門跡
  9. 川越明信館跡
  10. 川越明信館跡
  11. 松平大和守家廟所

ひとつひとつ、歴史を感じながらめぐる川越城跡

本丸御殿の入口付近では、当時の川越城の敷地図を確認することができます。

当時の川越城図

各所に点在する史跡や石碑を見て回ると、川越城がかつて非常に広大な敷地を有していたことが実感できます。

このように、本丸御殿以外にも、川越城に関するさまざまな遺構や石碑が今も街中に点在しています。今回紹介した場所以外にも、櫓跡や櫓門跡といった史跡が残されており、川越のいたるところに城の記憶が息づいています。街に溶け込んだその面影を辿りながら、川越の歴史と空気をじっくり味わってみてください。

川越城本丸御殿


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川越城本丸御殿|ハート模様に多数のボール跡?!驚き満載の見どころ徹底紹介!

川越城本丸御殿|ハート模様に多数のボール跡?!驚き満載の見どころ徹底紹介!

川越城本丸御殿は、ここを押さえておけば二倍楽しくなる!

川越城本丸御殿は、関東地方に唯一現存する貴重な本丸御殿建築です。日本百名城にも選ばれた川越城の歴史と文化を今に伝えるこの場所は、初めて訪れる人でも楽しめる見どころが満載です。本記事では、川越城本丸御殿の基本情報とともに、訪問時に注目したいポイントをご紹介します。

川越城の歴史と本丸御殿

川越城本丸御殿

川越城は、長禄元年(1457年)、扇谷上杉持朝の命により太田道真・道灌父子によって築かれました。その後、戦国時代には後北条氏が支配し、江戸時代には徳川家康の重臣・酒井重忠が城主に任命されるなど、歴史の舞台となってきました。

現在の本丸御殿は、1848年(嘉永元年)に当時の城主・松平斉典により再建されたものです。明治維新後、川越城の多くの建物は解体されましたが、本丸御殿の一部は県庁や公会所、武道場などに転用されたことで保存され、今日に至ります。

川越城 本丸御殿

川越城跡入口

営業時間
9:00〜17:00(最終入館 16:30)
定休日
月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始(12/29〜1/3)、毎月第四金曜日(館内整理日、祝日除く)
電話番号
049-222-5399(川越市立博物館)
公式サイト
https://www.city.kawagoe.saitama.jp/museum/honmaru/1011573.html
駐車場
無料駐車場有り
所在地
埼玉県川越市郭町 2-13-1
川越城本丸御殿 入館料
区分 料金
一般 100円
大学生・高校生 50円

川越城本丸御殿への行き方は、以下で詳しく紹介しています。

▼▼▼川越城本丸御殿へのアクセス方法 について詳しく見る ▼▼▼

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日本に二つだけ!超貴重な現存本丸御殿

本城住居絵図

全国に現存する本丸御殿は、川越城と高知城の2か所のみです。特に川越城本丸御殿は、東日本で唯一現存する本丸御殿建築として、貴重な文化財に指定されています。かつて将軍の御成り(訪問)を迎える場でもあったことから、格式の高さを今に伝えています。現存部分は限られるものの、広間や玄関に施された意匠から、当時の威厳と風格を感じることができます。

ハート模様を探せ!釘隠しに隠れた意匠の秘密

使番詰所の釘隠し

本丸御殿の柱や梁をよく見ると、「釘隠し」と呼ばれる装飾金具が取り付けられています。釘隠しは、建築材に打ち込んだ釘の頭部を覆い隠すためのもので、実用性と美観を兼ね備えた部材です。

釘隠しに浮かび上がるハートマーク

川越城本丸御殿の釘隠しは葉の形を模したもので、中央の空間がハート形に見えるのが特徴です。この意匠は、当時から意図的にデザインされたものではなく、葉の形状を忠実に表現した結果、偶然にも現代の私たちにハートに見えるものとなっています。

釘隠しの材質には銅や鉄が使われ、装飾が施されることによって、格式の高さを示す役割も担っていました。特に本丸御殿のような公式の建物では、細部に至るまで工芸技術が反映されています。

当時の釘隠しの展示

当時使われていた釘隠し

館内には当時使用されていた釘隠しの実物展示もあり、金属加工技術の高さを間近に見ることができます。建物全体に施された釘隠しは形状や大きさに微妙な違いがあり、館内を巡りながらそれぞれの違いを探してみるのも興味深いポイントです。

大広間の釘隠し

家老たちの苦悩?!お台場に黒船に..."リアル"な議論現場を目撃

家老詰所

本丸御殿の一角には、家老詰所が再現されています。家老詰所は、藩政を支える上級家臣たちが職務にあたった場所で、藩政の要となる意思決定の場でもありました。

会議中の家老たち

展示では、黒船来航に伴う異国船打払令に関連し、江戸湾防備について協議する家老たちの姿が再現されています。幕末の緊張感が漂う場面を、実物大の人形で立体的に再現することで、当時の切迫した空気を感じることができます。

家老の仕事案内板

家老たちが検討していた品川台場は、現在のお台場の前身にあたる砲台施設です。川越藩もこの警備に動員され、国防の一翼を担うことになりました。展示には、当時の職務や任務に関する解説パネルもあり、幕末期の川越藩の役割について理解を深めることができます。

家老詰所と家老の人形

江戸のリアルな生活感!御殿に残るトイレ文化

当時のトイレ展示

本丸御殿内には、江戸時代のトイレを再現した展示があります。当時のトイレは、現代と比べてシンプルな造りですが、工夫が凝らされていました。

男性小便器

男性小便器に敷き詰められている杉の葉

小便器は木製で、底には杉の葉が敷き詰められています。これは、消臭効果と汚れ防止の役割を兼ねたものです。便器には、着物を汚さないための木枠が設けられ、利用者が着物の裾を掛けられるよう工夫されています。この木枠の存在は、江戸時代の衣服文化と生活様式を反映しています。

男女用便器

また、男女別の便器が設置されていたことから、当時の御殿内における衛生意識や、身分による設備の違いも垣間見ることができます。現代のトイレと共通する基本構造がすでに備わっている点は、訪れる人々に生活文化の連続性を感じさせる展示となっています。

展示を通して、江戸時代の人々がどのような暮らしを営んでいたかを具体的に想像できる貴重な機会となっています。

工夫と知恵の結晶!雨戸に仕込まれた固定の仕組み

雨戸

本丸御殿の窓には、T字型の木材を使った独自の雨戸固定装置が残されています。縦棒を横にスライドさせて落とし込み、窓枠に設けられた穴に差し込むことで、雨戸をしっかりと固定する仕組みです。

T字の建具

T字建具の動き

窓枠側に掘られた穴

この構造は、強風による雨戸の揺れを防ぎ、外部からの侵入を抑止する役割も果たしていました。金属部品を用いず、木材だけで堅牢性を確保している点は、当時の建築技術の高さを示しています。

雨戸を閉める一連の流れ

江戸時代の御殿建築は、格式を備えながらも防備を意識した設計が施されており、この雨戸の仕組みもその一例といえます。現在でも機能美を感じさせるこの工夫は、細部にまで気を配った伝統的な建築技術を物語っています。

大広間が運動場に?!大広間の天井に刻まれた、本丸御殿生存ヒストリー

川越城本丸御殿は、明治以降、さまざまな用途に転用されてきました。その一環として、戦後には屋内運動場として使用された時期がありました。

大広間

大広間の天井には、当時使用されていたバレーボールの跡が今も残されています。木製の天井板には、ボールがぶつかってできた黒ずみや傷が散見され、歴史的建造物が市民生活に密着した形で利用されていた様子をうかがうことができます。

大広間の天井

天井のバレーボールの跡

本来、格式ある城郭建築の一部であった空間が、時代の流れとともに新たな役割を担い、今日まで残されたことは、文化財の保存と活用の両立を考えるうえでも貴重な事例といえるでしょう。見学の際には、天井にも目を向け、こうした意外な歴史の痕跡を探してみるのもおすすめです。

川越城本丸御殿へ、驚きと発見の旅に出かけよう!

川越城本丸御殿

川越城本丸御殿には、現存する御殿ならではの格式を感じさせる空間が広がっています。細部に宿る職人技や、歴史の転換点を刻む痕跡の数々は、歩みを進めるたびに新しい発見をもたらしてくれます。

本丸御殿を知れば知るほど、その魅力は何倍にもふくらんでいきます。

見どころを押さえた今だからこそ、本丸御殿散策が楽しめること間違いなし!あなたも実際にこの歴史ある空間を歩き、川越城本丸御殿の深い物語に触れてみてください。


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【96枚の写真】で見る川越城本丸御殿内部|徳川家康・家光も滞在した東日本唯一の現存建築

【96枚の写真】で見る川越城本丸御殿内部|徳川家康・家光も滞在した東日本唯一の現存建築

徳川家康や家光も滞在した、川越城本丸御殿

川越城跡

日本では、建築当時から現存している本丸御殿は 2 つしかありません。高知城の本丸御殿と、ここ、川越城の本丸御殿です。

江戸時代には、将軍が鷹狩をするときに滞在したと言われており、徳川家康は 8 回、徳川家光は 9 回、鷹狩で川越に来たと言われています。

本記事では、非常に貴重な川越城本丸御殿の内部を巡ります。

外観

本丸御殿外観1

本丸御殿外観2

正面はシンメトリーで厳かな佇まい。玄関が大きく迫力があります。

側面は北側、徒詰所や中ノ口のある側を撮影できましたが、とてもきれいで洗練されています。

御殿北側1

御殿北側2

御殿北側3

こちらは御殿の北西側、正面に対して裏側からの様子。右手に見えるのは家老詰所です。

北西側からの本丸御殿

玄関の脇には櫛形塀(くしがたべい)が見られます。

櫛形塀1

櫛形塀2

櫛形塀3

玄関

玄関1

玄関は大きくてとても立派です。八寸角の太い柱が支える巨大なな唐蔵風屋根が特徴的で、開口部は間口 3 間(幅約5.45m)もあります。

玄関2

玄関3

玄関4

開口部

玄関口

ちなみに当時、この玄関を使えたのは殿様以上、つまり将軍のみ(藩主でも中ノ口から出入り)ということで、格式の高さが伺えます。

受付

受付

玄関を上がってすぐに受け付けがあり、大人は入館料 100 円を支払って本丸御殿へ入ります。

受付でもらえる入館券とパンフレット

本丸御殿館内

現在の川越城本丸御殿はこのような構成になっています。ゆっくり見て回っても 20 〜 30 分くらいの内容。

本丸御殿館内案内図

廊下

廊下1

座敷をぐるりと囲む廊下にも、ぜひ注目してみてください。実は場所によって床に使われている木の種類が違います。

玄関や中ノ口のある東側は、堅くて重厚なケヤキを使用。一方で、南側から西側の広間周辺は、柔らかく温かみのあるツガやマツが使われています。

これは、格式ある公的空間と、くつろぎの私的空間とを区別するため。細部にまで工夫が凝らされた造りから、当時の武家社会の秩序や美意識が感じられます。

廊下2

床はしっかりしていてきれい。これも保存に努めてくださっている方々のおかげですね。

ただ、冬は床が冷たく足が冷えるので、ゆっくり見て回りたい場合は自身でスリッパなどを持ってきた方がよいかもしれません。

静かに佇まう。そんな言葉がぴったりの雰囲気でした。

使者の間

使者の間

使者というのは、藩主との謁見を待つ使者のこと。使者の間はそういった人たちが待機する場所です。

欄間が結構モダンな感じですよね。襖には竹の絵。

欄間と襖

襖

使番詰所

「使番(つかいばん)」と呼ばれる役職をご存じでしょうか?使番は、もともと戦国時代に戦場で伝令や監察、さらには敵軍への使者を務めた役職です。

その役目は、江戸時代になっても続き、幕府や各地の藩でも重要な仕事とされました。川越城本丸御殿でも、使番たちが藩主の命令を伝えたり、政務を支えるために日々詰めていたのがこの使番詰所です。

使番詰所

使番詰所の襖

老体・番抜詰所

番抜・老体詰所

「番抜」は、事実上現役を退いたようなひとのことを指します。

この部屋の襖には絵が描かれていないですね。とても質素な造りです。

質素な造り

物頭詰所

物頭詰所

「物頭」は「足軽頭」の意味。兵でも少し偉い人のこと。現代的にいえば軍曹や係長のような役割の人たちが滞在した部屋です。

ここも特に装飾はなくて、もてなしというよりはやはり使える者のための部屋だったのが伺えます。

物頭詰所もシンプル

中庭

中庭手前の廊下

廊下を進んだ先に中庭があります。

中庭

川越城本丸御殿の南側には、かつて「大書院」と呼ばれる壮大な建物が建っていました。

残念ながら、書院は明治時代の初めに解体され、今はその姿を見ることはできません。

しかし、本丸御殿の南端の柱には、かつての書院の建材が使われていた痕跡、「ホゾ穴」が今も残されています。当時の面影を探しながら、じっくり眺めてみるのもおすすめです。

庭はよく整備されていてきれいでした。こういう風景って落ち着きますね。

石庭

明治棟(第1展示室)

日当たりの良い廊下を進んでいきます。

日当たりの良い廊下

中庭沿いの通路を進んでいくと、明治棟(第1展示室)があります。

明治棟

本丸御殿の一角には、明治時代初期に建てられた建物がありました。それがこの明治棟です。

明治29年(1896年)に描かれた「三芳野神社境内図」にもその姿が記録されており、当時、入間県庁や入間郡公会所として使われていた本丸御殿を補う施設だったと考えられています。

さらに、平成20年度の修理工事で解体された際には、天井裏から江戸時代の「大書院」などの古い建物の部材が再利用されていることが確認されました。

歴史を感じさせるこうした古材は、できる限りそのまま保存され、傷んだ柱などは丁寧に補強されています。

ここには、本丸御殿の保存修理工事の様子が展示されていました。

川越城本丸御殿保存修理工事の様子を展示1

川越城本丸御殿保存修理工事の様子を展示2

川越城本丸御殿保存修理工事の様子を展示3

川越城本丸御殿では、昭和42年(1967年)の修理から約40年が経ち、建物に雨漏りや壁のひび割れといった傷みが目立つようになっていました。

そこで、平成20年(2008年)から約2年半をかけて、保存修理工事が行われました。

この工事では、建物を一度骨組みだけの状態に解体し、傷んだ部分を補修・補強したうえで元の姿に戻す半解体修理という方法が採用されました。

修理では、文化財であることを考慮し、伝統的な技術と現代の構造補強技術の両方を取り入れています。

例えば、木材は腐ってしまった部分だけを取り除いて新しい木を埋め込み、瓦は一枚ずつ丁寧に点検して再利用可能なものを選びました。

壁に使う土も、もともと屋根に使われていた土を配合して新しく作り直すなど、できる限り元の素材を生かす工夫がなされています。

現在、本丸御殿内の展示室では、こうした保存修理工事の様子をパネルや資料で紹介しており、木造建築の魅力を間近で感じることができます。

できる限り「当時のまま」を保てるようにの配慮と、現代技術を以て修理に当たった。それを可能にする日本の建築技術はすごいと思います。

交換した南側鬼瓦1

展示されているこちらの鬼瓦(おにがわら)は、今回の修理工事で交換された大棟(おおむね)南側のものです。

実は、もともと南側には「書院」が建っていたため、建築当初は鬼瓦はありませんでした。

ところが、書院が解体されたあと、新たに鬼瓦が必要になり、旧本丸御殿の別の建物で使われていた鬼瓦を移して設置したと考えられています。

鬼瓦の表面の風合いが、北側にある鬼瓦とよく似ていることが、その手がかりになっています。

そんな歴史の積み重ねを感じながら、じっくり眺めてみてください。

交換した南側鬼瓦2

こちらは、建築当初の屋根下地。本丸御殿が建てられた当初、屋根の下地には土居葺(どいぶき) と呼ばれる工法が使われていました。

建築当初の屋根下地

これは、サワラの木を薄く短冊状に切った板を、何枚も丁寧に重ねて作る、非常に手間のかかる技術です。

伝統的な木造建築ならではの細やかな職人技が、こうした見えない部分にも込められています。

さて、明治棟を出て先に進んでいきます。

廊下の静かな雰囲気

坊主当番詰所(第2展示室)

坊主当番詰所

江戸時代では「坊主」は「僧侶」を意味していました。つまりここは僧侶が滞在していた部屋。

現在は第 2 展示室として、資料が展示されています。

坊主当番詰所の様子

本城住居絵図

川越城本丸御殿 年表

日本百名城スタンプ

釘隠し1

釘隠し2

坊主当番詰所と明治棟の間にある中庭

静かな時間が流れる中、ゆっくりと見て回れます。

静かな中庭

また、坊主当番詰所・家老詰所・広間裏の廊下に囲まれた中庭も、良い雰囲気です。

石庭

枯山水

木製の窓から覗く木々

家老詰所

家老詰所。ここは、かつて川越藩の家老たちが政務を執っていた建物です。

家老詰所 案内図

江戸時代、藩主は参勤交代で江戸に滞在することが多く、実際の藩政はこの家老たちが任されていました。

この建物は明治時代の初めに解体され、現在のふじみ野市にあたる場所で商家として再築されていましたが、昭和62年(1987年)に川越市に寄贈され、再びこの地に移築・復元されました。

江戸から現代へと、長い時間を超えて伝えられてきた、貴重な歴史の証です。

家老詰所の 廊下

記録方詰所

記録方詰所2

中庭方面の廊下に陽が差し、雰囲気がとても良いです。

中庭方面の廊下とその景色

家老詰所の部屋

家老詰所の廊下と日差し

家老詰所の雰囲気

家老詰所と中庭

年寄詰所

家老詰所

家老詰所にいる人形は、黒船来航を受けてお台場の沿岸警備をどうしていくかの話し合いの様子を再現したもの。

砲台跡

川越藩と江戸湾警備についての案内板

人形たち(正面)

人形(側面)

雨戸と当時の施錠・固定機構

雨戸とロック機構

雨戸の施錠・固定についてはこちらでくわしく解説しています。なかなかに秀逸です。

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便所

通路の先に便所

本丸御殿は多くの人が集まる場所だったため、御殿内のあちこちに便所が設けられていました。

ほとんどは建物の外に張り出すような形で作られていましたが、家老詰所のように、建物の内部に設置された例もあります。

こうした配置には、当時の生活や建築の工夫が垣間見えます。

当時の便所

便器

男性用

消臭のための杉の葉

家老詰所を出て先に進みます。終わりも近いです。

家老詰所を出て中ノ口へ

中ノ口

正面玄関に比べるとひとまわり小さい、中ノ口(なかのくち)と呼ばれる玄関にも注目してみてください。

中ノ口

幅は約2間半(約4.5メートル)で、格式を抑えたつくりになっています。

もともとは、千鳥破風(ちどりはふ) と呼ばれる華やかな屋根が載っていたと考えられていますが、現在見られる流れ屋根は、昭和42年(1967年)の修理工事で新たに設けられたものです。

また、建築当初は北側に1間分張り出していて、正面玄関と同じように階段と式台があったと推測されています。

こうした痕跡から、当時の建築様式や格式を今に伝えています。

また、ここには川越城跡の模型も展示されていました。

空から見た川越城跡の模型

徒詰所

徒詰所(かちつめしょ)は、御殿の警護が滞在していた部屋です。

徒詰所

徒士(かち)とは、江戸時代に徒歩で戦うことを専門とした下級武士のことです。

馬に乗る身分の高い侍とは違い、戦場では主君の先導役を務め、平時には城内の護衛を担当していました。

徒士は武士の身分を持っており、足軽とは区別されていました。

また、行政の現場では、中間管理職のような立場で藩の運営を支えていた存在でもあります。

徒詰所は窓が多い

広間

広間正面

広間は 36 畳の広さを誇ります。御殿内で 2 番目に大きかった座敷で、来客が城主のお出ましまでの間待機した部屋と考えられています。城主との対面は南側にあった「大書院」でおこなわれたようです。

広間と甲冑

広間全体

襖には松が描かれていて、一番豪華です。

襖には松

松が描かれた襖

釘隠しも豪華です。

釘隠し

また、広間には紫裾濃威鎧(むらさきすそごおどしよろい)という甲冑が展示されています。

紫裾濃威鎧

紫裾濃威鎧1

紫裾濃威鎧2

紫裾濃威鎧3

そしてこちらは、室内運動場として使われていたころの名残。天井にバレーボールの跡が残っています。

天井

天井にバレーボールの跡

歴史的価値というのは、やはり時間の経過と共に理解され見直されていくものなのでしょうね。

現存している本丸御殿はここを含めて 2 箇所しかありませんが、バレーボールの跡がついているというのはなかなかにユニークです。

そして、

広間の前が玄関のためここで一周。見学終了となります。

広間の前は玄関

東日本唯一の現存本丸御殿「川越城本丸御殿」

現存している本丸御殿は川越城の本丸御殿と高知城の本丸御殿の 2 つのみ。

非常に貴重な史跡です。

また、御成御殿にふさわしく大きな玄関や広間も必見です。

ぜひご自身で歴史を体感してみてください。

(所要時間:約 40 分)

川越城本丸御殿


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